まも

主に難病の娘に関することを書いています。思考のエントロピーが増大してきたらここに整理して心の秩序を保つ。ぐちゃぐちゃのデスクトップをフォルダに入れてスッキリさせるような、そんな感じ。誰のためでもなく、自分のための場所です。

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主に難病の娘に関することを書いています。思考のエントロピーが増大してきたらここに整理して心の秩序を保つ。ぐちゃぐちゃのデスクトップをフォルダに入れてスッキリさせるような、そんな感じ。誰のためでもなく、自分のための場所です。

マガジン

  • 在宅医療用ハンドメイド物品

    私が過去に作製したハンドメイド物品の作り方の記事まとめ

  • 娘の記録

    娘の疾患ことを妊娠中から振り返り記事にしています。

最近の記事

抑制筒の作り方を紹介します

EDチューブでの在宅生活娘は、1年前まではいわゆる動ける医ケア児だった(とは言え、2歳を過ぎても体重が5キロないくらいだったのでお座りもできなかったのだけども)。 でもとにかく動きまくっていた。 おそらく、同じ体格の子たちを集めたら運動量はダントツの1位だったと思う(もちろん月齢で言えばそんなに動きまくる体格ではないが)。 そんなお転婆娘を抱え、EDチューブでほぼ24時間持続注入という生活は今思えばなかなかしんどかった。 EDチューブは抜けてしまうと家で入れることは出来

    • なぜ薬に賦形剤を入れるのかという話

      先日、薬局と一悶着(?)あった。 まずはこの写真を見てほしい。 (見にくくてすみません。娘が寝ているので暗闇で撮影しました。) この2つの袋に入っている薬は、娘の飲んでいる薬の中で一番大事なステロイドの薬です。どちらも、コートリルという同じ薬です。 さて、 これ、同じ量に見えますか…?? 明らかに左の方が多くないですか?? 娘は、副腎という腎臓の上にある小さな器官が生まれつきない。 そのため、本来副腎で作られている生きるために必要なホルモン(ステロイド、と言えば誰

      • ジェットコースター、下車【娘の記録④】

        妊娠23で入院し、32週で緊急帝王切開になったときのことを書きました。 赤ちゃんが苦しがっている入院から2ヶ月が経った頃、お腹のMRIを撮ることになった。 羊水が少ない原因は不明のままだったのだが、もしかしたら腎臓が生まれつきないのかもしれない、だからおしっこが出せなくて羊水が少ないのかもしれない、もしそうだとしたら生きていくことはできない。ただしエコーで見る限りではおしっこは出せているようだ。なので、もっと詳しく見てみるためにMRIを撮ってみましょう、ということになったの

        • 入院生活はブルーハーツ【娘の記録③】

          今回は入院生活のことと胎児の経過を書いていきます。 気ーーがーー狂ーいーそーう妊娠23週のときに、子宮内胎児発育不全と羊水過少のために管理入院となった。 私にとってこれが生まれて初めての入院生活だった。 そもそもこの入院も、私自身は健康そのもの。 今まで慌ただしく仕事をしていた身としては、一日のほとんどをベッドの上で過ごさなければならないという状況はとても新鮮だった。 …最初だけは。 2、3日経つともう暇で暇で仕方がなかった。 「何かしなくてはいけないのでは」と、何も

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        • 在宅医療用ハンドメイド物品
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        記事

          ジェットコースターは続くよどこまでも【娘の記録②】

          タイトルがだいぶ字余り感ありますが… 今回は異常が発覚してから入院になるまでのことを書いていこうと思います。 よいお産を!それまで順調そのものだった私のマタニティライフは妊娠20週のときに胎児が小さいと言われたことにより儚く砕け散った。 しかし、小さいだけで他に特に異常は見られなかった。 エコーをしてくれた先生には、「入院してもいいレベルだけど、どうする?」と言われたが「それは厳しいです」と断った。夏休み目前で休むわけにはいかない。 それなら、また1週間後に来てくれと

          ジェットコースターは続くよどこまでも【娘の記録②】

          気付いたらそこはジェットコースターのてっぺんだった【娘の記録①】

          久しぶりの投稿です。 何を隠そう、ワタクシ、現在第二子妊娠中。 つわり、ツラァァ。な状況です。 娘のときはここまで辛くなかったけどなぁ… ちょっと甘く見てたぜ、つわりさんよぉ。 実は娘のときと今回と妊娠時期が2週間しかズレていないこともあり、「4年前の今頃はこんなだったなぁ」とイヤでも娘を妊娠中のことを思い出している。 当時のことは1年前か?ってくらいよく覚えている。 それでも、きっとこれから先、何年、何十年もするとあの時の記憶も薄れていくのかな…。もちろん、いい思い出

          気付いたらそこはジェットコースターのてっぺんだった【娘の記録①】

          【最新版】カニューレバンドの作り方Ver.2(後半)

          さてさて、カニューレバンドVer.2の後半です。 引き続きゆるーくがんばります。 手順Ⅶ マジックテープを仮留めする(片方) Ⅷ 仮留めしたところを縫う Ⅸ もう片方の端を切る Ⅹ 端を閉じる Ⅺ もう片方のマジックテープを付ける この順番でいきますー! Ⅶ マジックテープを仮留めする(片方)マジックテープは、クラレの『マジロック』か、手芸屋さんトーカイの『面ファスナー ソフトシート』がオススメ。 私は以前マジロックを使っていたが、先輩ママにトーカイのソフトシートを教わ

          【最新版】カニューレバンドの作り方Ver.2(後半)

          【最新版】カニューレバンドの作り方Ver.2(前半)

          過去3回に分けてカニューレバンドの作り方をまとめましたが、実は記事を書くのをさぼっている間に大幅モデルチェンジをしていました。(うんうん、よくあるよねそういうの…) なので、今回は2回に分けてモデルチェンジした新しいカニューレバンドの作り方をまとめていきます。 そして、これはあくまで自分のための備忘録なのですが、どこかの誰かの…ほんの少しでも…参考になれれば、という思いを込めて書いています。 私のように、裁縫のことはほとんど分からないけど自分で作ってみたい、もしくは病院か

          【最新版】カニューレバンドの作り方Ver.2(前半)

          わたし流カニューレバンドの作り方③〜ミシン編〜

          ついに最後の段階、ミシンで縫い上げて完成だ。 前回までの記事はこちらを参照ください。 手順① マジックテープを縫い付ける ② NUNODECO(ヌノデコ)を貼る ③ カニューレバンドのフチを縫う ④ NUNODECOのフチを縫う ① マジックテープを縫い付けるマジックテープのフック側を、ループ側の下(手芸用ボンドで仮留めしていない部分)に1㎝ほど被せる。反対側も同じようにする。 フック側も手芸用ボンドで仮留めしたいところだが、残念ながらボンドでくっつきにくい素材なので、

          わたし流カニューレバンドの作り方③〜ミシン編〜

          わたし流カニューレバンドの作り方②〜面会中編〜

          今回は、面会中にできる作業について。 以前にも書いたが、私は日中できる限り娘の面会に来ているので、夜帰宅してからカニューレバンドを一から作るのは体力的に到底無理で…。 そこで、面会中にある程度のところまでバンド作りをしようと考えた。 面会中に作るということは、作業できるスペースは狭く、道具も全部持っていくことは不可能。ましてやミシンなんか担いで行けるはずがなく…w そんな中で何とかやりくりして作らなければならないのだ。 前回からの繰り返しになるが、そのような理由で私のバ

          わたし流カニューレバンドの作り方②〜面会中編〜

          わたし流カニューレバンドの作り方①〜型紙作り〜

          気管切開をした人は、切開したところから気管カニューレを入れておく必要があり、それが抜けてしまうのを防ぐためにカニューレバンド(カニューレホルダーともいう)というものを首に着ける。 気管カニューレはメーカーによって微妙に形が違うようだが、とりあえずここでは娘のカニューレを載せておく。 そして、このカニューレには紐が付属しているのだが、看護師さんの勧めもあり私はその紐は使わずにカニューレバンドを手作りしている。 作り方は正直言って自己流だ。ド素人なので、プロの方には見せられた

          わたし流カニューレバンドの作り方①〜型紙作り〜

          カニューレバンド作製時の愛用品

          娘は2019年1月に急変し、そのとき以来寝たきりになってしまった。 そして抜管できないまま2月上旬に気管切開をし、人工呼吸器ユーザーになった。 カニューレバンドとはそれ以来のお付き合いだ。 そしてカニューレバンドは消耗品だ。 劣化したものは使えない。カニューレの事故抜去を防ぐためだ。 となると、けっこうな頻度で作り替える必要がある。 でも、日中面会して、夜帰宅後に家事をしているとバンドを作る時間がなかなかない。(眠気が勝ってしまうだけなのだが…w) そこで、私が手芸屋や

          カニューレバンド作製時の愛用品

          “死”について考える

          ※タイトル通り明るい内容ではありません。読みたくないと思う方はお控えください。 娘が急変してからすでに7ヶ月が経過した。 この7ヶ月間は、私たち夫婦にとって辛い選択の連続だった。でもそれをきっかけに私の中での生死観が大きく変わったのも事実だ。 以前の私がもつ“死”へのイメージは 苦しい、こわい、イヤ、避けたい、考えたくない… と、マイナスなイメージしかなかった。 まぁとにかく身近なモノではなかったのだ。それがどのように変わっていったのか、今どんなイメージを持っている

          “死”について考える