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鏡の中の鏡(ミヒャエルエンデ)【こいつあ、とんだ読書紹介だったな】

本当は怖いミヒャエルエンデ。

ミヒャエルエンデ、と言えば代表作は(日本では)
「ネバーエンディングストーリー」
「モモ」
ですよね。いわゆる童話作家。

でもそのミヒャエルエンデが、本当は怖いグリム童話、みたいな怖い系の話を書いたらどうなるのか? そういう本を御大は亡くなられる前に書いてくれてました。

本人には怖い系の本を書いたという自覚はありません。
大人向きのファンタジーを書いたお、とおっしゃられていました。
それを書評は「絶望したエンデ」などと書いたらしく、御大はまたしても「いやいや、私は絶望なんてしてないですよ。よく読んでください」などと。
御大からすれば、絶望系でも怖い系の作品でもなく、大人が良くも悪くも夢に出てきて忘れられなくなるような、もにょるものを作りたかったみたいなのです。

はい、もにょりたい方は、お買い得です。

解釈の仕方によって、物語は色々な意味になります。
ある版では精神分析の観点から各話の謎解きをするあとがきを載せており、私のやつにはそんなん載ってないですが、まあ大丈夫。
というか予備知識ゼロのまま初見で感じて、初見で“もにょ”ることを、御大は期待していたみたいです。
ゲーム実況をエンディングまで見てからゲームを買うような奴は、ゲームを楽しんでるとは言えん派の方ですね。

ちなみにこういう裏話は子安美知子さんの「エンデと語る」とかいう本に書いてありました。

まあ、作者の希望なんでネタ晴らしは良くないですが、さわりだけ、いちばん有名なやつだけ軽く紹介しておきましょう。

そこは不幸の街。そこにいると必ず不幸になります。不幸な人間はそこを出ることはできず、幸福な人間しか出ることはできず、幸福になれるのは最初から幸福なものだけ。
そんな逆説的な街で父が作った作り物の翼をまとい、少年は街の外に出ることを実行に移します。少年は希望にあふれています。自分は幸福を信じている。(中略)いましたが、気がつけば夕方。
遠くで夕暮れの果てに合格者たちが合格を告げられています。少年は飛べませんでした。

こんな感じ。

聞くところによると、あるインテリがエンデ御大に文句をつけたそうです。
「あんなに他人の不幸を肩代わりし、善意の塊だった少年が幸福になれなかったのはおかしい。あんな話は間違っている」
対して御大「もういちど読んでみてください」

一蹴ですよ。

まだありますよー。話が深淵に向かえばこんなレベルではすみません。
読むも地獄、閉ざすも地獄、理解すればさらなる地獄、というエンデ地獄があなたを待っています。

というか、こういう話はファンタジー小説のテーマ持ってくるときに良い材料になりますね。
小説を書いてる人は材料としても重宝するかもしれません。
なろう系の隠し味としてどうですか、こういうのさらっと入れておくの。
いい感じになりますよ。

うん、これ以上はもう書かない方がいいかな。
今回の紹介はミヒャエルエンデ「鏡の中の鏡」でしたー!

まじめな書評を知りたい方は下をどうでしょう?


#読書の秋2022  ♯童話

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