“死”について考える
※タイトル通り明るい内容ではありません。読みたくないと思う方はお控えください。
娘が急変してからすでに7ヶ月が経過した。
この7ヶ月間は、私たち夫婦にとって辛い選択の連続だった。でもそれをきっかけに私の中での生死観が大きく変わったのも事実だ。
以前の私がもつ“死”へのイメージは
苦しい、こわい、イヤ、避けたい、考えたくない…
と、マイナスなイメージしかなかった。
まぁとにかく身近なモノではなかったのだ。それがどのように変わっていったのか、今どんなイメージを持っているのか、整理しておきたい。
選択①−「“手術をしない”という選択肢もあります」
これは娘が急変し(詳細はまた別の機会にまとめたい…とは思っている)、1週間の間に立て続けに2つの手術をしなければならなくなったときにPICUの先生に言われた言葉だ。
娘の元々の疾患は、生命予後が極めて不良と言われているものなので(これもいつかまとめておきたい)
・手術がうまくいっても脳の回復は見込めない
・術後すぐに亡くなる可能性もある
・それなら、もう出来るだけ体に負担をかけずに、ご家族で最期の時間を過ごすという選択肢もある
こんな感じのことを言われた。
(もっと優しくやんわり言われたと思うが、如何せん記憶が定かではない…)
私はそれまで、娘には何としてでも生きていてほしいと思っていたが、そのとき初めて
「娘も、もうその方がいいのかな…」
と思ったのを覚えている。
ただ、やはりギリギリではあるが踏み止まってくれている娘を目の前にして
“「手術をしない」という選択をする決断”
が、私にはどうしてもできなかった。
頑張って生きようとしている娘を見殺しにするような、そんな感覚だった。
手術しないという決断ができない以上、手術をお願いすることにした。
夫も、同じ考えだった。
二つの手術(V-Pシャント手術、気管切開)を乗り越えた直後の娘。久々に挿管されてない顔を見ることができた。
選択②−選択肢のない選択
1週間に2つの手術を乗り越えた娘は、ようやく命だけは助かったかなと思われた矢先、脳幹出血を起こした。
脳幹とは生命維持を司る部分であり、そこから出血したということはどういうことか、想像に難くない。
「CT画像を見ましたが、もしこれが大人なら…
救命は諦めます。」
と、PICUの先生にハッキリ言われた。
「でも、子供だからどうなるか分かりません。乗り切ってくれるかもしれません。それでも、彼女が背負ったハンデはとても大きいです。もしかしたら今日明日の命かもしれない…だから、会わせたい人がいたら会わせてあげてください。」
もう、何も選択肢はなかった。
「先生、娘は今、苦しいですか?」
「今は深く眠っていますし、もし循環が維持できなくなり呼吸が弱まるようであれば、お薬を使って苦しさを感じさせないようにしてあげることもできます。」
そっか。よかった。苦しくないんだ。
よかった…よかった…。
私は、娘にはもうとにかく苦しい思いはさせたくなかった。
だから娘が苦しんでいないことが分かると心底安堵した。そして…自然と、お別れを受け入れることができた。つまり、
“死を受け入れるという選択”が、初めてできたのだ。
私の中ではこの「娘が苦しんでいない」ということが、死を受け入れる大きなキッカケだったように思う。
詳細は省くが、それから10日後、娘は一般病棟に転棟した。
選択③−救命措置の意思表示
一般病棟に転棟するにあたり、今後もし命に関わるようなイベント(先生方はこういう言い方をするが、いわゆる良くない出来事)が起こったときに、どこまで救命措置を取るかの意思表示をしておかなければならなかった。
私たち夫婦は
・無理な救命、延命は希望しない
・最期は抱っこしてあげたい
・もしその場に我々がいなかったら、病院に到着するまでの間、先生方の判断で無理のない範囲の延命措置をお願いしたい
と伝えた。
(無理のない範囲とは、例えばろっ骨が折れるほどの心臓マッサージはしない等、なるべくキレイな身体でいてほしい旨を伝えた。)
「それでも、その状況にならないと正直分かりません。考えが変わって、助けてくださいとお願いするかもしれません。」
と最後に付け加えた。
主治医の先生は、快く私たち夫婦の意思を受け入れてくれた。
このように、急変する可能性があるお子さんの親御さんには、どこまで救命措置を希望するかの意思表示を事前にしてもらい、電子カルテに記しておくことが多い。
万が一救急搬送されたときなどに、担当する医師がその情報を元に治療方針を決めるためだ。
ちなみに、2年前に娘が初めて退院したときにも同じことを確認されたがそのときは「できる限りのことをしてほしい」と希望していた。
選択④−高度な管理か、それとも
現在も一般病棟に入院中の娘だが、頻繁に体調を崩すことが続いている。
そして1ヶ月前、今度こそ命が危ないかもしれないという状況になった。
幸いその日のうちに小康状態にはなったが、そのときに、もっと高度な管理ができるPICUに再度転棟するべきかどうかが主治医始め主科の先生方の間で話し合われた。
そして、
「移るなら小康状態の今です。PICUに移ればここより高度な管理ができます。今の段階では、在宅を目指せる状態に戻る可能性は十分にあると考えています。でも、それが〇〇ちゃんのためかどうか…最後はご両親が決めてあげてください。我々としては、もちろんPICUほどの管理はできませんがここで診てあげたい*…と思っています。」
*PICUは集中治療科の医師が対応するので、転棟すると基本的には主治医の手を離れる。
主治医の先生が、涙を堪えながらそう言ってくれた。
こんなに心強くてこんなに嬉しい言葉があるだろうか。
もしここで娘の命が助からなくても、悔いはない。この先生方と一緒に看取りたい。
そう思った。
それと同時に、私はPICUでの処置を思い出していた。
静脈とは別に鼠径部からAラインという動脈のルートを取り、何本もの管を入れ、たくさんの点滴ポンプに囲まれた小さな娘。
またあのときと同じことをさせるのかと思うと、心臓をぎゅっと握り潰されているような、そんな感覚になった。
あんな姿はもう、見るに堪えないと感じた。
娘も、そこまでして生きたくはないんじゃないか。
もう、苦しみや痛みから解放してあげたい。
自然とそう思った。
そして主治医の先生には、PICUへの転棟は希望しないことを伝えた。
その後、娘はそれ以上悪化することなく数日かけて徐々に回復してくれ、今に至る。
“死”は“苦しみからの解放”
このように、私たち夫婦は心をえぐられるような選択を何度も経験してきたが、こんなことそうそうあることではないし、娘がここまで危機を乗り越えてこれたのは幸運だったとしか言いようがない。
もちろん、娘の生命力の強さもあるだろう。
娘の生命力には、私たち夫婦も先生方も看護師さんたちも、みんな驚かされている。
それでもやはり、脳に大きなダメージを受け出血もしていることから、乗り越えた分だけ身体が丈夫になるわけではない。
むしろその逆かもしれない。
娘は今、どんどん短くなっていくロウソクの炎を懸命に燃やしているような、そんな状態なのかもしれないと思うことがある。
いつその炎が消えてしまうか分からない。
それは明日かもしれないし、何年か先かもしれない。
それがいつであれ、親の私たちよりも先に炎が消えてしまうのは確実だろう。
「お父さんとお母さんよりも長く生きることではなく、お父さんとお母さんに見守られながら旅立てることが、〇〇ちゃんにとっての幸せなんじゃないかと思います。」
PICUから一般病棟に転棟した当初、主治医の先生に言われた言葉だ。
そのときもまた、先生は涙を堪えていた。
娘にとっての幸せ、か。
それは考えても永遠に答えが出るものではないし、無理に出そうとしなくていいと思っている。
ただ、先生の言う通り、娘が命の炎を燃やし続ける限りはずっと側にいてあげたい。
以前、娘と似たような状況の先輩ママさんに、
「そういうときがきたら、きっと本人が何かしらサインを出すから。」
と言ってもらったことがある。
なるほど。
それなら、あとはもう本人に任せるしかない。いつまで炎を燃やし続けるかは、きっと本人が決めるんだろう。
そして「もう燃やすの疲れたな」というときが来たら、そのときは
「たくさんがんばったね、ゆっくり休んでね」
と、炎が消える最期の瞬間まで見守ってあげたい。
今はただただそう思っている。
辛い選択を重ねてきた今なら言える。
“死”は決して“苦しいもの、イヤなもの、避けたいもの”ではない。
むしろ、“苦しみからの解放”なんだと。
そうやって考えると、“死”は喜ばしいことですらある気がしてくる。
人生の旅路のゴールを無事に迎えられた、とでも言えるのかもしれない。
もちろん残された側の人には、大切な人が居なくなってしまったという耐え難い程の寂しさが襲ってくるものだけど。
私だって、娘がいなくなった世界を想像するだけで泣けてくる。
…でもやっぱり、苦しませたくないのが一番、かな。
大丈夫、現代の医療で本人には苦しみを感じさせずに済むんだから。大丈夫、大丈夫。
そう自分に言い聞かせる。
寂しさが襲ってくるたびに、何度も。
最後に
“死”は、“苦しみからの解放”であり、“人生の旅路のゴール”
もちろんこれは私だけの考えであり、誰かに押し付ける気は全くない。
状況も人によって違うだろう。
だからもしこの文章を読んで「それは違う」と思う人がいてもそれは別に構わない。
私自身、この先考えは変わると思う。
それに、こうやって“死”と向き合う時間をたくさんくれたのは、ある意味娘なりの親孝行なんじゃないかと思っている。
親思いの、強くて、自慢の娘だ!
でもね。
やっぱり、まだまだ“そのとき”が来ないでほしい、なんて思っちゃうのが親心だから。
もう少しの間、あなたが許す限りは側に居させてね。
娘の命の炎は
今日も
小さくも力強く燃えている。
終わり