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小説 「僕と彼らの裏話」 25

25.誓いの言葉

 気が付くと、冷房の効いた静かな部屋の、至って清潔なベッドの上で寝ていた。「いつの間に、ホテルに戻ったのだろう?」と考えていたら、右手の甲に点滴の針が刺さっているのが目に入り「自分は病院に居る」と理解した。
 入院用の病室ではなく、一時的に患者を寝かせて、検温や採血をしたり、点滴を打ったりするための「処置室」に居るのだと思われる。同じ部屋の中には、僕の他にも、私服や作業着姿のままベッドに寝かされて点滴を打たれている人が数人居る。

 僕は、起き上がって自分の体を見る。少し頭がふらふらするけれど、息は苦しくないし、特に怪我は無い。
(どうして……僕は、病院なんかに……?)
僕は、宮ちゃんと一緒に新居の内覧をした帰りに、駅で電車を待っていたはずだ。
(電車……!!?)
 そうだ。電車が入ってきた瞬間、何かに取り憑かれたように駆け出し、線路に飛び込もうとしたことを、思い出した。
 胸が疼く。息が苦しくなってくる。
 しかし、打たれている薬の作用なのか、今は恐怖心よりも眠気が勝る。……次第に、心は落ち着いていく。普段のように震えが来たり、涙が出たりはしない。
 呼吸が、妙に整ってくる。


 僕の記憶は、電車に向かって走り出すところで、途切れている。
 しかし、本当に飛び込んでいたら、今、こんな風に座ってはいられないだろう。誰かが、止めてくれたのだろうか……?

「稔、どうした?」
宮ちゃんの声がした。
 別の部屋か、廊下にでも居たのだろうか。しばらく姿が見えなかった彼女が、どこかから戻ってきたようだ。
 平坦な床の上、音も無くタイヤが回る。
 側まで来てくれた彼女は、当たり前のように、僕の、何も刺さっていない左手を握ってくれる。
「どこか、痛い?」
「いや……」
「それ終わるまで、寝てないと駄目だよ」
彼女が指した点滴は、まだ半分近くある。
「宮ちゃん……僕、なして病院になんか……」
「救急車乗ったの、憶えてない?」
「えっ。知らない……」
彼女は、そう答えた僕の顔を覗き込んでから、しばらく、じっと僕の眼を見ているようだった。僕も、滅多にない機会なので、ほんの数秒とはいえ彼女の瞳に見入っていた。
 僕が、大人ぶって目を逸らしてから「何だよ」と問うと、彼女は独り言のような小さな声で「あぁ、良かった。目が合う……」と言った。
 その瞬間に僕は、自分が彼女にどれだけ心配をかけてしまったか、やっと少しだけ実感した。
「…………憶えてないんなら、それで良いよ。私が今から説明する」
 彼女に促され、僕は再び横になる。
「あんた、駅で……電車が来た瞬間、ふらついて、倒れたんだよ。……それで、駅員さんが助けてくれたの」
あれを「倒れた」と偽るのは、彼女の気遣いだろう。そして、僕を引き戻して助けてくれたのは……あの、板を持って控えていた駅員ということか。
 僕は……何も言えない。彼女との新生活を目前に控えておきながら、衝動的に あんな行動に出た自分が、未だに理解できない。何を問われても、答えられない。あれが「現実」かどうかさえ、疑わしく思えてくる。
「私も、一緒に救急車 乗って来たんだよ」
「そうなの……?」
今は「倒れた」という、彼女の証言を信じる他は無い。
「私、お医者さんと話してきたけど……CTと血液は、どこにも異常無いってさ。『熱中症だと思います』って……」
(暑熱で脳の温度が急上昇して『異常行動』に及んだか……?)
それはそれで、納得がいく。
「ゆっくり休んで」
「うん……」
 その後、僕は看護師に起こされるまで、ずっと寝ていた。

 起こされて、点滴の針が抜かれた後、しばらく呆然としていたけれど、やがて立ち上がって廊下を歩くよう促された。
 大病院らしい、長椅子が無数に並んだ広い受付に案内され、宮ちゃんが呼んだタクシーが来るまで、隅の椅子に座って待っていた。
 既に会計を済ませてくれたという彼女が話していることの、半分も頭に入らない。僕の頭は、ほとんど「眠っている」に等しい。
(僕に『大黒柱』は無理ですよ、部長……)

 外は、すっかり暗くなっている。


 タクシーでホテルに戻ってからも、寝てばかりだった。宮ちゃんには「自分の家に帰ったほうが良いかも」と言われたけれど、僕は「あそこにはエレベーターが無いから」と断り、彼女と共に過ごすことを選んだ。
 彼女が買いに走ってくれた保冷剤や、スポーツドリンクの空き容器に囲まれながら、僕はずっと客室のベッドの上で、病院と同じように横たわっていた。
 尋常ではない倦怠感だ。「熱中症」だったのは、間違いないだろう。
 2人とも、夕食はコンビニ食で済ませたのだけれど、僕はインスタントの茶漬を一杯 完食することが出来ず、残りは彼女が引き受けてくれた。
 
 僕がベッドの上で、あの点滴の「中身」について ぼんやり考えながら天井ばかり見ている横で、彼女は、自分のベッドの上で座ったり寝転がったりしながら、ずっとスマートフォンを睨んで、何らかの「作業」をしている。
 僕は、横になったまま、彼女に声をかける。
「宮ちゃん、本当に ごめん……せっかく来てくれたのに、どこも観光できなくなって……」
「何言ってんの。私、観光しに来たんじゃないよ?……家を買いに来たの!」
「それは、そうだけどもさ……」
「今日は、死ぬほど暑いんだから『倒れても仕方ない』のよ!何も恥ずかしくない!だから、いつまでも、クヨクヨしない!」
さすがは元教諭、といったところか。励まし方や、気持ちの切り替えについて説く様が、板についている。小気味良いテンポで、ポジティブな言葉が並ぶ。
 彼女は、2つのベッドの間にある時計付きの台に、スマートフォンを置いた。
「……牧師さんの台詞じゃないけどさ。結婚するんだから『病める時も、健やかなる時も』だよ」
「うん……」
 僕は、夫として彼女を守りたかったけれど……どうやら、守ってもらわなければならないのは、僕のほうだ。
 彼女のほうが、僕なんかより ずっと気丈で、頼もしい。

 またも作業を再開し、しばらくスマートフォンに夢中だった彼女が、ふいに笑い出した。
「そういえば、稔……救急車の中で、ずっと『僕は、彼女と結婚します!!』って、叫んでたよ」
「へっ!?」
「……憶えてないんでしょ?」
「憶えてないね……」
彼女は「熱中症は笑い事じゃないんだけどもさ」と言いつつも、その瞬間の驚きや、知らない人にプライベートを暴露された気恥ずかしさを抑えきれないらしく、ずっとクスクス笑っている。
「もう、ね……凄かったよ?救急隊の人に何を訊かれても、ずっと一方的に叫んでるの。目が開いてて、言葉を話してるんだから、明らかに『意識はある』はずなのに、絶対に私達と視線が合わないし、まるで会話にならなくて……」
 なんだか居心地が悪くなって、僕は起き上がった。裸足のまま、絨毯敷きの床に足を下ろす。髪が ぐしゃぐしゃになっているであろう後頭部に手をやる。
「“錯乱“かなぁ……?」
「かなぁ?……人間って、暑いだけで あんなん なるんだね。すごく びっくりした……」
 まったく記憶に無いから、僕は何も言えない。しかし、ヒトが暑熱で錯乱することは「あり得る」というのだけは解る。
 彼女は、しばらく黙って冷静さを取り戻してから、言葉を継いだ。
「私のことだけじゃなくて……お父さんや お母さんが亡くなった時のこととか……カメラがどうとか、掲示板がどうとか、上司に殴られたとか、『僕はゲイじゃない!』とか……『ヒグマを食べてみたい!』とか……話がね、飛びまくりなの……」
 僕は、自分の【過去】を、ほとんど全部「叫んだ」ということか……?(ヒグマのことに関しては、過去に描いた漫画の台詞だ。心当たりがある。)
 だとしたら、それは、まるで吉岡先生の【フラッシュバック】だ。
 彼女の証言を聴きながら、先生がアトリエ内で過去の出来事について叫んでいたり、ものすごい剣幕で僕らを怒鳴りつけたりした時の様子が、するすると思い起こされ……同時に、救急車の中で、獣医師に牙をむく動物のように、救急隊員による処置に抵抗しながら「触るな!」「撮るな!」と喚き散らす自分の姿が、頭に浮かぶ。それが、日中に起きたことの「実際の記憶」なのか、今の自分による「空想」なのか……僕には、判らない。
「僕……このホテルで叫ばないように気をつけるよ」
「そだね。……しっかり水分摂りな」
「うん……」
「明日は、一日のんびりしよう。一緒に」
「……うん」

 彼女は、それ以上は僕の【過去】や、日中の「錯乱」について、言及しなかった。


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【26.高望みは しない】
https://note.com/mokkei4486/n/n971203ac5f2c

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