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【短編】 深夜の対話 (前編)

 私は、リュウバの河原で知り合った孤児の兄妹と その飼い犬を乗せて、父の愛車を走らせていた。「落ちれば、街が消える」と推測される『巨大な隕石』が日々迫っている土地から少しでも遠い場所へ逃げるためである。
 日中は大きな街道を避けて裏道を ひた走り、夜はもっぱら 人気ひとけの無い山中で、車を利用した『野宿』だ。そのための寝具も、家から積んできた。
 宿に犬を連れて入ることは許されないし、私は今や、憲兵隊に追われる身である。
 かの地に迫る隕石を、落ちることの無い『彗星』と見なした国家の誤りを正し、民を救うべく尽力してきた天文学者のラギ殿と、ケント殿は……あろうことか「国家に仇なす内乱の首謀者」と見なされ、憲兵隊に囚われてしまったのである。
 彼らの「仲間」である私も、憲兵に見つかれば終わりだ。守るべき子ども達と引き離されて、牢獄に入ることになる。
 捕まるわけにはいかない。
 
 子どもには厳しい旅程となるが、有難いことに、河原の粗末な小屋で長く暮らしていた彼らは、屋外で用を足すことや、狭い車内で就寝することを厭わなかった。「普段と あまり変わらない」として、平然と受け容れた。


 その日は、昼間のうちに商店で食料を買い込んでから、夜に向けて森の中の道を進んでいた。
「カンナ、そろそろ燃料が切れるよ!」
隣に座っていたアイクに指摘され、私はメーターを見た。確かに、そろそろ入れないと まずい。私は、車を路肩に停めた。
 後ろの座席には、彼の妹サーヤが座り、その脚元に、飼い犬のドンが伏せている。幼い彼女が座っている席の隣にも寝具や食料を積んであるので、車内は些か狭苦しい。更に後ろの荷物置きには、燃料缶が しこたま積んである。(既に、缶の半分以上は空だ。)
 隕石から精製された燃料は、ごく小さな球体に整形され、いわば「砂利」のような形状をしているが、中が空洞であるため、同じかさの砂利と比べれば遥かに軽い。色は ほとんど黒に近い濃紺で、燃えると赤くなって崩れてゆき、やがては白い灰になる。丈夫かつ密閉できる缶や箱に入れて運搬し、何らかの容器や柄杓ひしゃくで掬って火に焚べるか、自動車等の燃料タンクに入れて使用するのが一般的である。
 隕石燃料には、油や酒のような「引火性」は無く、使い勝手としては木炭に近い。万が一 床や地面に零しても、粒をほうきで集めれば使える。(多量の土や水が混じってしまうと、さすがに使えない。)
 車に載せっぱなしにしていても、燃料自体が発火することは まず無い。

 私は、車から降りて後部の扉を開け、燃料を詰めた缶と、注入に使う漏斗を取り出す。燃料タンクの蓋を開け、漏斗の細いほうを突っ込んでから、螺子ねじになっている缶の蓋を開け、中身を注ぎ込む。(液体ではないものを『注ぐ』と表現することに、子どもの頃は疑念を抱いたが、もう慣れた。)
 私が燃料を注いでいる間に、アイクが「ドンに小便をさせてやりたい」と言い出し、私は了承した。
 車から解き放たれたドンは、地面を嗅ぎ回りながら木々が生えている場所を目指し、納得のいく木を一本選んだら、後ろ足を上げて小便を ひっかけた。
 ずっと座りっぱなしだった兄妹2人も、車から降りて肩を回したり、歩いたりして、血を巡らせている。(私が、そうするように教えた。)
 サーヤは盲目だが、隕石燃料の在り処は匂いで判るようで、私が燃料を触っている時、絶対に近寄らない。幼いうちに親を亡くし、学校というものに通ったことがない彼女にも、火を点けて使う物に対する警戒心は、ちゃんと在る。
 兄のアイクが、彼女に よく物事を教えているのだ。彼は12歳だが、まるで妹の「親代わり」である。犬に対する しつけも、よく出来ている。(彼のほうは、母親が存命のうちは学校に通っていたのだという。)
 母亡き後、一人で妹を養ってきた彼は、聡明かつ勇敢だ。野山や川で食料を得て、調理する方法を知っている。それでも、正式な労働が許される年齢ではないため、時には金銭を得るために盗みを はたらいてきたと云うが、私は それを「悪事」とは思わない。

 燃料缶とタンクの蓋を閉め終えた私は、車の荷物置きから出した物を淡々と中に戻し、後部の扉を閉める。
 用を足したドンが尻尾を振りながら戻ってきて、何やら期待の込もった眼差しで私の顔を見上げる。ふんと鼻を鳴らしてから、舌舐りをする。
「何だ。……水でも欲しいのか?」
後ろの座席から引っ張り出してきたドン専用の器を地面に置いて、水筒から水を注いでやると、舌を出して待ち構えていたドンは、びちゃびちゃと水滴を散らかしながら、大急ぎで飲み始めた。
 器を空にするたびに、顔を上げて「追加」を要求してくる。
 貴重な飲み水を無駄にしないため少量ずつ注いでやると、やがて、水を少し器に残して顔を上げ、びしょ濡れの鼻を舐め回した。
 満足したらしい。

 私が気まぐれに頭や頸を撫でてやると、ドンは三角形の耳を寝かせて、尻尾を振った。
 一度は、アイクの身を守るべく私に咬みつこうとした犬だが、今では こうして、私にも尻尾を振って、餌や水を要求するようになった。
 非常に物解りの良い犬である。私とアイク達との関係性を よく見ていて、今は「仲間」であることを、きちんと理解している。


 アイク達にも「休憩」を言い渡し、私は車の外で立ち歩きながら地図帳を見て、進路を確認した。
 しばらく姿を消していた2人が戻ってきたら、私は再び車に乗り込んだ。
「カンナ、昼寝は しないの?」
「まだ、もう少し……進んでからにするよ」
我が故郷へと向かう旅の間、私は、連日【夜衛やえい】をしている。彼らが車の中で眠っている間、外で獣除けの火を焚きながら、憲兵や不審な人物による襲撃に備え、夜通し起きている。(川で汲んだ水を、やかんで煮沸してから冷まし、飲めるようにして水筒に移す仕事も、その時にやる。)
 その代わり、日中に数回 車を停めて、アイクやドンに周囲を見張ってもらいながら短い仮眠を取る。
 しっかりと眠らなければ事故の元だが、一日も早く、少しでも遠くへ、彼らを連れて逃げなければならない。
 軍で鍛えた特技を、活かす時である。
 私は、一日に4時間も眠れれば、戦える。

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 その日の夜衛中。私が火の側に座って飲み水を作っていると、アイクが一人で起き出してきた。妹達が起きないように、そっと扉を閉めてから、私の側に歩いてくる。
「どうした?」
「……飲める水は、ある?」
「まだ熱いぞ。……お湯だな」
「それで良いよ」
彼は、私が腰掛けている木箱の側に腰を降ろした。私は まだ温かい水筒を一本、彼に手渡した。
 彼は、それを大事そうに両手で持って、ふうふう吹きながら慎重に中身を飲んだ。

 彼は、しばらく黙って星でも見ているようだった。
 薪の爆ぜる音だけが聞こえる中、やがて彼が口を開いた。
「カンナは……軍人だったんだろ?」
「そうだよ」
「……敵を殺したことはある?」
「あるよ。……それが『任務』だったから」
「…………どうして、軍人になろうと思ったの?」
 私は、一度小さく唸ってから、子どもにでも解るような答え方について考えた。
「……軍隊というのは『強ければ、それで良い』という世界だから。家柄とか、性別とか……そういうものは、関係ないんだ。だから入った」
「戦いで、死ぬかもしれないのに?」
「私は……どうしても、自分の『強さ』を証明したかった。男性と同じように戦えることを、父に示したかった」
「……どうして?」
どこから、どこまで話すか……少し迷ったが、少なくとも恥ずべき事ではないので、私は正直に打ち明けた。
「天文台という所には……学者さんの他に、必ず『守衛』という人が居るんだ。大切な望遠鏡や記録の山と、学者さんをお守りする人……。
 私の家は……大昔から代々、ラギさんの家の展望台を守る『守衛』をしてきたんだ。私の父も、祖父も、その父も……ずっと。
 でも、その役目は……『男でなければ駄目だ』という決まりがあって、家に娘しか生まれなかった時は、婿に技を伝えて『守衛』を継がせてきたんだ」
アイクは、ずっと黙っている。
「私には姉が居るのだけれど……男の兄弟は居なくて。私は……姉か自分の婿に任せるのではなくて、自分が『守衛』になりたかった。狩りなら昔から得意だったし、私は父を尊敬していたから。でも……父は許してくれなかった」
「カンナが、娘だから?」
「そうだよ」
「どうして……女の人では、駄目なの?」
「……私も、同じことを思った。『襲ってくる盗賊や獣を 銃で撃つのが仕事なら、腕っぷしなど関係ないだろう』と……。でも、実際には、それだけが務めではないんだ。天文台の他には何も無い、ラジオの電波も届かない荒野の真ん中で、暑さや寒さに耐えながら、土を耕して、蔬菜そさいを作って、井戸が枯れないよう掘り続けて、建物や望遠鏡が傷んだら直して……。そんな力仕事が主だから、女の人には難しいし、もし、女の守衛に子どもが出来たら……そんな危険な場所では、到底 育てられない。医者は近くに居ないし、子どもを通わせる学校も無い。そこで『守衛を辞めて街に帰る』ことになる。……だから『初めから、男だけを集める』という決まりが出来た」
「……船乗りみたいだな」
「そうだな。あそこは【陸の孤島】だから、船で沖に出るのと変わらない」
港のある街で育った彼らしい解釈だと思った。
「だからこそ、一端に軍人が務まることを、証明したかったんだ……兵士として戦える人間なら『守衛』としても認められる気がしたから」
 だが、それが「出来た」とは到底 言えない。最終的に、私は敵方の輓獣ばんじゅうに腰骨を砕かれて退役した。無様な療養生活を経て、独りで立って歩くことは出来るようになったが……「走る」とか「跳ねる」という動作が、以前のようには出来なくなった。
「たくさん戦って……お父さんは、カンナが強いことを認めてくれた?」
「どうだろう。……今まさに『再び戦えるかどうか』を、試されている気がする」
「今……?」
「私が、ラギさんを守り抜いて、無事に帰れるかどうか……それが【試験】だよ。おそらくね」
「で、でも……」
 アイクが言わんとする事は、解る。彼は2人が捕まったことを知っている。
「彼らは、国から『嘘吐き』呼ばわりされて、捕まってしまったけれど……隕石が本当に落ちれば、疑いは晴れる。すぐに牢屋から出られる」
 私は、しばらく失念していた水筒の蓋を、彼に手渡した。
「今の私がすべき事は……主が『連れて帰る』と決めた おまえ達を、無事に連れ帰ることだ。ラギさんを探すか、迎えに行くか……それはまた、後で考える」

 私は、木箱の脇に積んでおいた小枝を、何本か火に放り込んだ。
「隕石が……落ちたら、街の人が、大勢死ぬんだろ?」
「そうだ。だからこそ私達は『逃げてください!』と、ふれ回ったんだ」
「人を、助けるためだよな……?」
「そうだ」
「それなのに、捕まるのか……?」
「国家を貶めるのは『大罪』だからな……」
「でも、国が作らせた新聞が、間違ってるんだろ?」
「……私達は、そう考えている」
「国の間違いで、人が大勢 死んだら……『悪い』のは、国だろ?」
「あぁ、そうだ」
「そうなったら……どうなる?」
私は、しばし考えてから答えた。
「今回の件なら……『彗星だ』と断言した、観測所の偉い奴が 何人か捕まるだろうな」
「そいつらを捕まえても……街は、元には戻らないよ」
「二度と同じ事が起こらないように、まともな学者と入れ替えるのは、大切なことだよ」
「まともな学者……」
「学問や観測所が何のために在るのか、きちんと解っている人だよ。……金が欲しいから そこに居るような愚か者ではなくてね」

 私は、国家に関する率直な疑問を幾つも ぶつけてきた彼に、自身の率直な感想を伝えた。
「アイクは、本当に賢いな……いずれ、立派な学者になるだろう」
「嫌だよ、学者なんか……」
「そうか?」
「俺は、字を読むのが大嫌いなんだ!」
「それじゃあ、学者には向かないな……」
とはいえ、これだけ賢い彼なら、いずれ己に合った道を見つけ出し、大成するだろう。

 彼は、中身が充分に冷めた水筒の、蓋を閉めた。しかし、車の中に戻る気配が無い。
「アイク、眠くないのか?」
「……眠れないんだ」
「怖いか?隕石が……」
「解らない。……時々あるんだ。『俺が寝たら、サーヤが死ぬ!』って思う日が……ずっと前から」
彼は水筒を地面に置き、膝を立てて、背中を丸める。
「ドンが来てから……減ったけど……」
「ドンは強いからな。しっかり、サーヤを守ってくれるだろ」
「うん……」
 あのドンは、2年ほど前に、河原で鍋を洗っていたアイクに突然すり寄ってきたのだという。彼は初め、その小さな黒い生き物を「熊の仔だ」と思い、声も出ないほど驚いたという。近くに居るはずの母熊に、自分達が喰われかねないからである。
 しかし、そのドンは今や立派な忠犬である。アイクの留守中には、しっかりとサーヤを守ってきた。
「サーヤが、言えそうな名前にしたんだ。『ドン』って……。でも、言わないや。何も」
 知り合ってからは半月になるかと思うし、数日間、共に旅をしているが、私は一度もサーヤの声を聞いたことがない。
「あの子が話さないのは……生まれてから、ずっとか?」
「違うよ。……母ちゃんが死んでからだ」
母親が何故 亡くなったかなど、無闇に尋ねるべきではないだろう。しかし、アイク自身が話したいのなら、聴くことは厭わない。
「あいつは……母ちゃんが死ぬところ……殺されるところを、見たんだ」
その時は、彼女の目は「見えていた」ということか。
「……盗賊にでも、やられたのか?」
「違う。……親父が やった。薪を割る斧で……」
「惨いことを……」
一民間人が、己の家族に対して、そのような事をするのか。嘆かわしい。
 そして、幼い子どもが そんな光景を目の当たりにしたら、心身を病んでも致し方ないだろう。


 その後も、彼は妹に纏わる話を続けようとしたが、私は遮った。
「アイク、静かに……!」
聡明な彼は、素直に口を閉じた。
「何かが……こっちに来る」
 私は木箱から腰を上げ、腰に提げていた拳銃を抜く。いつでも撃てるよう、撃鉄を起こす。
 自分が座っていた木箱の中にも、より射程距離の長い猟銃を忍ばせてある。

 漆黒の闇の中、人よりも大きな、何かの気配がする。
 水辺からは遠く離れた森の中で、唐突に、魚の腐ったような臭いがし始める。
「静かに、そっと、車の中に入れ……!」
私は、小声で彼に指示を出す。
 彼は、あえて返事をせず、速やかに従う。

 車の扉が閉まると同時に、木々の合間の暗闇に、2つ並んだ眼が光る……。



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