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授業はエンターテイメントだ

授業とはエンターテイメントだ.

という言説にすぐ賛同してくれる人はこのあとの文章を読む必要があまりないので,是非ともブラウザバックして,今日は1ユーロ何円なのかでも調べたほうが有意義だと思います.

正確には,授業はエンターテイメントの類だ.と言ったほうが良いかもしれません.

ここで授業というのは何か先生なり講演者なりがいて,それを受講する人が居て,先生が何かものを話すという形式のイベントを指しています.

今から書く話は自分が「授業をする側」になる機会が訪れた際に役立てていただけたら幸いです.


集中力の要素

私が大学で学んだことは数学でした.

大学の数学科に入ると先ず間違いなく学ばされるものとして「集合論」というものがあるのですが,その授業のはじめにこんな事を言われました.

「おめでとう大学一年生諸君.本当の数学の世界へようこそ!」

ディズニーランドか,はたまた怪しい宗教か何か?というのが第一印象でした.

しかし目の前で話しているのは大学の数学科に所属している数学のスペシャリストです.

本当の数学の世界ってなんだ,今まで学んだ数学は偽物だとでも?という気持ちになるセリフですが,このセリフを授業の冒頭で言ったのはとても正しい判断だったと思います.

ここまで大それたセリフでなくても,はじめの授業の冒頭15分でその授業の内容の魅力を大雑把に語ったりモチベーションを上げる時間を作れば,その授業の質に関係なく学生の理解度は上がる,と私は感じています.

これは実は単に集中力の問題だと思います.「学生が自分で集中すればいいじゃないか」と思われるかもしれませんがそうではありません.

例えば友人からスマホでできるゲームアプリを勧められ,始めてから30分以内に面白いと思えるイベントが何も発生しなかったらそのアプリをアンインストールしませんか?

授業の冒頭や第一回目の授業というのにはそのぐらいその後の集中力に影響を及ぼすと思います.

少なくとも私はどの授業に対しても相当真面目に受けていた勤勉な学生でしたが,受け手側として「面白そうだ」と初回で思えた授業とそうじゃなかった授業の習熟度が同じだったかと言われるとそうではなかったと思います.

そういう物は世の中にあふれています.小説の冒頭は勿論,ネットニュースの記事タイトル,アニメ作品の第一話,Youtuberの冒頭挨拶,テレビ番組のタイトルコール等がそうでしょう.

こうしたことと授業を結びつけるのは良いアイデアだと思いますし,少なくとも塾講師などの直接的に教育を商売として売っている人は意識していることのように思われます.

これは授業をエンターテイメント足らしめる要素の一つだと感じています.


ライブ感=質問と演習問題

授業のライブ感,というものがあります.

これは演習の多い授業ほど感じやすい,というのは皆さんおわかりの通りですが,完全な座学の授業ですらライブ感がある,と私は思っています.

特に数学科というのは座学の塊のような学科ですので,私は「座学のライブ感」については思うところがかなりあります.

そもそもライブ感とは何かですが,調べてみるとこの言葉の解釈については様々あるということが分かるかと思います.例えば

何が起こるかわからないドキドキワクワク」や「従来の枠にとらわれない構想」、「その場の思いつき」や「土壇場のひらめきが生んだフリーダムな展開

などの解釈があります.

この意味で座学には間違いなくライブ感があります.

ただしライブ感がほとんど損なわれた授業が世の中には存在します.例えば「学生から質問が全く出ない,演習問題も全く無い授業」はこれに該当します.

つまり座学におけるライブ感の多くは学生と先生のやり取りです.

座学における学生への課題とはライブにおける「お前達盛り上がってるかー!!!」であり,座学における学生からの質問は楽曲へのコールとペンライトです.

そう思っていたので,私は授業中に積極的に質問をするよう心がけていました.

これを損なうことは対面授業における大きな損失であり,流行り病が落ち着いて対面授業ができる,という学生さんには是非とも実践してほしいことです.

また,ライブ感の生む「生っぽさ」は学習のレベルに影響します.

実際ライブに行ったことがある人はわかると思いますが,楽曲データを購入してイヤホンで聞くのと,生演奏生歌唱を聞くことには「生っぽさ」から来る大きな体験の差が生まれます.

それが授業にもある,という話です.つまり,体を動かして大学に出向き,教室で先生に質問して演習問題を解いて…という一連の流れそのものが学習体験の差を生む,という体感です.

これこそエンターテイメントそのものだ,と感じています.


講演会と授業の差

一般向けに開かれている「講演会」と称されるイベントに足を運んでみると,内容としてはどこかの大学のどこかの何かしらで専門分野を持っている誰かと変わらずなにかお話をされています.

言い換えますと,大学で行われている授業は,本質的には「有料長期講演会」だと思います.

講演会,と名付けられている単発のイベントに参加される層というのは自主的に参加しているので,講演会にはある種の娯楽としての面があるように思います.

では何故大学の授業は娯楽として扱われないのか.これは聞く側が「自主的でない」からだと思います.

これはなんだか不思議な話です.なにせ,学生は大なり小なり自分の意志で試験を突破して,奨学金にしろ親が出してくれるにしろ学費を払って大学に通っているわけですから,自主的でないというのは矛盾のように思えます.

つまり大学まで行くことが良い就職の条件,とされてしまっている今日の実際的な状況が,授業のエンターテイメント性を下げているように感じるのです.

それはそうでしょう.世の中には語学の勉強が娯楽として成立している人々が居ますが,私は英語の勉強が苦手ですので気持ちもわかります.

学生としては「授業はエンターテイメントだ」と思えればそれが一番良いですし,先生としては「エンターテイメントをするつもりで授業をするぞ」と思えればそれが良いです.

ですから好きな授業でもそうでなくても「エンターテイメント性の気分に乗りながら授業について考える」という思想を持つ事は,日々をより良く感じさせてくれるだろうと思います.

以上になります.最後までお読みいただきありがとうございました.

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