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小説 「僕と先生の話」 19

19.別世界

 予定通りの休日。トーストを焼き、先生の家では作れないベーコンエッグを作り、珍しく人間らしい朝食となった。上出来だ。
 とはいえ、やはり、あの家に出勤しないと、やる気が起きない……。
 布団を、畳んだとしても、それに寄りかかって座り込むだけだ。敷きっぱなしで寝込んでいる日と、大して変わらない。
 着替えることすらなく、ゲームをするか、漫画を読んでいるうちに、一日が終わる。
 それでも、出勤用の衣類の洗濯と、風呂に入るのだけは、絶対に欠かさない。

 そういえば、先生は、毎朝一人でどんな朝食を食べているのだろう?
 僕が出勤するのは昼食を作り始める頃だから、朝食のことは、ほとんど何も知らない。先生は確固たる「米派」であることくらいしか、知らない。(夕食用に米を炊く時は、必ず「翌朝に食べる分」を考慮して炊飯・配膳をするよう指示を受けている。)
 ちなみに、僕が調理や掃除をすることによって出たゴミを、収集日の朝にきちんと捨てに行ってくれるのは先生である。
 僕が帰った後の夜間にも、執筆や作画、打合せをすることがあるようで、応接室に先生のノートパソコンが置きっぱなしになっている日も多々ある。


 朝食を済ませ、洗い物を放置して、ぼんやりテレビを観ていると、電話が鳴った。休職中に知り合ったマッサンからだった。

 僕からすれば「亡き父の知人」にすぎないのだけれど、向こうは僕を「友人」と認識しているのか、あれ以来、他愛もないショートメールがたびたび送られてくる。たまに、着信がある。
 山奥の小屋に一人で住んでいるという彼は、温泉街を陰で支える配管工である。酒と煙草とギャンブルを愛し、勝ち取った金で同じ会社の若手社員達に飯を奢るのが、ささやかな楽しみらしい。
 よく「田舎の親戚だと思え」とか「いつでも遊びに来い」と言ってくれるのだけれど、僕は未だに彼の本名を知らない。

 朝からの着信は、珍しい。
「おはようございまーす」
「よう!休みか?」
「休みですよ」
「俺もだ!」
「……どうしたんすか?」
「昨日、パチンコで大勝ちしてよぉ!」
「……おめでとうございます」
近所に住んでいるなら「奢ってやるよ!」という誘いに乗ることが出来るけれど、ここから、彼の住む町まで……新幹線とレンタカーを使って、10時間くらい だろうか?
 単なる自慢話だろう。適当に相槌を打つ。
「そうだ!『店長』は元気になったか?」
「お元気ですよ。……営業再開しました」
先生のプライバシーを守るための、架空の『キャラ設定』である。
「今度、一緒に遊びに来いよ!!」
「えぇー?」
僕は北海道料理屋で働いていて、そこの女店長と深い仲になりつつある……ということになっている。マッサンの頭の中では。
 僕は一貫して『店長』に対する恋愛感情については否定しているけれど、世話好きらしい彼は、僕の将来を案じているらしい。
(お節介な人だなぁ……。)


 電話を切り、適当にテレビのチャンネルを変えていると、新作映画の広告が目に留まった。
 その映画の原作になった小説が、先生の家の資料室にあるのだ。全18巻に及ぶ長編ファンタジーで、僕はまだ1巻しか読んでいないけれど、導入部を読んだ瞬間から「いかにも先生が好きそうな話だ」と感じた小説だ。
 複数の種族(現実世界に存在するのと大差ないような人間と、それ以外の知的生命体)が共存する架空の世界で、魔法が使えたり、獣に変身できたり、五感のいずれかが極端に発達していたり、といった特殊な能力を持つ様々な種族と、彼らに対抗すべく科学技術を進歩させてきた人間との争いが、数千年に渡って続いている……という、壮大かつ血生臭い世界観。種族間の対立や差別に関する描写や、戦闘シーンの描写が、すごく生々しい。医術や屠畜とちくに関する記述も多い。(映画の対象年齢は15歳以上である。)
 とある種族の「最後の生き残り」と推測される主人公の青年が、多様性に富んだ仲間達と共に旅をしながら、幼少期に生き別れとなった親友(人間)を捜す……という、比較的シンプルなストーリーなのだけれど、主人公が身につけている借り物の首飾りが、とんでもない代物で、それに使われている特別な石が、実は過去に盗まれた某国の至宝であり、主人公と同族の者だけが、その石を【殺戮兵器】として使用することができる。(あまりにも強力であるため、何人たりとも使用できないよう強国の宝として厳重に管理されていたものが、悪の組織によって盗み出されていたのである。)
 何故、幼き日の主人公の親友が、そんな物を所持していて、彼に貸したのか……僕が読んだ1巻には、書かれていない。しかし、首飾りを親友に返したい主人公と、その石を狙う組織との長い攻防こそが物語の根幹であり、石は、最終巻では本来の保管場所である某国に返還されることは、知っている。(一旦は、見つけ出した親友に返されるが……彼は、人間でありながら石の力を使いこなし、主人公達に襲いかかる。しかし、本来その力を制御しうる種族ではないため、やがて自滅する。)
 先生は、この壮大な物語を、ほとんど全て記憶している。ストーリーだけではなく、主要な登場人物達のプロフィールや関係性、地理的な情報、国ごとの文化や歴史、その世界に生息する動植物に至るまで、実在する地球に関する知識と同じように、広く深く把握している。僕には「気になるなら、読んでごらん」と言いつつ、大抵のことは、訊けば教えてくれる。
 先生は、興味の対象に著しい偏りがあるけれど、好きな分野に関する知識や記憶力は尋常ではない。また、先生による何かの解説は、とにかく解りやすいし、嘘がない。先生は、絶対に「知ったかぶり」をしない。知らないことは「知らない」と明言し、先生個人の推測や想像なら、それもきちんと明言する。論拠がしっかりしている。


 僕は、先生から、そのファンタジー小説の作中に登場する料理の再現を頼まれたこともある。先生は、そのためにウサギの肉やドングリの粉、食用の昆虫まで取り寄せるほどの、筋金入りのファンなのだ。

 頭の中で、その映画を「一緒に観てこいよ!」と言う、マッサンの声が聴こえた気がした。しかし、先生は多忙であり、体調も相変わらず不安定なのだ。きっと「DVDが出るまで待つ」と言うだろう。

 とはいえ、出勤したら話題として口に出してみよう。


次のエピソード
【20. 予兆】
https://note.com/mokkei4486/n/n1507bbdc99ef

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