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文明と地図を考える その34 「江戸時代における大衆の地図文化」(後編)
前回の記事
では、江戸時代に刊行され、民間に普及した地図の中でも「実用地図」の最たる例として、『日本道中行程記』を取り上げました。
この地図は当時の旅行ブームを反映して、街道・宿場などの情報に特化した地図。
古代ローマのポイティンガー図と実によく似たコンセプトの地図でした。
一方で、8代将軍徳川吉宗の時代になると、「実学」重視の風潮が強まり、異学(西洋の学問=蘭学)の導入も進むなど、学問分野ではかなりの規制緩和が行われました。
この状況は、実用重視の地図とはまた違った「実証主義」に徹した地図を生み出します。
今日は、そのような地図たちを紹介していきたいと思います。
というわけで今回のテーマは
江戸中期の「実証主義的地図」
です。
地図の紹介をする前に、徳川吉宗の治世、その背景についてもう少し書いておこうと思います。
8代将軍徳川吉宗は、32歳で将軍の座に就きましたが、徳川宗家ではなく御三家の一角、紀州徳川家の出身です。
しかも彼は4男。本来であれば将軍になるはずのない立場でしたが、将軍候補が次々と急死したため将軍の座に就いた(そのため、吉宗の陰謀説も根強い)のです。
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