入院生活はブルーハーツ【娘の記録③】
今回は入院生活のことと胎児の経過を書いていきます。
気ーーがーー狂ーいーそーう
妊娠23週のときに、子宮内胎児発育不全と羊水過少のために管理入院となった。
私にとってこれが生まれて初めての入院生活だった。
そもそもこの入院も、私自身は健康そのもの。
今まで慌ただしく仕事をしていた身としては、一日のほとんどをベッドの上で過ごさなければならないという状況はとても新鮮だった。
…最初だけは。
2、3日経つともう暇で暇で仕方がなかった。
「何かしなくてはいけないのでは」と、何もしなくていいはずなのに、というか何もしないでじっとしているのが今の私の仕事なのに、常に何かに焦っていて心が休まらなかった。
しかも慌てて入院したものだから、時間を潰すためのアイテムを持ってこなかった。
そりゃそうだ。引っ越したばっかりで荷物は殆どが段ボールの中だったんだもの。
もはや気が狂いそうだった。
頭の中でTHE BLUE HEARTSの「気ーーがーー狂ーいーそーう」のところだけが頭の中で何回もリピートして、シャウトしながらヘドバンでもしたい気分だった。(いや、抑えたよ?)
そして暇すぎるが故に検索魔と化した私は、ただひたすらスマホで「子宮内胎児発育不全」と「羊水過少」のワードを検索し、妊婦向けのQ&A的なサイトやブログを読み漁った。
「子宮内胎児発育不全と言われました。今◯週で◯◯gです。病気や障害などあるのではないかと不安です。大丈夫でしょうか。」
といったものは割と見つけられたが、自分のお腹の子よりも小さい子は誰一人として見当たらなかった。
しかも、
「ウチの息子は◯◯gで生まれましたが、◯歳になった今では元気に走り回っていますよ〜」
といった回答ばかりで、なんだ、やっぱ多少小さくても大丈夫なんじゃん!と自分に言い聞かせていた。
入院前にも、たくさんの出産経験者(生徒の保護者含む)から
「小さく生んで大きく育てる!」
と耳にタコができるくらい言われてきた。
(この言葉の後には“ただし病気じゃない場合に限る”と続くわけで、もし今この言葉を言われたら私はフンッて鼻で笑ってやるけどね)
当時の私は、そっか、それならきっと大丈夫。と信じるしかなかった。
しかし、そう呑気なことも言っていられなくなってきた。
1日1回行うNST(ノンストレステスト)で、時々胎児に徐脈が見られるようになったのだ。
一時的なもので心拍は長くても2分程ですぐに戻ってくるのだが、徐脈というのは心が落ち着かなかった。
徐脈になる度に看護師さんが飛んできて、念のため!一応!お守り!と酸素マスクを渡され酸素を吸入していた。
この徐脈は、どうやら羊水が少ないためにへその緒がちょっとの体動で圧迫されて起こっているのではないかと先生に言われた。
かと言って対処方法はない。まさかお腹の中の我が子に動くな!なんて言えない。注意深く見てもらうほかないのだ。
そのため、1日1回だったNSTが1日2回、最終的に3回に増えた。
しかも普通は1回40分程で終わるのだが、徐脈が出るたびに終了時間が伸びて1時間以上つけっぱなし、徐脈の度に気が気じゃなくなるのに私は動けない、という拷問のような時間を過ごしていた。
本当に気が狂いそうだった。
いや、少しメンタル崩壊していた。
そして入院から1ヶ月が経った頃(先生に様子見と言われた2、3週間で発育や羊水の量に改善が見られなかったので入院は当然延びた)、ついにお腹も張るようになってきた。
お腹が張ると徐脈が出やすくなった。
これを機に24時間張り止めの点滴をすることになり、一般病棟からより高度な管理ができるMFICU(母体・胎児集中治療室)に移った。
MFICUはご親切に全室個室で、部屋の外に出ていいのは何かの検査のときと洗濯をするときだけだったため、気の狂いっぷりが加速した。
たまに顔を出してくれる看護師さんだけが会話の相手だった。
この時期のスマホの写真フォルダには、点滴の挿し替えでアザだらけになった腕の写真と、NSTで徐脈が現れたときの記録用紙の写真がたくさん残っている。
せっかくなので一枚載せておく。
左の線が胎児の心拍。右の線がお腹の張り。
お腹が張ると徐脈が出る。見事にタイミングが一致している。
暇つぶしのアイテム
ここで私が入院中にどうやって暇をつぶしていたか紹介したいと思う。
まずは、読みたかった小説をピックアップしてみた。(これ自体が暇つぶしね)
そしてそのリストを夫に送り、ブックオフで買ってきてもらった。
めちゃくちゃ読んだ。
読んで読んで読みまくった。
当時の記録を見ると、1ヶ月ちょっとで17冊読んでいた。
コウノドリの漫画も大人買いしてきてもらい、読んでは感動したり不安になったりしてこっそり泣いていた。
人前で読んではいけない漫画、その名もコウノドリ。なぜ読んだ、私。
ちなみに、主治医(女性)が山積みになっていたコウノドリを見つけて「私も全部持ってる!この漫画はね〜、よくできてる!」と太鼓判を押していた。
それと暇つぶしアイテムがもう一つ。
赤ちゃんの名前を考えること。
これは入院から1ヶ月以上経ってからようやくやる気になった。それまでは無事に生まれてくるかも分からなかったので、嬉々として名前を考えることができなかったのだ。
ようやく胎児の推定体重が500gを優に超え、生まれても助けられる可能性が出てきたと言われたのがきっかけで、これまた夫に名付けの分厚い本を買ってきてもらった。
そして暇すぎるが故に、姓名判断のページから熟読し、画数バッチリな名前だけをいくつか考えていた。
ちなみに娘はエコーの度に脚をぎゅっと閉じていて、「多分女の子だと思うけど、この子は生まれてみないと分からないね」と言われていたのもあり、私はなぜか男の子の名前から考えていたのだ。
その後、女の子の名前を考え出す前に緊急帝王切開になり、結局娘の名前は生まれてから慌てて考えた。しかも画数もあまり気にしなかった、というオチ。
読書と名付け。この2つが終わりの見えない入院生活中の私の精神安定剤だった。
戦友たちとの出会い
入院生活を振り返り、唯一良い思い出になったことがある。
それは、一般病棟入院中に同じ部屋だった妊婦さんたちとお友達になったこと。
双子ちゃん妊娠中だったり妊娠高血圧だったり妊娠糖尿病だったり事情は人それぞれだったけど、長期入院の辛さを今まさに一緒に経験している、いわば戦友だった。
カーテンの中で閉じこもっていた私は、カーテンを開け放ち、みんなで一緒に昼食を食べ、昼食後はしばらく女子トークをして過ごした。
お互いの仕事や家族、妊娠の経過など、たくさんたくさん喋った。
あの時間にどれだけ救われたか。
完全に気が狂うのを防いでくれたのは、紛れもなく戦友たちの存在だった。
そして未だにあのときのメンバーとは連絡を取り合う仲で、今までに何回か双子ちゃんのお家に集まって同窓会もした。
疾患持ちは娘だけだけど、みんな優しくて居心地がいいメンバーだ。大切なお友達。
出会えてよかった。
長くなってきたので、今回はここまでにします。
次回はいよいよ出産時の話です。
続く
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