埜中なの『再上映』
埜中なのさんの歌集『再上映』を拝読しました。
印象に残った歌を引きます。
人によるとは思いますが、ひとり暮らしをしていると、なかなかセットの食器を買わなかったりしますよね。
自分の好きなデザインの食器をぽんっと買ってしまったりなんかして。
たまに食器棚を覗くと、ばらばらの食器が並んでいる。
下の句は人間にフォーカスがあたります。
この歌では人間は形の違う「うつわ」としてとらえているようですね。
それぞれが、それぞれの役割をきちんと全うしているのであれば、形は問われない。
下の句は、他人に対して言っているというよりも、主体が自身に言い聞かせているように感じました。
水中からの景色を描いているのが面白いと思いました。
逆光で目がくらんで、「他人」を「希望」と見間違ってしまう。
「他人」という言い方に距離を感じますね。
人に頼って救われたいという思いが、主体の中にはあるのではないでしょうか。
でも、そんな思いが叶うわけはないと諦めている。
だから、見間違いだと断じている。
親もきょうだいもどこかに行ってしまって、ひとりぼっちの海月が、暗い海中に漂っている。
そんな寂しい情景を思い浮かべました。
野球の外野手の心象風景と読みました。
自分が追いかけてもぜったいに届かないところを白球は飛んでいく。
主体は立ちつくしてしまいます。
球を打った選手は、とても有望な選手なのかもしれません。
それに比べて主体は、いまいちぱっとしない位置にいるのではないでしょうか。
いつも、いつも、主体なんて見えていないかのように、白球は遠くに飛んでいってしまいます。
現実も、評価も、結果も、主体とは関係ないところで決着していきます。
自分も関わらせてほしい、置いていかないでほしい。
切実な叫びを下の句に感じました。