わたしは好きな人も嫌いな人も気になる異性も食べちゃう

物理的な意味ではない。


別の言い方をすれば、「取り入れる」ようにしてる。


人間的にも、異性的にも、気になった人は食べる。


影は気づけば私が知らないうちにいろんな人に入り込んで走り回っている。


時には残酷だし、時にはトキメくし。


そう感じるのは自分勝手な基準だから仕方ないんだけどね。


「影」とはユング心理学で出てくるワード。


自分の生きてこなかった、あるいはそれを生きようとしたけどその時の環境の影響などによりやむを得なく諦め今の今まで抑圧し続けてきたこと。


それが影。


そして実は黒い影だけじゃなくて白い影もあるという。おもしろい。


影を自分に引き戻さずにいればいるほど、本来自分の中にある影(パワー)はずっと外側の人に預けたまま。


生きる力がどんどん薄れていく。その分影は外側に強く投影される。


自分に「それ」を引き戻す作業はぶっちゃけ苦しい時もある。


もちろん、あまり苦しく感じないときもあるけど。


そして作業が終わったあと目を開くとしばらくボーっとする。笑


ほんとに、「今までなんだったんだろう?相手が悪いと思ってたのに。『それ』は相手のものだと思ってたのに。なんでこんな預け続けてきたんだろう?笑」


みたいな気持ちになる。


そして、視野がガバッと開かれて、


「あっ、今わたしここに向かおうとしていて、だから今この状態だったんだ。今の自分の反応そのものが相手にあらわれていたんだな。なるほどなぁ。」


って気づくんだよね。何回もやってるのに。毎回そう。わたしってバカなのよ。笑


そして最後には結局、自分の中に「それ」があるということを認めたくないし、認めるのが辛いという気持ちがのこるだけ。


ブッダスクールに通ってよかったのは、絶対にどんな時も「その中」にエッセンスがあることを教えてもらったこと。


入り口は怒りだったり、悲しみだったり、憎しみだったり、喜びだったりしても


その奥には自分が考えもしない「別の何か」が必ずある。


そして、いつもその「何か」が自分においでおいで〜ってしてる。


普段のわたしは気づかないように、気づかないふりをしてる。


その行為は日常生活を生きるためには大事な行為だけど、それが蓄積されていくと


外側の人が表現してくれたりする。あるいは、物や現象が表現してくれたりする。


その時に、「おや?」と思ったときは勇気を出して作業に取りかかる。笑


最近ね、わたし異常に気になっている俳優がいてね。


その人がとにかく気になっちゃうし、好きって感じるから、なんでなんだろう?と思って


思い切って影を引き戻してみた。


そしたらさ、エッセンスに菩薩が出てきたのよ。笑


おいおい自分何言ってんだ!?って感じだけど、とにかくこんな体験は初めてだったからびっくりした。


自分の中にある異性像はいつも自分を導く仏だってほんとうだったんだな、ってその時に初めて感じたのよね。


それを言ってたのは齊藤つうりさんって人なんだけどね。


最初はそれを聞いたとき「?はにゃ?」って感じで意味分からなかったんだけど、


今回初めて「あれ、そうなのかも?」って感じてる。おもしろかった。


もし普段だったらね、絶対、顔がかっこいいから〜とか、色気があるから〜、


みたいなことを言って相手にずっとその影を投影したまま終わってたんだけど、


今回、思い切ってなんで相手にそれを感じるのか作業してみたら


こんな自分のなかの深いものがあらわれているんだなーって気づけておもしろい。


にわかに信じがたいが、私の内側にはすでにパートナーがいる。


これもちゃんとユング心理学で出てくる。


アニマ・アニムス(異性像)ってワードなんだけど。


最初はほんとににわかに信じ難いんだけど、あらゆる影を引き戻すごとに、


目の前の相手は自分の内側を表現してくれてるんだなということがほんとによくわかるし、


目の前にあらわれている異性は自分を補完してくれてるんだな、って。これほんと。


影を引き戻しながらゆっくり育てていこうじゃないか。私の中の異性像。


だからこれからもわたしは好きな人も嫌いな人も気になる異性も食べ続けるんだ。

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