お金に関する雑記②「鋳造貨幣の始まり」
前回の記事では、世界で初めての紙幣について触れましたので、今回は貨幣の歴史について考えてみたいと思います。
ここで言う「貨幣」は、人工的に鋳造された金属製のコインを指すことにします。
古く歴史をたどれば貨幣と同じ役割をしたもの(貝や貴石など)もありますが、ここでは「鋳造されたコイン」ということで…。
ということで、今回のテーマは
貨幣の歴史 リディア王国の大発明
です。
鋳造貨幣の歴史は紀元前7世紀頃にさかのぼります。
紀元前7世紀と言えば、今からおよそ2600年以上も前、日本は縄文時代後期にあたります。
この頃の小アジア(現在のトルコ辺り)には、リディア王国がありました。
領内にあるパクトロス川では、砂金が産出されました。
しかしこの砂金、純粋な金ではなく、金と銀の合金(エレクトラム)でした(金と銀は親和性が高いので、自然界では割とよくあることです)。
ちなみに、エレクトロンはギリシャ語で「琥珀」
を意味します。
色が似ているので、転じてこの合金は「エレクトラム」と呼ばれるようになりました。
その後、さらに転じて電気(エレクトリック)の語源にもなっています。
当初はこの砂金をそのまま貨幣代わりとして流通させていました。
砂金の重さによって価値を決めていたのです。
「秤量貨幣」に近い使い方ですね。
ところが、商業交易が活発になるにしたがって「重さを量る」という手間が煩わしいという声が強くなります。
そこで、リディア王国は重さを一定にした「貨幣」を鋳造することで、その手間を省けるようにしたのです。
このような経緯で鋳造されることになったのが、「スターテル貨幣」です。
この貨幣で1/3スターテル、傭兵の給与の10日分ほどの価値があったようです。
今でいえば10万円前後でしょうか。
大きさは意外に小さく、最大幅で12mm。
5mm程の厚みがあるので、豆粒のような形をしています。
表面にはリディア王国の象徴であるライオンと太陽の紋章、裏面には2つの極印(インキューズ)が刻まれています。
これは主に偽造防止の目的でつけられたものですが、直径1cm程度の大きさの貨幣にこれだけ精巧な模様をつけた当時の技術はなかなかのものです。
貨幣の鋳造により、初めて、
国家が価値を保証した価値が一定の貨幣(計数貨幣)
が生まれました。この瞬間、
「色々なものに交換できる価値あるもの」が、「貨幣」に進化
しました。
つまり、現在まで続く「マネー」の誕生です。
個人的には、これも世界の大発明(羅針盤・火薬・紙)に入れてあげてもいいのでは?と思うのですが…。
その後、紀元前6世紀の中頃に、リディア王クロイソス
は、通貨改革を行い、それまでのエレクトロン・スターテル貨幣を廃止し、「金貨」と「銀貨」からなる通貨制度を世界で初めて導入しました。
ちなみにこのクロイソス王、色々あってリディア王国を絶頂期から滅亡へ一気に追いやった人物でもあります。
絵から、あまり聡明そうな感じが伝わってこないのはそういった理由からです。この辺りはまたいずれ…。
クロイソス王のことはともかく、この貨幣制度のおかげでリディアは商業の中心地として栄えます。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトス
は、リディア人のことを、
「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった」
と記述しています。
その後、金貨・銀貨による貨幣制度は、その後インダス川~地中海沿岸、さらにイギリスまで広がっていきます。
そしてこれ以降の経済史にとって、「貨幣」はなくてはならないものになるのです。
おまけ
実は、日本で江戸時代に発行されていた小判をはじめとする金貨も、エレクトロン貨の一種です。
ただ、日本の場合は人為的に金銀の含有量を調整する、というさらに高度な技を駆使しています。
よく、貨幣改鋳で「品位(品質)を下げた」と言われるのですが、全体に対する銀の割合を上げたのであって、何か得体のしれない不純物を混ぜた…というわけではないんですね。
ちなみに、上が慶長小判、下が元禄小判です。
慶長小判の方が金の含有量が多いので、色が違います。
というわけで、今回は貨幣の起源について触れてみました。
今では紙幣に対する補助通貨の感が強い硬貨(貨幣)ですが、遡ればこんな歴史がある、ということで…。
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