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「郷に入っては郷に従え」を実践した結果。

5 「郷に入っては郷に従え」を実践した結果。

 前回の投稿をした流れで、ふと5年前の日記を読み返したところ、パリで過ごした忘れえぬ一夜のことが蘇ってきたので書いておこうと思う。ジョンに出会う3日ほど前、わたしは着いたばかりの旅先で途方に暮れていた。

 まず羽田から13時間ほどかけてシャルル・ド・ゴール空港に着いてWi-Fiを接続した瞬間、数名の友人から「パリではメトロが大ストライキ!」というメッセージが届いた。実にフランスらしい話で、はじめは「土産話の1つになりそうだな」などと前向きにとらえていたのだけれど、実際はそんな悠長な話ではなく、あろうことか12年ぶりの大規模ストライキの当日に到着してしまい、広いはずの空港は大荷物を抱えながらため息を吐く欧米人であふれ、もはやなにに並んでいるのかさえわからないような列が見渡す限り続いていた。

 日本ではそこまで大きく報道されなかったものの、2019年9月13日はマクロン政権による「年金改革」に反対するパリ交通公団(RATP)によるストが行われた日。それはご丁寧にも「13日の金曜日」で、パリの地下鉄、バス、トラムがほとんど機能しない1日だった。

 旅人のわたしにとって公共交通機関が使えないということは、タクシーに頼るしかない。ひと昔前なら「フランスのタクシーは危険(ぼられる)」といった話もあったけれど、2016年3月以降、シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内への運賃は定額制になり、セーヌ右岸なら50ユーロ、左岸なら55ユーロで行けるので、構える必要はない。小さな不幸に遭遇した際、フランス人がよく言う「C'est la vie.(セラヴィ:人生だもの)」の精神で長蛇の列に並び、数時間後には正規のタクシーに乗ることができた。

 ここまでくれば、宿の名前と住所を紙に書き出し、「S'il vous plaît(シルヴプレ:お願いします)」と運転手さんに渡せば、黙っていても連れて行ってもらえるはず……だと思っていたけれど、そうはいかないのが異国である。

 走り出して30秒もしないうちに「あなた日本人ですよね。僕、日本の歌が歌えます」と英語で言ってきたのはおそらくスペイン系のフランス人。こちらが返事をするのも待たずに、わたしの知らない曲を歌いはじめた。

 しかしこちらの耳が悪いのか、あちらの発音がひどいのか、日本語らしい単語のひとつも聞き取れない。一方で、これは12年ぶりの大規模ストライキの当日にのこのこやってきた不運な日本人への、彼流のなぐさめのつもりなのかも知れないと思い、つい、うっかり「ありがとう。でも、わたしはその曲を知りません」と言ったが最後、「ああ、日本の歌は忘れちゃったから、僕が好きな歌を歌ったんだ。さあ、次はきみの番。日本の歌を歌ってよ」と謎の展開に巻き込まれた。

 「いやあ、ちょっと……」と、そんな曖昧な返事を許されるのは日本の話。ここはフランス、相手は陽気なタクシードライバーである。生まれ持っての気質か、心底ウキウキしているように見える彼とは対照的に、高速道路は大渋滞。蛇行運転が続く密室で気まずい雰囲気になるのも望まなかったわたしは、歌うしかなかった。

 でも、スペイン系のフランス人が知っている日本の歌ってなんだろうか。しばし考えて、まずはジブリ映画に当たりをつけた。いま思い出せるところで、『魔女の宅急便』からは『やさしさに包まれたなら』(「小さい頃は神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた……」)を、『千と千尋の神隠し』からは『いつも何度でも』(「呼んでいる 胸のどこか奥で……」)を、『となりのトトロ』からは『となりのトトロ』(「だれかが こっそり 小路に 木の実 うずめて……」)を歌った。歌詞がわからなくなると、「ラララ」でごまかしながら。ちなみに1曲歌い終えると向こうが1曲歌い、またこちらが歌うというスタイルが確立されていたので、歌いながら次はなにを歌うか考える必要があった。さらにジブリのレパートリーが尽きたあとは、思い出せる限りの日本的な歌を歌ってしのいだ。『蛍の光』や『さくら さくら』『赤とんぼ』など、これでもかという日本的な歌を思い出して……でも悲しいかな、結局、「それだよ!」と言われることはなかった。

 そうして過ごすこと1時間半。タクシーはようやく目的の宿に着いた。途中、渋滞にしびれを切らしたドライバーが抜け道を選び、あちこち迂回して進むうち、目の前で大型トラックが集合住宅の一部を破損する小さな事故を見たり、支払いの際、「友情の証に」と頬と頬を触れ合わせる「ビーズ」を求められたりしながら「郷に入っては郷に従え」のスタンスで、とにかく無事に1日が終わることを祈り続けた。

6 パリの安宿にて。

 しかし13日の金曜日はそこで終わらなかった。その晩、長時間の移動や歌合戦によって疲れていたわたしは、早めに就寝した。しかし数時間で目を覚ましたのは時差ボケのおかげか、あるいは虫の知らせをキャッチできる特殊能力があるせいかもしれない。なにか、としか言いようもないのだけれど、本当に、なにか、なんとなく、暗闇でも部屋の様子が変わっている気がして、もうなるようになれと覚悟した上で、ベッドライトをつけた。部屋は明るく照らされて、そこにだれもいないことはなんとなくわかったところで眼鏡をかけて見ると、あろうことか、部屋の大部分が水浸しになっていた。いったい、どうして……なんて思わない。ここはパリの安宿である。

 水の流れはシャワールームのほうから来ていたので駆けつけると、蛇口はしっかり締まっていた。というわけで、もはや憶測でしかないけれど、わたしがシャワーを浴びたときの水が適切に水道管へ流れず、溜まってしまい、時間が経って漏れ出てきたのだろうと推察した。

 こんなこと日本ではほぼ起こらないのではと思うけれど、とにもかくにもフランスは水まわりのシステムが弱いことで有名である。だから「ああ、わたしは今、フランスにいるんだなあ……まあ浸水もいずれ止まり、朝には乾いているだろう」などと思って(哲学者アランがそこにいれば、「悲観は気分で、楽観は意志」と言ったはず)、そのまま眠ろうとした。

 しかしベッドに横になってちょっと冷静に考えたところ、1週間ほど泊まる部屋の1泊目がこれでは先が思いやられる。また、朝になってからフロントで伝えるのでは「今、チェックアウトの対応で忙しいんだ(見ればわかるでしょ)」と軽くあしらわれるような気がしたので、しぶしぶ着替えてフロントに向かい、まさか実際に使うことになるとは思っていなかった仏単語で「L’école(オスクール:助けて)」と訴えた。すると向こうもいくぶん慣れた様子で、すぐに部屋を替えてもらうことができたけれど、朝気づいたら、どうなっていたことかわからない。あるいは、わたしも面倒くさくなって、ただ水が乾くのを待って過ごしたという可能性もある。こういう性分だから、日々いろいろなことに出くわすのだと思う。でもそれでそんなに困ったこともない。

 ついでに書くと、あの旅では出国した日(2019年9月21日)も入国した日と同様、あるいはそれ以上の大規模デモが実行された日であった。いわゆる「黄色いベスト運動」に「気候変動デモ」が重なったとかで、警官隊とデモ隊が衝突する映像がホテルのテレビで流れているのを見たときは、もう日常茶飯事なんだよなあとあきらめていた。

 また、もう1つあった巡り合わせとして、ジョンが欧州入りした日と出国した日はなぜかわたしと同じで、その旅のきっかけが欧州にいる友人に会うため、という理由も一致していたということがあった。不思議なこともあるものだ。いや、あるいは、本当はこういう人たちがたくさんいて、気づいていないだけなのかもしれない。

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