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『窓辺歌会 創刊号』

『窓辺歌会 創刊号』は、2022年にスタートした窓辺歌会に参加してきた方々が作品を寄せて、作った同人誌です(私も参加しております!)。
それぞれの連作で、印象に残った歌を引いていきます。

新月は見えないものと知っていて君も私もずっと悲しい

「夜を迎える準備」河岸景都

新月は、地球から見て、月が太陽と同じ方向にある時のことを言います。
地球から月が見えない日ですね。
「君」も「私」もそんな常識的なことは知っているようです。
しかし、知っているのに、悲しいと思ってしまう。
しかも「ずっと悲しい」と思ってしまう。
月のかすかな明るさすらも助けとなっているような、微妙に揺れ動く日々を過ごす二人を想像しました。

授業中スマホ見ていたカイセイがスタートラインで目を閉じている

「トラックアンドフィールド」川嶋さち

鮮烈なイメージを想起する一首です。
授業中にスマホを見るような不真面目だと思っていた生徒が、恐らく陸上の走る競技で静かに目を閉じている。
集中するような、祈るような、スタートの一瞬も逃すまいという気迫が、淡々とした詠みの中から感じられると思いました。

薬味たちわっさと刻み愛着をこのそうめんに抱きつつある

「食い意地」草間凡平

「わっさと刻み」がかわいくて好きです。
わっさわさになるまでネギなどの薬味を刻み、手間をかけたそうめんを主体は大事なものの様に感じています。
食べるのが惜しくなるのか、それともよりおいしく頂くことになるのか。
「抱きつつある」という感情の途中経過の報告が面白いと思いました。

運動会こけてグラウンドを舐める ピアノを弾くとあの味がする

「筆名哀歌」辻一郎

運動会での転倒は、痛みはもちろんですが、羞恥心など感情面でも印象に残りそうです。
主体は、転倒した時にグラウンドを舐めてしまったそうです。
「ピアノを弾くとあの味がする」というのは、失敗してはならない場面になると、あの運動会のことを思い出すという事ではないでしょうか。
運動もピアノも「味」とは関係ないものですが、味覚がキーになっているのが面白い一首だと思いました。

深海の感情たちは独特のフォルムで潜む ときどき動く

「感情の生態」高城顔面

深海魚は、深海で生き抜くための独特な進化を遂げると聞いたことがあります。
感情もそうなのでしょうか。
感情の深くて暗い底の方では、生き抜くために独特の形をした感情たちが潜んでいるのでしょうか。
深海魚には、中にはグロテスクな見た目のものもあります。
深海で生きることを決めた感情たちは、自分たちの姿形をどう思っているのでしょうね。
「ときどき動く」時、それは、主体の嫌な部分の露呈ではなく、個性の発揮の場面であればよいなと思いました。

にんじんのはっぱが
いちばんかわいくて
かわいくなれないわたしがわるい

「なべのこげ」月島ひとみ

にんじんの葉っぱは小さくて、確かにかわいらしい気がします。
そこにはうなずけるのですが、下の句の自己否定が気になってきます。
肯定される何かと、主体はかわいさを比べているようです。
「かわいくならない」ではなく、「かわいくなれない」なので、主体は精一杯やっているのではないでしょうか。
そのうえで、目標に到達できない自分を責めている。
人間関係で考えると、100%誰かが悪いという関係性はありません。
みんな少しずつ悪くて、それが組み合わさって良くない状況が生まれます。
状況に追い詰められると、「自分が悪い」という結論に陥りがちです。
でも、100%主体が悪い状況なんてあるはずがありません。
本当に「わたし」は「かわいく」ないのか。
そもそも「かわいく」なる必要はあるのか。
極端になってしまっている思考を少し冷静に見つめて、「わたしがわるい」という判断を緩めていってあげてほしいなと思いました。

私のための椅子を作ろう蹴られても罵られても壊れない椅子

「Festina lente 」豊國佳

タイトルの「Festina lente」は、ヨーロッパで古くから用いられているラテン語の格言で、「ゆっくり急げ」という意味です。
落ち着いて物事にあたる事と、素早く対処する事は、両立できるはずだ、という意味合いだと、私は受け取りました。

さて、歌に戻りますと、「蹴られても罵られても」と少し攻撃的なワードが出てきます。
主体のための椅子。
それは、堅ければ堅いほどよいのでしょうか。
それとも、もっちりふかふかのクッションのような椅子がよいでしょうかね。
堅い椅子に座ってびしっとしている主体も格好いいですが、柔らかいクッションのような椅子に座り、外敵の攻撃を「なんかしてるな~?」と呑気に受け流すくらいでも良いかもしれないなと思ったりしました。

そんな場合ではないのかもしれません。
のっぴきならない事情が主体にはあるのかもしれません。
でも、そんな時こそ「ゆっくり急げ」の精神で、椅子を壊そうとしてくる何者かを華麗に撃退しようではありませんか。

エピちぎりひとつ頬張り噛み締める ひとつは庭に埋める用にする

「エピ」ナカヒラカオリ

エピとは、フランス語で「麦の穂」の意味だそうです。
手でちぎって食べられるベーコン入りのフランスパンを指します。
噛み応えのある堅いパンという認識がありますね。
それをひとつ頬張り、じっくりと噛み締めます。
そして、もうひとつは庭に埋める用(!)です。
連作を読んでのお楽しみですが、埋められたエピがどうなったのかもちゃんと出てきます。
エピを庭に埋めるという発想が面白くて好きな一首です。

カラコンは瞼から指を経由してゴミ箱に行き硬くなるのか

「否定してくれればいいよ」久石ソナ

私はコンタクトを付けたことがないのですが、家族がコンタクトを使っていまして、かぴかぴになったコンタクトを見たことがあります。
主体も、カラコンを使ったことがない人なのではないでしょうか。
親しい誰かがカラコンを外している様をじっくり観察しています。
瞼→指→ゴミ箱、そして「硬くなる」。
カラコンの行く末を段階を追って真面目に観察して、最後には「硬くなるのか」と納得している主体におかしみを感じました。

対価たちあなたのことは好きだけどそこは直した方がいいたち

「会話/孤独」枡英児

不思議な感触で、でもなんだか惹かれる一首です。
「対価たち」と呼びかけて、「あなた」と一人への呼びかけに変わり、最後は「そこは直した方がいいたち」。
結句の「そこは直した方がいいたち」がとぼけた感じで好きですね。
何かを行った対価を主体は受け取ったのでしょうか。
「そこ」ってなんでしょうか。
何かをもらえるのは大抵うれしいものですが、「対価」は何かをした見返りに受け取るものです。
見返りを求めている「対価たち」を、もしかしたら主体はたしなめているのかもしれないなぁと思いました。

あの店で泣いて、それから行ってない みたいなことが増えてきた街

「Möbius」森淳

ちょっとわかるかもと思いました。
泣いてしまったのが恥ずかしいのもあると思うんです。
店員さんに覚えられてたら嫌だなぁと思ったり。
でも、それよりも、「泣くほどつらかった記憶」が「あの店」に紐づいてしまって、いるのが問題なのではないかと私は思いました。
ぜんぜん別の日に、違う服装で、たとえば誰かと行ったとしても、あのつらかった記憶が蘇ってくるのです。
そういう場所は自然と避けるようになりますよね。
幸い、主体はそこそこ大きな街にいるようなので、お店の数には困っていなさそうです。
それでも、恐らくひとりで、主体がお店で泣くという経験が、これから減っていったらいいなぁと願いたくなりました。

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