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「最後だと分かっていたならば」

 やらなくちゃならないことの一覧を作っただけで終わる日曜

的な短歌を詠んだのは枡野浩一(かその仲間)さん。今日はまさにそんな一日。
いや、それでも意外と「いろいろ」としたつもりなんだけれど、それでも「一覧」はほとんど減らず。と言うか、したことを新たに「一覧」に書き足しては赤で消してく作業。なんだかなぁ…。

 やんなくちゃなんないときはやんなくちゃなんないことをさぁやんなくちゃ

これもまた枡野浩一(かその仲間)さんの歌。ホント。明日こそは!(…と言い続けて50数年。(涙))

「やらなくちゃならないことの一覧」には無かったが、夕方、新聞屋さんにお金を払いに行く。(財布を忘れたので一度出直し。帰ってから、わざわざ「一覧」に「新聞代」と書き足してから赤でそれを消す。)
税込み? 3千円ちょっと。
「来月から値上げなんですけど…。」
「え、ホントに? いくら?」
「3,500円です。(税別?)」
「めっちゃ高いやん!」
「はぁ…。(汗)」
「って言うかさぁ、もうかれこれ数十年も取ってるのに解約もさせてくれないしさぁ、前に『他紙は値上げするけどうちは頑張る』とか言ってたやん!」
そして、そもそも全然読んでないのに…。


晩ごはんはちょっと雑炊。何か買いに行きたかったのだけれど、すでに飲んだくれだったので、炊飯器内に忘れ去られていた可哀想な冷やごはんで。
茶碗を使うと洗い物が増えるから、鍋ぐち。鍋敷きが無いので、ここで新聞の活躍♪ 6月8日。附属池田小事件20年の記事。1面のコラムに『最後だとわかっていたならば』と。

私も、「子がいるとき」、毎朝そんな気持ちで彼の寝顔に「行ってきます」を言い、逆に彼を送り出すときはその背中を見ていた。今年3月31日の別れが「最後」になるのかどうかは分からぬが、そのときの別れはちゃんと心に刻んでいる。それが「最後」かどうかはいまだ分からぬが。
「妻」とは31日の夕には出会ってないから、ちゃんと別れを告げてもいないし、何が「最後」だったか分からない。もちろん、「最後」の別れを告げる必要は無かった(無い)のかもしれないけれど。