所持と所有
6年前に一目惚れして買ってから気に入って付けているVOIDの腕時計を落としてしまい、盤面にヒビが入ってしまった。
仕事に支障がでるので同じものを買い直そうと思っているのだけれど、既に6年も共に過ごしてきた為か、どうにも腕に馴染んで手放すことを少し躊躇している。
以前購入したときは検索から「北欧」などといった言葉を入れて検索し、私の目に流れてきたわけだが今回はどの時計か決まっていた為 HPを読んでみることにした。
公式HPによるとVOIDには、こんなコンセプトがある。
『所有も支配もできず、計測することしかできない「時間」という概念。それを銀河が全く存在しない宇宙空間<ヴォイド>に例えて、新たな時間の捉え方を提案します。スカンジナヴィア・デザインの手法を踏襲した、シンプルなフォルムと繊細なフィニッシングが特徴です。』
※スカンディナヴィアは、ヨーロッパ北部のスカンディナヴィア半島周辺の地域。
シンプルなフォルムや繊細なフィニッシングについてはVOIDの時計をご覧いただけるとお分かりいただけるだろうが、VOIDのコンセプト自体はとても考えつかないものであった。
そもそも「時計を持っています。」と人が口にするとき、時計を"所持" しており、その場に持ち合わせていなかったとしても"所有" していることになる。
その所持も所有もできない時間を体現した時計を所持、所有するということになるとは思ってもみなかった。
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では"人" はどうだろうか。
私が昔、好きで読んでいた少女漫画には自信が溢れる男性が女性に向かって「お前は俺のものだ。」と悠々と言ってのける。
まさに「私はあなたを所有します。」という宣言なわけだが、それを聞いた女性は戸惑いながらも喜ぶのである。
でも"人" は所持も所有もできないのです。
恋愛ではしばしば「私のもの。」という表現を使っているが、"私の" だと思って思い通りにしようとすると、思い通りにならないのでイライラしてしまうことってありますよね。
面白いことに英語だと「I have two daughters.」というように所有の"Have" を使います。
しかしここでも自分の子どもですら、所持・所有は出来ないのです。
人の精神も肉体も根本的には自由なんですね。
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そういえばギリシャ語では「私の関係のなかで存在する」という言い方をするそうです。
人は誰かとの関係の中で生きる、すなわち"在る"ものであり、"持つ" ものではない。
ちょっとした言葉の選択なのだけれど、その表現の仕方がとても素敵だなと思いました。
と理解しつつも独占欲の強い私は今日もあなたが私を思い出してくれたら嬉しいなと思います。
私は、あなたの中に"在りたい" のです。
あなたにだけなので、少しだけ我儘を許してください。
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