ジェットコースターは続くよどこまでも【娘の記録②】
タイトルがだいぶ字余り感ありますが…
今回は異常が発覚してから入院になるまでのことを書いていこうと思います。
よいお産を!
それまで順調そのものだった私のマタニティライフは妊娠20週のときに胎児が小さいと言われたことにより儚く砕け散った。
しかし、小さいだけで他に特に異常は見られなかった。
エコーをしてくれた先生には、「入院してもいいレベルだけど、どうする?」と言われたが「それは厳しいです」と断った。夏休み目前で休むわけにはいかない。
それなら、また1週間後に来てくれと言われた。1週間後って、終業式の前日じゃん。どーしよ…。とは言え、入院断っちゃったしさすがに行かなければならない。
ちなみに、このとき我が家では夏休みに入ったらすぐに引っ越しをすることになっていた。家を購入したのだ。当時住んていたところからだいぶ離れるので、病院も転院する必要があり紹介状をお願いしていたところだった。
もちろんだが、紹介状はまた来週渡すね、と言われた。
その後職場に到着し、まずは健診で大幅に遅れてしまったことと、来週の終業式前日にまた休みを取らなければならなくなったことを詫びた。
同僚には、赤ちゃんが小さいって…大丈夫?ストレスじゃない?と心配された。
うーん、まぁストレスがないわけじゃないけど、関係ないでしょ〜大丈夫大丈夫!はは!と笑い飛ばした。
私は元来ノーテンキで楽天家なので、「うーん、まぁ大丈夫っしょきっと!どうにかなる!」くらいに思っていた。
1週間後。
前日までに何とか重要な仕事(通知表とか通知表とか通知表とか…)を済ませ、病院に向かった。
先週とは違う先生にしっかりエコーで診てもらった。
結果は同じだった。
やっぱり、数週に対して胎児が小さい。
このまま小さいなりに成長していくか、成長が止まってしまうか、慎重に診ていく必要があると。
一応先週からは少し成長していたようだ。しかも元気に動いている。心臓の動きも悪くない。トリソミーでもなさそう(トリソミーの子より小さいと言われた)。
じゃあ一体何なんだ。
多少の不安はあったものの、ハッキリとした原因が分からないしとりあえず元気に動いているしで、私はまだ深刻に考えずにいた。
そして、今日でこの病院はおしまい。
紹介状を受け取り、今後は転院先にお願いすることになった。
転院先は出勤途中にある個人の産院に決めていたのだが(出産自体は里帰り出産する予定だった)、先生からはもしかしたらすぐ大きい総合病院に転院になるかもしれないよ、と言われた。
帰り際に、先生、助産師さん、看護師さんたちが
「よいお産を!」
と口々に言って見送ってくれた。
「(よいお産かぁ、なるほどー!)ありがとうございます!頑張ります!お世話になりました!」と頭を下げてその病院を後にした。
今考えると、じゃあこの後訪れる私のお産は果たして良いものだったのかどうか、正直答えに困ってしまう。普通ではなかった、ということだけは確かだが。
引っ越し、そして即入院
無事に夏休みに入り、1週間もしないうちに引っ越しをした。
自分たちで購入した新居はやはりいいものだ。
この家で、生まれてくる子どもたちと何十年も普通に、でも幸せに暮らしていくんだと信じて疑わなかった。
引っ越しの翌日、さっそく予約しておいた新しい産婦人科を受診した。
個人の産院だけあって、3Dで見せてくれて嬉しかった。赤ちゃんはやっぱり小さいけど、それでも元気に動いていた。
そして衝撃の一言をいただく。
「うん、ウチじゃムリ!」
がーーーん(古)
「今から周産期医療の整っている大きい病院に電話して予約を取るから、一度そっちで診てもらってください。今後のことはそれから決めましょう(ニコッ)」
と、人当たりの良い院長先生に言われた。
先生が予約を取ってくれ、ちょうど1週間後に総合病院を受診することになった。そして残念ながら二度とこの産院にお世話になることはなかった。真新しい診察券よ、さようなら。
1週間後、引っ越しの手伝いで我が家に泊まりに来ていた義母が付き添ってくれ、総合病院を受診した。
診察では、胎児が小さいということと、羊水が少ないということが新たに指摘された。
「うーん……入院しましょう!今日から……は難しいですよね?」
えーーーーー!?入院!?しかも、今日から!?!?
先生、さすがに今日は無理がありすぎやしませんか…
と訴えた結果、翌日からの入院になった。
え、でも待って。いつまで入院なの?仕事はどうなるの…?
ここでようやく楽天家の私もこれはタダゴトじゃねぇと気付いた。
先生に入院期間のことや仕事のことを聞いた。
入院期間は最低でも2、3週間は様子を見たい。ただ、こういったケースは出産まで入院になることが多い、と。
はいーーー!?まだ23週なんですけど…。
そして、今から診断書を書くのでお仕事ももうお休みしましょう、と言われた。
診察が終わり会計と診断書を待っている間に、義母に診察の内容と明日から入院になったことを伝えると、心配で今にも泣きそうになっていた。
「お義母さん、大丈夫ですよ〜♪」
私の方が励ましていた。
診断書には
「子宮内胎児発育不全、羊水過少」
と書かれていた。こうやって文字になると妙に納得するというか、一気に現実味を帯びてくるから不思議だ。(それは娘が生まれてからもイヤというほど経験することになるのだが。)
その診断書を片手に、急いで職場に電話した。
学校は夏休み。幸い授業はない。でももう私は出勤することはできないから、管理職は夏休みが終わるまでに私の代わりの教員を探さなければならないわけだ。
あのときの現場の混乱はどれほどのものだったのか。夏休み中ということがせめてもの救いだった。と思う。思いたい。
何より私は生徒たちに何ひとつ挨拶出来ないままお別れになってしまったことが悲しかった。ああああああ無情…
そしてこれは完全に余談なのだが、私の後任になったのは若い男性で、なんとその数年後、私が一番仲が良かった後輩と見事ゴールイン。これは私と娘がキューピッドってことでいいですよね?(本人たちもそう言ってる)
こんな素敵なご縁もあるのです。うふふ。
帰宅後、急いで入院の準備をした。意外と必要なものが多いだこれが。まさか23週で自分が入院するなんて思ってもみなかったので、ドラッグストアに買い物に出かけたり山積みの段ボールから衣類を引っ張り出したり、慌ただしかった。
そして、たったの9泊しかしてない新居を後にし、ゴールの見えない入院生活が始まった。
続く
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