小説 「僕と先生の話」 41
41.後悔
僕は、久しぶりに夢を見た。
夢の中で、僕は、何故か見知らぬ墓地に居た。雨が降っていて、僕はビニール傘をさしている。そして、何故かスーツを着ている。傘を持つのと反対の手には花を持っていて、お参りに来たらしいけれど、誰の墓を目指しているのか……分からない。
広大な墓地の中を歩いていると、誰かの墓前で、見覚えのある作業着を着た人が、膝を着いて泣いていた。傘もささずに手を合わせている その人は、初めは父かと思ったけれど、もっと大柄で固太りした、柔道家のような風格の男性だった。
(部長……!!)
彼に話しかけようとしたところで、目が覚めた。目覚まし時計が鳴っている。
それを、止める。
先生は、目が覚めた直後に二度寝をすることで、起き抜けに見た夢の「続き」を見ることが出来ると言っていたけれど……残念ながら、僕はそれが出来ない体質らしい。36年間生きてきて、そんな経験は一度もない。
起き出してから出勤するまでの間に、またマッサンから着信があった。案の定「昨日パチンコで勝った!」という自慢話だった。
そして、相変わらず『店長』との仲について、あれこれ訊いてきた。
僕は「『店長』は他の男性と暮らし始めた」「僕はフラれてしまった」と告げた。
「何だと!?うまくいってたんじゃねえのか!!?」
「僕を雇う前から、ずっと気になってた人が居たみたいで……」
「なんてこった!!」
「たぶん、その2人結婚します」
「うわー!!!」
「僕、もう結婚は諦めます」
「諦めるな!稔!!」
その後、彼はマッチングアプリというものについて懇切丁寧に語ってくれたけれど、僕は「興味ないっす」と言い続けた。
長い説明の途中だったけれど「そろそろ出勤しなければならない」という理由で電話を切った。
(あの おっさんは暇なのか……?)
彼の空想癖やお節介ぶりには驚かされる時があるけれど、あまり気を遣わずに話が出来るから、良い気分転換になる。
出勤すると、和室から「痛い!痛い!痛い!!」という、松尾くんの叫び声がした。
僕は、いつも通り玄関の鍵を開けてくれた先生に「彼、大丈夫ですか!?」と訊いたけれど、先生は至って涼しい顔で「今、岩くんが来てるんだよ」と答えただけだった。
なんだか心配になって和室の様子を見に行くと、岩下さんが松尾くんの足裏のツボを押しているようで、松尾くんは施術の痛みに耐えかねて騒いでいたことが判った。
「此処がそれだけ痛むなら、やはり耳が相当悪いですよ。……あとは、胃が弱っているようですね」
「痛い!!」
足を触られるたびに、彼は騒いでいる。
「声が大きいですよ。先生のお宅なのですから、もう少しお静かに……」
僕は、そこで「おはようございます」と挨拶した。彼らも「おはようございます」と返してくれた。
「意味わかんねぇくらい、痛いんすけど……!」
「それだけ、状態が『悪い』ということと、まだ指圧に慣れていないからでしょうね」
松尾くんにクレームをつけられても、彼は動じない。
「人に押されるのが嫌なら、足ツボ板かゴルフボールでも買って、ご自分で踏んでみるのが良いです。……慣れてくると『気持ちいい』と感じるようになります。ツボの痛みと体調の変化の関係性について、だんだん分かるようになります」
「はぁ……」
松尾くんは生返事をする。
「薬にばかり頼るよりも、自分の力で、少しでも症状を緩和する方法を覚えていたほうが……何かと役に立ちます。薬なんて、飲む量が少ないに越したことはありません。少なからず費用がかかるものですし、胃や肝臓に負担がかかりますからね。お金をかけるなら、医薬品よりも、食品や履き物を優先して……」
彼は懇々と語る。松尾くんは、黙って自分の足をさすりながら聴いている。
「私は、一旦 手を洗ってくるので、足はやめて、次は肩をやりましょう」
(そういえば、僕もまだ手を洗ってないな……)
2人で洗面所に行って手を洗い、僕はそのままタイムカードを押しに2階へ上がった。彼は、先生の肩を揉む時に使うのと同じタオルを持って、和室に戻った。
僕は、2階で自分の仕事を始める。冷蔵庫と炊飯器の中を見てから、その日の献立と、買うべきものを考える。考え事は、掃除と併行する。朝食に使ったと思われる食器が洗ってあるので、それらも拭いてから棚にしまう。昼食用の茶を淹れるため、何度もケトルで湯を沸かす。
僕が淡々と仕事をしていると、松尾くんが、血相を変えて台所にやってきた。
「哲朗さんの様子が、おかしいんすよ!!」
「気絶でもしましたか?」
「なんで分かるんすか!!?」
「……とりあえず見に行きますね」
僕はもう、彼の発作を目の当たりにしても驚かなくなった。居眠りかと思うほどの静かな発作だし、転倒して頭を打ったり、舌を噛んだりする心配がまず無いからである。
一時的に意識を失ったとしても、この家の中でなら、風呂場か台所か階段でない限り、特に大きな危険は無い。
和室に降りると、彼は顔の下にあのタオルを敷いた状態で、横向きに寝ていた。
「倒れたんですか?」
「なんか、突然、座ったまま動かなくなって……揺すったら倒れました」
「揺すっちゃ駄目なんすよ……」
「すいません!」
倒れるほど体を揺すったのは良くないけれど、窒息させないための【回復体位】が出来ているし、顔の下にタオルを敷いたのも松尾くんだろう。その対処は決して悪くない。
寝かされている彼は、いつもの発作の時の顔貌である。とりあえず、呼吸はある。すぐに起きるとは思う。
「岩下さん。……哲朗さん」
複数回名前を呼びながら、肩を叩いてみる。
やがて、びくっと肩が動いて、瞼が動き出す。何度か力を込めて瞬きをした後、数秒の間があってから、彼は自力で起き上がった。
よだれが垂れているから、僕は改めてタオルを渡す。彼は、何のために渡されたのか、すぐに理解した。
「……私、倒れたんですか?」
口元を拭いてから、渋い顔をして訊いた。
「そうみたいですよ」
「不覚です……。せめて、座った状態を保てるように、前兆には気をつけているのですが……」
「頭、痛くないですか?」
「……今のところ、大丈夫そうです。座っている状態から倒れた気がしますし、畳で打ったのなら、特に心配は無いかと……」
何が起きたのか解らないであろう松尾くんは、何も言わない。珍しく正座をして、僕らの様子を見ている。
その彼に、岩下さんが語りかける。
「驚かせて、すみません。私は、月に2〜3回は、こんなことになります。基本的に救急車は不要ですから……どうか、お気になさらず」
「いや、気にしますよ……!」
「お優しい方ですね」
「いや……そんなの、人として当たり前の……!」
松尾くんは、自身が口に出した言葉に、衝撃を受けたかのようだった。俯いて、右手で頭を抱え、黙り込んでしまった。
「目眩がしますか?」
「……ごめんなさい!!」
彼は、岩下さんからの問いに答えず、まるで土下座をするかのように、手を畳に着いて、頭を下げた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……俺、俺……!!」
彼は、泣いているようだった。声も、体も、震えている。
僕と岩下さんは、顔を見合わせた。
「松尾さん、どうしましたか?」
岩下さんの問いかけには、答えない。彼は、ずっと謝罪の言葉を繰り返している。
「私の発作が、そんなにショックでしたか?」
「違います!!俺は、ただ……!!今まで、ずっと……!ああぁ……!!!」
明らかに様子がおかしい。畳に両肘を着き、右手を固く握り、ずっと震えている。
「坂元さん。彼を……しばらく一人にしてあげましょう」
「え?……あ、はい」
岩下さんは、押入れを開けて毛布を取り出し、震えている彼の体にかけてから、いつものタブレット端末を拾い上げ、僕も退室するようにと促した。
和室の戸を閉め、足早に2階に上がる。
「え、彼……どうしたんでしょうか?」
「精神的な動揺のような気がします。……彼にも、何か大きな悩みや、辛い記憶があるのでしょう」
確かに……また先生との関係で悩んでいるかもしれないし、辛い記憶は たくさんありそうだ。
僕は、2階で自分の仕事の続きをする。とりあえず、予定通り4人分の昼食を用意する。(万が一、松尾くんが何も食べなくても、岩下さんが居れば、残さず平らげてくれるのは判っている。)
昼食の調理が終わり、松尾くんの様子がおかしいことを先生に伝えると、先生は「無理に食べさせなくてもいい」と言ってから、彼の様子を見に行ってくれた。
すぐに一人で戻ってきて、彼が「食欲が無い」と言ったことを僕らに伝えてくれた。
3人で、ほとんど会話をせずに食べ終わり、先生は、すぐ3階に上がってしまった。体格に見合わない大食漢である岩下さんは、発作を起こした直後でも、平然と大量に食べる。用意した料理は、何も残らなかった。
(この人の身体、どうなってるんだろう……?)
食べ終わって、ひと休みしてから、岩下さんが台所までやってきて、食器を洗っていた僕に提案した。
「私、松尾さんと少しお話が出来ないか、訊いてみます」
「わかりました。お時間、大丈夫ですか?」
「今日はスケジュールに余裕があります」
「よろしくお願いします」
彼に任せよう。彼は、心理学の知識にも長けた【日本語】のプロである。
僕は買い物に行かなければならない。出かける前に和室のほうを覗いたら、戸がきっちり閉まっていた。
買い物を終えて帰宅しても、まだ閉まっている。
夕食の準備をしていると、2階に岩下さんが戻ってきた。
「どうでしたか……?」
「詳細まで お伝えすることは出来ませんが……彼の悩みは、根深いですね」
「……先生のことでしたか?」
それだけは確認したかった。
「いいえ。松尾さん個人の、過去に関することです。家庭環境や、労働環境に関する記憶と……ご自身の言動に関する【後悔】に、囚われているようです」
「後悔……」
元気だった頃の自分の、下品かつ攻撃的な言動のことだろうか。しかし、僕は彼の家庭環境を知った時、かつての言動について「無理もない」と感じた。彼自身が、両親による非難や侮辱に晒されてきたから、それを「当たり前」だと認識し、他者に対しても同じことをするようになってしまったのだろう。
そんな彼が【後悔】とは……価値観そのものが変化している証だ。
「通院先の治療者に話すのが最良かとは思いますが……彼の体調が あまりにも悪ければ、先生の健康や執筆活動にも影響しますから、私としても、度外視することは出来ません」
「そうですね……。僕も、気をつけます」
その日の夕食は、僕と先生の2人だけで食べることになった。
「君が帰った後にでも、少しくらいは何か食べさせたいな」
「そうですね……。ところで、彼は どのくらいの頻度で通院してますか?」
「2週間に1回じゃないかな?」
僕や先生よりもずっと高頻度である。
「食べなくなるのは、非常に良くない兆候だから……心配だ」
僕も、そう思う。
その日の夜は、何故か松尾くんが北海道内の川で溺れてしまう夢を見た。落ちたのか、飛び込んだのか、経緯までは分からないけれど、僕と岩下さんが協力して彼を陸地に引っ張り上げ、先生が蘇生を試みる夢だった。
先生の尽力によって息を吹き返した彼は、血が混じったような赤い水を大量に吐いた。その後、川原に倒れ込んで動かなくなり、先生が必死に彼の名を呼び続けるところまでしか、憶えていない。
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【42.太陽】
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