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「希死念慮」について。

昼前、隣の席のアラサー男子がスマホを触ってて、
「うわっ、マジか!」
と。最初はスルーしていたのだが、そのままスマホを見て固まっているので、
「…ん?」
と言うと、
「アメリカがWHOを離脱しました。」
って。「マジか…。」
ちょうど、今朝、出勤中のカーラジオで「大統領令とは何ぞや」みたいな話をしていたのだが、こんなことが出来るだなんて言ってたっけ?
「コロナウイルスのときの腹癒せだよね。」
と、今夜、「腹癒せ」ってことばをnoteで使うつもり(予定)でいたので、つい口から出ちゃった。

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昨晩、また「死にたい。」と書いてしまい、読んでくださっている皆さまには不快な思いや、どうしていいのか分からないような気持ちにさせたことと思います。失礼いたしました。
昨日は、音声で録った息子の高校入試のことや、先日の「妻」からのメールのことなど考えていたらつらくなり、また、「妻」に対する当て付け、腹癒せのような気持ちもあって、死んでしまいたいような気持ちになりました(でも、出来ることならばそんなネガティブな気持ちで死にたくはないのですが(いや、自殺はすべてネガティブ…?σ(^◇^;))。)。いつもはあとになって削除したりもするのですが、昨夜は、なぜか、削除する気持ちにも(まったく)なりませんでした。(1月26日、削除しました。)

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そんな気持ちが顕れていたせいか、窘(たしな)められる(?)こともなく、むしろ(?)、
「こじかさんが希死念慮を抱くときはどんな感覚?」
などと質問を戴きました。

私、今日の「アメリカ、WHO離脱、パリ協定離脱」とかもそうだし、例えば、過去の国内の国政選挙でも、「〇〇党圧勝!」みたいなニュースに触れると死にたくなったりします。しました。
将来に対し、(自分が考える)希望が思い描けないと感じたとき、私はこの世界から降りたくなる。そう、「今の世界から降りたい。」というのが私の「希死念慮」だと思います。

「希死念慮」は、「自殺願望」とイコールですか? よく分からないのですが、私は、あまり「希死念慮」とは書きません。なので、タイトルの「希死念慮」には鉤括弧を付けました。

質問してくださったYさんが、ご自身にとっての「希死念慮」を、「穏やかな気持ちになりたい」ことだと書いてくださって、はい、私もそれとほぼ同じなのですが、なんとなくニュアンスが違うかなあ、私は、「穏やかな状態に対する憧れ」かと思っています。

私の今の状況、私にとってはつらくって、出来ることならばもっと幸せになりたい。
具体的に考えると、4年近く会っていない息子には会いたいし、可能ならば「妻」とも仲直り(???)をして「家」に帰りたい。でも、後者については会話すら出来ない状態なので、まああり得ないでしょう。ならば離婚をして、小林聡美的な女性と再婚して幸せな老後を過ごしたいけれど、離婚するためには「家」を含めた財産の分与について話し合う必要があり、それは私と「妻」だけでは出来ないでしょうから、弁護士を依頼する必要もあるのかもしれない。でも、今の私にはそんなパワーは無い(お金も無い。)。そんなとき、もうすべてを打っちゃって、「この世から降りたく」なってしまいます。

三島由紀夫が、
「太宰治さんの文章が嫌いだ。太宰さんは身体を鍛えればいいんだ。」
みたいなことを言ったといいますが、それは確かにもっともなことで、今の私のぐずぐず言っているのも、日々運動をし、食生活を改めさえすれば、少しは(簡単に?)改善されるような気がします。でも、それが出来ない。だから「降り」たくなるんです。

死ぬのが怖いという気持ちはあまりありません。
ただ、老母や息子やに申し訳ないような気持ちはやはりあります。
「妻」には、うーん、まあどうだっていいのですが、でも、やっぱり迷惑を掛けることについて、申し訳ないような気はします。いや、でも、あんまりキョーミ無いかな…?(彼女が私に対して「興味無い」と言うのと同じように。)

前にも書いたように、
「死んだら勝ち。」
だと思っています。けど、死ぬことに、ではなくて、勝つことに、そんな勝ち方をすることに(?)、何となく躊躇いがあります。勝っちゃっていいのかなぁ…、って。

こんなことをぐだぐだ考えてるくらいなら、書いてるくらいなら、そんなことすべて投げ捨てて死んじゃう方が楽かなって、そんな気持ちですね。それが私の「希死念慮」です。(いや、全然書き切れてない気もする…。)

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文章。敬体と常体がぐちゃぐちゃに混じってますよね。しかも、何が言いたいのかまったくもって分かりにくい。ごめんなさい。
直すの、ちょっと大変そうなので、このままアップします。ご容赦!