見出し画像

寄り添いどころ

うれしいときー!
うれしいときー!
ハンバーグが食べられたときー!

で、お馴染みの都です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

冒頭で少しふざけたのには訳があり
今日は気持ちの寄り添う場所って
感情によって深度が違うなというお話です。



少し前のことです。
面白い!と思った感情と出会いました。

一つ目の感情は"喜び"や"楽しい"などの
"プラス感情"に寄り添ってもらったこと。




去年、友人たちと旅行をしたとき
ハンバーガーが喉に詰まりそうになるほど
笑い、楽しい一時を過ごしました。

あの時期は特に"嬉しい"や"楽しい"なんて
感情が溢れてきて止まらず、
私は旅行から帰ったあとも
余韻から抜け出せずに旅行の話を
嫌というほど共有しました。

何度話しても友人は嫌がらず、
むしろ楽しんでいるように
私の気持ちに寄り添ってくれ、
その気持ちがまた嬉しかったのです。



二つ目の感情は"苦しい"や"虚い"などの
"マイナス感情"に寄り添ってもらったこと。



旅行の後少し経ってから
私は苦しかったり、悲しかったり、
また虚しい気持ちに苛まれていました。

それを一人では抱えきれず
友人に相談していました。

友人が私より怒り、言葉を投げ返してくれたことに、私は感情に寄り添ってもらった感覚がして、とても救われました。



そんな二つの出来事により
色々な感情が駆け巡った身体と過ごした
去年の十二月、
私は二つの感情を友人に共有し、
一つ感じたことがありました。

それは
プラスの感情よりもマイナス感情の方が共有後に関係性の深度が深くなる
ということです。



本来マイナス感情というものは
人と人を引き離す副作用があります。

親子関係や職場で何かを伝えたいとき、
マイナス感情を乗せた言葉は
関係を離していき、本来の意図が伝わりにくいもの。

相手が見えないほど遠くから投げるより
近くで投げたボールのほうが
キャッチボールが簡単なのは
容易に想像がつくでしょう。

マイナス感情は
ぶつけると人と人を離してしまうけれど、
共有すると人と人を深く繫がる橋になるということは私にとって大きな発見でした。



それでは何故マイナス感情の共有が
人と人を繋ぐのでしょうか。

一つは、マイナス感情を共有する目的にあると思います。

私の場合ですが、プラス感情は共有するときに相手にも共感して喜んでほしい!という目的が一番にありました。

共に喜び合えると、より嬉しいのです。

しかしマイナス感情は、共有することで
私をより理解してほしいという目的があることに気が付きました。

私がどんな言葉に引っかかったのか、
どんな行動をされて傷ついたと思ったのか
私という人間を理解して分かって欲しいと思っていたのです。

そうなるとプラス感情は、共に喜び合えるものですが、私をより深く理解し、心を結んでくれるのはマイナス感情なのかもと思いました。



そして、もう一つは
マイナス感情を伝えるということのハードルの高さにあると思いました。

プラス感情の共有というのは、相手を喜ばせたりできると想像がつく為、関係性が浅くても深くても共有することが安易であるように思います。

しかしマイナス感情の共有というのは、相手を同じように悲しませてしまうことが想像できる為、伝える相手を選ばなければいけません。

聞いた相手がしっかりと聞き、受け止めてくれる信頼関係が築けているか、冷静にこちらの感情や話を判断してくれるのか、など伝えるにあたって、こちらが考え、選定する能力と気力が必要です。

そして、マイナス感情を伝えることは
心を開示することに当たるので
開示できる相手が居ない場合
共有すらできないことなのです。

そう思うと私はマイナスな感情も
プラスの感情も伝えられる相手がいて
本当に幸せだなと思います。



プラスの感情も伝えられること、
受け止めてもらえることは
本当に幸せなことですが

マイナス感情を伝えられることも
受け止め、共有できたとき
理解してもらえたという気持ちや
共有できるハードルを乗り越えられた
嬉しさでプラスになるんですね。



どんな感情でも
使い方さえ間違えなければ
手を繋ぐことができる。

私はあなたと手を繋いでいたいのです。

そして
手を繋いでいたいと思ってもらえたら
そんな幸せなことはありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?