秀吉って何? メモの効用
クレイジーケンバンドの横山剣さんは、歌詞を思いついても、その場でメモしたりはしないと言っていた。メモしないで忘れてしまうものはその程度のもの、と。
作家の森博嗣さんも、小説のアイデアをノートに書きとめたりはしないと書いていた。
私は、ふと思いついたこと、ネタになりそうな言葉をわりとメモします。
いいこと思いついたつもりがメモせず、流れ去ったとき、惜しい気持ちに一瞬なるけれど、思い出せない時点で、たしかにその程度のものだったかもと思う。
実際、メモしたものを活かすこともあれば、寝かせたままのものの方が多い。
それでも時どき、メモを書きとめた小さなノートをパラパラめくって、あ、こういうこと思いついてたな、と思い出す。
あの時、あの人と話していて、「それ、面白い」と書きとめたな。と、たいていその前後の記憶が残っているのだが、先日、パラパラ眺めていて、なんでこれ書いたの? と思う一文があった。
秀吉、秀吉〜
って、書いてある。2020年1月23日、木曜日。
ハ?
これはいったい……なに?
大河ドラマ「麒麟がくる」が放映していたときのメモか? たしかに始まったのは2020年1月19日。でもまだ秀吉は登場してないはず。
わからない。思い出せなーい。
2005年、上野にある東京藝術大学の美術館で開かれていた、吉村順三建築展に出かけたときのこと。
『小さな森の家 軽井沢山荘物語』( 建築資料研究社、1996)は、吉村さんが手がけたご自分の別荘が紹介されている本。とても素敵です。
話戻りまして。展覧会では、吉村さんの手帳が見開きになって、ガラスケースの中、展示されていた。
その中に、一言、「ヘルペス」と書かれたメモを見つけた。
建築とは、おそらく関係ないメモ。吉村さんがそのときヘルペスに悩まされていたのか否か定かではないが、もしそうだったとしたら、さぞかし痛かったことでしょう。
建築のアイデアとは全く関係なさげな、その4文字。吉村さんの暮らしの中の一コマがそこにふっと表れているような気がして、とても記憶に残った。建築の展示以上に。
メモはしなくていいものかもしれない。でも、一見ムダにも思える言葉の中に、そのときの時間がサラッと記録されているようで、意味もなく面白く感じることがある。メモは楽しい。意味はなくは、ない。
今もって、秀吉のことは謎のまま……ですが。
ようこそ。読んでくださって、ありがとうございます。