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小説 「僕と彼らの裏話」 31

31.双璧

 小型の旋盤による樹脂の加工は、自宅で炊事をするより断然 面白かった。そして、自分が旋盤の取扱いをしっかり覚えていることが嬉しかった。須貝部長に感謝した。
 作業開始から1時間ほど経過したところで、小休止を兼ねて、素材の加工に伴って発生した『カス』を、かつてはゴムの原材料となる粉が入っていたのであろう茶色い紙袋に集めていると、僕が居る部屋に常務が戻ってきた。カラカラと音を出しながら、上半分がガラス窓になっている引き戸が開かれる。
「坂元ちゃーん。……どう?」
「まだ、80個くらいです……」
「もう、そんなに出来た!?さすがだねぇ……」
「とんでもないですー」
 室内に入ってきた常務は、僕が加工した製品を一つ手に取ってノギスで測る。
 僕は、少し重くなった紙袋を部屋の隅に戻した。
「休憩してね」
「いや、そんな……」
「1時間に1回くらいは、外に出て『違う空気』吸わなきゃ」
「で、ですが、僕の勤務時間は短いので……」
「駄目だよ。水分摂らなきゃ」
「あぁ、そうですね……」
僕は室内に持ち込んでいた自分の水筒を手に取り、茶を飲もうとした。
「社長が呼んでるんだ。坂元ちゃんを」
「わ、わかりました……」

 僕が水筒を持ったまま1階に降りようとしたら、常務が「おいで」と言って、喫煙所に案内してくれた。
 機械場のある建物の裏、屋外に吸殻入れとハロゲンランプが在るだけの通称「喫煙所」で、男性社員が2人煙草を吸っていて、作業用眼鏡を外した社長は煙草を吸わずにポテトチップスを食べている。3人は、照明の下で図面を見ながら、作業の進捗状況の確認と、明日以降の段取りについて話していたようだ。
 常務が「お疲れー」と軽く挨拶してから煙草に火を点け、彼らとは少し距離をあけて腰を降ろした。暗がりの中、ブロック塀に背中を着けて、直にアスファルトの上へ座る。
 僕を呼んでいたはずの社長は、今は職人2人との打合せに忙しそうだ。
 僕は、彼らに挨拶だけしたら、あとは立ったまま黙って水筒の茶を飲みながら、休憩を取らずに現場で働き続けている飯村さんの姿を眺めていた。彼の他にも、動き続けている人達は居る。全員が一斉に休憩を取るわけではないようだ。

 社長と話していた2人が煙草の火を消して現場に戻ると、残された社長が、ずっと手に持っているポテトチップスの袋を、口を僕のほうに向けて差し出した。
「えっ……?」
「熱中症対策ですよ。塩分摂ってください」
「あ、あぁ……頂きます……」
少量とはいえ機械油の付いた手を、他人が食べている菓子の袋に突っ込むというのは、少し気が引けたけれど……今は断るほうが「無礼」である気がした。(それに、僕にとって「熱中症」とは厳重に警戒すべきものである。)
 社長のほうは、真っ黒な手で、構わずバリバリ食べている。
「久しぶりの旋盤は、どうですか?」
「おかげさまで、順調です」
僕の応えを聞いてから、彼女は常務のほうに顔を向けた。常務は「今で82!ばっちり!」と、空いている手の親指を立てて応じる。
 社長は、ガッツポーズをして「素晴らしい!」と言ってから、再び僕のほうを向いた。
「素晴らしい速さですね!引き続き、お願いします!」
「は、はい……」
 社長は、すこぶる元気だ。今日は水曜日だし、彼女は朝から出勤して、来客への応対や事務仕事をこなした後に、現場に出て製品を造り続けているはずなのに……。
「あ、あの……。社長は今日、何時頃まで現場にいらっしゃるんですか?」
「私は明日、休日なので……今日は『最後』まで居ます」
今日中に仕上げる分の最後の品目が終わるまで、あるいは22時の「最終退勤時間」まで……ということか。
「坂元さんは、9時まででしょう?」
「はい……」
僕の勤務は18〜21時の、たった3時間である。
「体調を見ながら、少しずつ延ばしていければなぁ……と、思ってます」
「無理だけは、しないでください。極端な疲労というのは、事故の元ですから……」
「は、はい」
真っ当な経営者だと感じた。

 この会社は終戦の翌年に創業した老舗であり、彼女は5代目の経営者である。
 3代目の経営者の孫でもある彼女は、小学生の頃から この現場で「遊んでいた」という。そして、吉岡先生が株主ではなく従業員であった頃、彼女は高校生で、放課後には現場で共に汗を流したという。
 子どもの頃から ずっと「社長志望」だったという彼女は、大学卒業後には あえて取引先の企業に入社して研鑽を積んだ、実力派である。

 僕の担当作業の進捗状況が判り、「引き続き 頼む」という指示も出したので、僕への用は済んだのだろう。
 全開になったシャッターの向こうにある現場の人々を見渡しながら、黙々と塩分補給をしていた社長は、袋を空にしたら、独り言のように「よし!」と言って、現場に戻っていった。
 常務は、まだ座っている。会社が用意した赤色の四角い吸殻入れではなく、元はコーヒーか何かが入っていたのであろう、蓋が閉まる広口の空き缶に、吸い殻を押し込んでいる。
 僕は そこへ寄っていって、質問をした。
「休憩というのは、何分間ですか?」
「んー……特に、明確な決まりはないよ。今みたいに暑い時期なら、だいたい1時間に一回、5分くらい手を止めて、水分摂って、煙草吸って……って感じ。具合が悪ければ、15分くらい休んで、身体を冷やすかな」
「わかりました」
「……喫煙所に居て、苦しくない?」
「今のところ大丈夫ですよ」
「良かった、良かった」
常務は、2本目に火を点ける。それを胸いっぱい吸ってから、少し上を向いて、ふぅーっと大きく煙を吐いた。
 僕が「そろそろ仕事に戻ります」と言おうとした瞬間、常務が尋ねた。
「松尾ちゃん……『3D』のことで激怒して家出したって聴いたけど……まだ帰ってこないの?」
入院のことは、ご存知ないようだ。
「先生の、弟さんのお家にいらっしゃいますよ」
「あぁ……岩手県だっけ?空気の良い所だね。牛乳とか、美味しいだろうね……」
「魚介も美味しい所ですよ」
「良いねぇ……。美味しい物たくさん食べて、ますます、帰ってくるのが嫌になっちゃったかな……?」
彼が倒れてしまったことは、僕の口からは話すべきではない気がした。
「まぁ……ゆっくりね。休むと良いよ。あの子は、頑張りすぎだ……」
 彼が体調不良で早退する時、僕が彼を迎えに来ると、ほとんど毎回、この常務が彼に付き添って僕を待っている。早く鼻血を止めるための手助けをしたり、義手の脱着を手伝ったりしている常務の姿を、僕は何度も見てきた。
 時には、怒りのあまり涙を流して叫んだり、椅子や机を蹴飛ばしたり、ドアや壁を殴ったりしてしまう彼を、無理に押さえつけずに、落ち着くまで、側に付いて優しく懇々と諭す姿は、ベテランの学校教諭や、福祉の専門家さながらである。
 そして、彼も そんな常務を尊敬し、信頼している。気性の激しい彼も、常務に対しては従順である。
「ゆっくり休んで……僕の定年までに、元気に帰ってきてくれたら、嬉しいな……」
「……いつ、退職されるんですか?」
「来年の4月。……僕、4月生まれだから」
今は9月だ。それまでに、彼が目を覚ますか……帰ってこられるのか、僕には分からない。しかし、今それは言わない。
 常務は、灰を空き缶に落とす。
「僕は、西島さんみたいに『再就職』なんてしないよ。奥さん連れて、田舎に帰るんだ」
西島さんというのは、4代目の経営者だった通称『工場長』の、ご本名である。
「80代になってまで働くなんて……僕は嫌だよ」
 僕は、あえて明確な返事はせずに今度こそ「仕事に戻ります」と宣言し、喫煙所を後にした。


 ありがたいことに、僕の持ち場にはエアコンがある。空調の効いた部屋で、粉塵も無く、至極快適に作業できる。以前の勤務先では、現場内に こんな空間は作りえなかった。
 頂いたポテトチップスの効果なのか、次の1時間では91個加工できた。(このペースなら、あと1時間あれば250個の加工が完了する。)

 常務や社長が呼びに来ることは無かったので、僕は そのまま作業を続けた。
 窓の外が、どんどん暗くなる。それに比例して、僕は、何故か どんどん楽しくなってくる。久方ぶりの「夜勤」に、胸が躍る。自分だけの、綺麗な「アトリエ」が与えられたかのような気分になって、労働意欲というよりも「創作意欲」が湧いてくる。
 至ってシンプルな作業を淡々と続けながら、頭の中は、架空の世界のことで一杯だ。
 僕が書いたファンタジー小説の主人公は、荒野の真ん中の天文台で、何年も独りきりで天体観測を続けていた。僕としては、それは「真の天才であれば可能だ」と考えている。
 主人公の気持ちになりきって、一人の時間を目一杯 楽しむ。亡き養父の教えを何万回でも反芻しながら日々の観測に勤しむ彼の、信条や愉しみについて、想いを馳せる。

 20時半を過ぎた頃、社長が様子を見に来てくれた。
「お疲れ様です。……そろそろ、片付けに入ってください。他の人は、みんな上がりましたから」
「えっ!?……あ、はい!」
学生のような返事をして、速やかに『カス』を片付ける。
 僕は明日の夜も出勤だけれど、日中に他の人が使うかもしれない。
「粗方で、良いですよ。明日も、此処で続きをしてもらうので……」
「わ、わかりました……」

 製品の出来を確認し終えた社長が、帰る支度をする僕の、顔を注視している気がした。
「どうかされましたか?」
「いえ……『センスのある方で、良かった』と思いまして」
仕上がりを確かめた後、僕の、疲れ具合や血色、目を回していないかどうかを、見ていたのだろうか?
「一時間2000円に、相応しい方です」
「お、恐れ入ります……!」
脊髄反射的に、身体が立礼をする。
 正に「ネイティブ」と言うべき彼女に、僕の【手技】を認めていただけたのなら、光栄だ。


 その後、僕は「体質や、得意な作業・苦手な事について訊いておきたい」という理由で、社長が運転する車で、自宅の近くまで送っていただけることになった。


次のエピソード
【32.面談】
https://note.com/mokkei4486/n/n0fed1a3e85d5

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