#17本にまつわる様々な想い
ピンポンを押すと出てきたのは鮮やかな緑のTシャツと真っ赤なジャージのコントラストが華やかな白髪の男性だった。
遠くからでもおそらくかなり目立つその装いは、男性に妙に似合っていて、度々見せるパッと弾けたような笑顔とともに彼のチャーミングさを引き立てていた。
まずさ、パーッと見ていらないものはいらないとハッキリ言ってね!
サバサバと言い本棚の前へ歩いて行った。
予想していたような大きな本棚ではなく、家のいたるところに小さな本棚が点在しているようだった。
かみさんが全部バラしちゃったの!
と言いつつ全ての本棚の場所に案内してくれたけれど、家の中は小さな空間がたくさん階段でつながっていてちょっとだけ迷路のよう。迷ってしまうと言ったら大げさだけど、ここでかくれんぼしたら楽しいだろうなと、つい子供たちの顔が浮かぶような家だった。
どんな本があるのかなとワクワクと覗く。
人の本棚を見るのはちょっとだけいけないことのような気がしてしまう。たとえ仲が良くてもなかなか本棚を見せてくれとは言いづらいものがある。それなのに今日は堂々と本人同意の元で見れるのだ。たっぷりと。
しかも、その本たちを好きなだけ持っていっていいと言う。
Sさんは義母の古くからの知り合いで、昔から本をたくさん読むのだけど、最近は近所の図書館で借りるのがちょうど良いのだそう。それで終活の意味でも本を処分したいけど、もし捨てなくてすむならその方がいいと言ってこれから本屋を始めるわたしに全部寄付すると言ってくれたのだ。
もちろんありがたくいただくことにしたわたしは、その日義母と一緒にその人の家におじゃましたのである。
古い本が多くて、わたしのような古書に明るくないものが見ても知らないものがほとんどだった。
でもWOODY LIFEというナチュラルライフ系の雑誌はほとんど揃っているそうで、道志村ライフにもぴったりなので需要がありそうだし、コミックも古いものが多かったけど『ツルモク独身寮』とか “山本おさむ“ とか好きな人がいるだろうなぁという渋いラインナップ。
そして驚いたのだけど、石亀泰郎さんの写真集が何点があった。
以前夏葉社から復刊されていた写真集が好きでよく見ていたので、ほかのものが見れるのはうれしかった。これは……売らないかもな。
後は児童書の全集とか、ケストナーとか名作もちらほら入っていて、詳しく知らないものが多くてもいい本がそろっているなぁという印象だった。
ダンボール箱10箱分。軽バンの後ろがぎゅうづめになった。
ひととおり車につめおわったらSさんは
寿司でいい?
と言って近所の鯉寿司という寿司屋へ連れて行ってくれた。
本当はたくさん本をいただいたお礼にわたしが奢らなければいけなかったのに、Sさんはやすいからいいんだよ!とハナから自分がおごるとずっと言っていたのでお言葉に甘える形となってしまった。
そこでランチちらし寿司を頼むと、お通しに身のたっぷりつまった焼いた魚の骨が大皿でドンと出てきて熱々の湯気を立てている。
Sさんはレモン杯を飲みながら、これがうまいんだよ、食べて食べて!と勧めてくれた。
一口食べると、もう止まらなくなった。こんなに美味しい魚料理は初めて食べたというくらい濃厚な旨みで、骨と骨の隙間の肉もこそぎ取りたくて、はしたないのも忘れちゅうちゅうすってしまっていた。
当然、メインのちらしも本当に美味しくて、定番の刺身に加えて生しらすがたっぷりのっていてなんとも贅沢。魚はみんな本当に新鮮な味がした。
他に取ってくれたさつま揚げも、なすもみんなめちゃめちゃ美味しかった。きっと何を頼んでも美味しい店なんだと思う。
30年以上通っているというSさんのような馴染み客がたくさんいて、親しまれているんだろうなという寿司屋だった。
Sさんはもう一杯呑んでいい?とレモン杯を重ねながら、だんだん饒舌になっていき昔の話をポツポツとしはじめた。
俺んちはね、貧乏だったの。借金に追われてきたの。学費が払えなくて俺夜中働いて自分で稼いだんだよ。いつもギリギリで生活してさ。それでもねその金で本を買ったの。本だけは買ったんだよ、勉強したかったから。
なんだかんだ言っていつも本に助けられたね。今もさ、全然生きたいなんて気もしてないけど、それでも死なないって決めたんだよ。
だからさ、できれば捨てたくないじゃん。もう俺もカンレキすぎたしいろんなもん処分しようってやってるけど、そうやって買ってきた本だからもし誰か使える人がいるんなら使ってもらえたらありがたい。持っていってもらえるだけでもありがたいんだよ。
そう繰り返し言ってわたしに感謝の意を伝えてくださる。
わたしはつい、そんなに苦労してまで本を買ってきて良かったと思いますか?と尋ねると即答で、うん、良かったよ。やっぱりそうやって自分で買ってきたってことに意味あんだよな。と言ってまたもう一杯呑んでもいい?とレモン杯をぐびっとあけた。
古本を扱うことになると決めた時からうすうすわかってはいたことだけど、やはり物には想いが宿る。人それぞれのその本との記憶がある。そういうのを丸ごと受け取って、次に手渡していくのがわたしの仕事になっていくのだと改めて実感すると共に、わたしはなんて透き通ったものを売っていくんだろうとも感じた。こんな純粋な想いを託されてどうしようという戸惑いの中ですごく嬉しく感じている自分がいた。
新刊と古本と全く違う物であることもすごくよくわかった。扱い方をよく考えなければならないなと思ったし、誰かから本を受け取る時は本当に気を引き締めて受け取らないといけないなという覚悟のようなものも生まれた。
今回はご本人から、書いてもいいよーと言っていただけたので、こうしてそのまま書いたけど、もし今後本を譲り受けるとして、思い出話をされたとしてもそれをここに書くということはないので安心していただければと思う。これは……というお話はもしかしたらこちらから書いても良いかどうか確認するかもしれないけど、その際は遠慮なく可否を言っていただければと思う。
ひとしきり話し、呑み、上機嫌のSさんはちょっとだけ千鳥足でまたなー!と後ろ手に手を振って帰っていったのだった。鮮やかな緑のTシャツと赤いジャージが小さくなるまでよく見えていた。