サン・ガルガーノ修道院跡を廃墟のまま残した奇跡
つい数週間前まで外で食事をしていたのに、日々何かに急かされるように気温が下がりはじめ、数日前には雪まで降った11月末、何十年ぶりにサンガルガーノ修道院跡に行きました。
この時期のイタリアは、16時半には暗くなり始めます。陽があるうちにと、モコ(愛犬)が走り回る糸杉の連なる道を早足で歩きながら、冷たい手をポケットに入れ、数台しか車が止まっていない駐車場から修道院跡に急ぎました。
理屈なしに感銘を受ける場所、風景、芸術作品や建築物があり、サンガルガーノ修道院の壮大な遺跡(廃墟)もその一つです。
廃墟の中に入った途端、あの、胸の中の圧力を一瞬のうちに抜かれたような感覚に包まれました。立ち止まり、周りを見回すと、寒さも感じず、一緒にいた友人だちの話し声も聞こえず、この場所と私だけの特別な次元に辿り着きます。
高貴な騎士ガルガーノ・グイドッティは、快適で裕福な生活を放棄した後、シトー会の修道士となり、1180年に隠者としての死を選びました。
その後、シトー会の修道士たちは、聖人となった修道士を讃えるためにサンガルガーノ修道院を建てました。
この修道院は、イタリアのシトー派ゴシック建築の中でも最も魅力的で格調高いものの一つとされています。
13世紀中頃に完成し、その豪華さと富で隆盛を極めた修道会は、14世紀初頭の飢饉と、世紀中頃のペストに襲われ、その運命に大きな影が差し始めます。
その後、傭兵団に何度も略奪され、シエナ共和国とローマ教皇国の権力争いに巻き込まれ、16世紀には修道士が一人しかおらず、修道院も廃墟化し衰運の一途をたどります。
そして、1786年1月6日、高さ36メートルの鐘楼が雷に打たれ崩壊し、屋根の大部分が崩壊されました。
19世紀末に、このモニュメントへの関心が復活し、修復が検討され始め、建築構造が調査され、建物全体が徹底的な歴史研究の対象となった結果、改築や増築は行わず、ただ、残っている部分を修復しました。
例え隆盛を誇った修道院だったとしても、屋根の鉛まで略奪され、朽ち果てた廃墟を何百年も解体せずに放置していたことはもとより、修復が検討された時、そのままの廃墟の状態で保存することを決定したことは、奇跡的な鑑識だったと思います。
高い壁だけしか残っていないこの修道院には、過去の記憶やここを通り過ぎた人たちの思いが染み込んでいるはずです。隆盛と退廃の厳しい歴史を辿り、朽ち果て200年以上の間、壁だけしか残っていない状態でありながら、この修道院は言葉を超えて美しく、神秘的で高貴です。
それは、私が今までの人生で知り合った人の中で、一番強く美しい女性が、90歳を過ぎ、病床から起きれなくなっても、凛として、私の目を温かくも射抜くような視線で見つめながら会話していた、崇高で静かな気迫を思い出させました。
あの女性も逝ってしまった。
私とこの場所、静寂を切り裂くように飛び交う鳥の羽音と鳴き声が、過去と私を繋いでいるようでした。
私にとって忘れられない映画、タルコフスキーの「ノスタルジア」のシーンが甦ります。
肌に刺さるような冷たい空気の中、どんどん赤く染まっていく夕焼けを見ながら、今、自分が生きていて、大切な家族や心を許せる友人とここにいることの幸せを感じました。