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認識のアップデート
読書している。
面白いんだけど、ちょっとずつしか読めない類の本。わたしにとっては。やることが少し空いて、頭のキャパが比較的あるときに読む。なんてやってたら、買ってから4ヶ月も経っている^^; いまは2の途中。
わたしのサブカル摂取は、中高時代(90年代)をピークに、大学入学(99年)以降半減して、卒業後(05年~)はほとんど止まっていた。
でもどうやら、そのゼロ年代以降に、この辺のカルチャーが、大きく変わったらしい。その様相がよく言語化されていて、作品に触れる量が半減したなりになんとなく感じていた「違和感」が整理された。
キャラ萌えや二次創作の位置づけが、今までわたしの中では「オタク的な、一段下がったところにある文化だ」という認識があり、真っ当な社会にはあんまり胸を張れない趣味だなーと思っていたんだけど、その卑下はもはや意味を持たないし、卑下自体も時代の流れの一部である、と思えた。
あとは、本の趣旨とは違うのかもしれないが、作品におけるキャラクターというものが、具体的な人間から切り離された一種の『元型』のような役割をしている、という概念が、この本を読むことでわたしの中に明確に定着した。
自分と、創作の中のキャラクター、ステレオタイプ(たとえば美少女)が、精神の中で分離できない故の苛立ちや苦しみ(自分は女ではあるが美少女ではないので愛されない、的なやつ)を感じていたのが、
わたしはキャラクターに見られる元型を一部保有しているだけあって、同じではない、と明確に言語によって区別でき、わたしの精神はとても楽になった。
こんなのは、出来ている人にとっては当たり前のことで、バカにされる話なのかもしれない。
でも、同じようにどこか融解した自我を持っている人にとっては、深刻な問題なの。
というか、フェミニズム系の問題で女性の表現を叩いている人の一部(もしかすると大半)は、これなんではないかと思ってる。
読書に話を戻そうかな。
いま、自分が生きている世界を作っている、当たり前だと思っている人類の共通認識は、歴史で習ったものと同じ、ずっと揺らいでゆくものなのだな、と思った。
歳を取ると、自分の処世術に自信が出始めて、それゆえか新しいものを取り込むモチベーションが減ってくる。
でも、いまはますます、それは怖いことだと感じる。だって、どんどん変わっているし、その変化のスピードも増しているんだもん。自分から手を伸ばさなければ、そのことさえ見えない。
わたしは、ひとの心や、世界のゆくえをみる仕事だし、商売やってるし、あとは、純粋に興味の面からも、変化にいつも、アンテナを立てておきたい。(上の本はそれなりに古いので、急いで追いつかなければ…)
もっと勉強しよー。
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