小説 「長い旅路」 5
5.離脱
支離滅裂な夢を見た。
職場の まかない調理用の大鍋で、卵とわかめのスープが煮えている。俺は、そこに腕を突っ込んで、かき混ぜる。鍋の見た目より、明らかに深いところまで、腕が入る。
湯船に浸かる前に湯の温度を確かめる時のように、スープの中で、腕をぐるぐる回す。温かみと、具材の感触を楽しむ。煮立っているはずなのに、熱くはない。心地良い温かさだ。
鍋から腕を引っこ抜き、流し台でしっかり洗う。
すると、足元には、生きた鶏が何羽も押し込められたカゴがある。俺は、その鶏を一羽、頸を引っ掴んで持ち上げる。
流し台の中で、野菜か何かを千切るように、その首を引き千切る。断末魔をあげている頭を、そのまま鍋に放り込む。
首だけではなく、全てのパーツが、いとも簡単に手で取れる。血は出ない。生きて動いていたはずの鶏は、実は菓子か何かで出来ているのか?……解らない。(夢なのだから、何でもありだ。)
羽根がついた状態のまま千切った鶏のパーツを全て鍋に入れ、大きな木べらで かき混ぜる。
みるみるうちに、溶けて無くなる。
俺は、全ての鶏を、同じように引き千切って鍋に入れる。
全ての鶏が溶け込んだスープは、赤黒い。だんだん、紫色に近くなる。初めから入っていた、卵や わかめの 痕跡すら無くなっていく。
それを器に入れ、棚から匙を出し、厨房から食堂に運んで「いざ食さん……!」という時に、食堂の床を走り回る鶏が居る。
俺は、食べるのを後回しにして、目障りな そいつを追いかける。
捕まえて、両手で持ち上げたら、それが何故か巨大なネズミに姿を変えた。驚いて、思わず手を離すと、床に落ちた巨大ネズミは俺の体を よじ登り、頸に噛み付いた。
そして、齧り付いた場所から体内に侵入してくる。
「うわぁぁぁ!!!」
尋常ではない不快感に、叫び、悶え、寝床の中でも、身体が震えている気がした。
そこで、はっと目が覚める。白っぽい天井が見えた。外が明るい時間帯で、照明が消してある。
胸や腰周りに、自分の拍動を感じる。ただ心臓が動いているだけのはずだが、部屋全体が揺れているような気さえする。
尋常ではないほどに、身体が重い。急に起き上がったりしたら、ショックで心臓が止まるかもしれない。しばらく様子を見る。
俺は、知らない場所のベッドの上に居た。何故か、そこには母が居る。俺が寝ている すぐ横で、母は見慣れない小さな戸棚を開けて、中を いじっている。
棚から何かを取り出した母は、俺と目が合った瞬間、激しく動揺した。手に持っていた物を放り出し、何度も俺の肩や顔に触れ、泣いて喜んでいるかのようにも思えるが……これも、おかしな夢の続きに違いない。
音が……無いのだ。
母が身体に触れる感触は生々しいが、世界に、音が無い。「目を覚ました」と感じたのは、勘違いだろう。
しかし、どういう訳か看護師がやってきて、遅れて医者がやってきた あたりから、俺は「夢ではない」「現実だ」と感じるようになった。彼らが動き回る時の空気の匂いとか、身体に触れられた時の感触は、本物だ。母が、医者達に言われて室外に出ていく様子も、はっきりと見える。
おかしいのは、自分の耳だ……。音声以外は、全てが判る。
自分の両腕が点滴だらけなのも、鼻の穴から胃にチューブが挿れてあるのも、次第に判ってきた。起きあがろうとすると看護師に止められたが、その前に、下半身の深部に尋常ではない違和感を覚え、断念した。
どうにか首と上半身を動かし、心当たりがある場所に目をやると、尿を入れる袋が吊り下げられている。違和感の正体は……尿道から膀胱に挿れられたチューブに違いない。
医者に脈を取られたり、眼をまじまじと診られたり、胸や腹に聴診器を当てられたり、看護師に右腕の分だけ点滴を外されたりしながら、俺は、彼らの呼びかけが一切聴こえないことについて、いつ申し出るか、タイミングを見計らっていた。
試しに「あのー」と、声を出してみたつもりだが、やはり、聴こえてこない。
続けて「何も、聴こえないのですが」と、言ってみる。発音など、知ったことではない。
気付いてくれた看護師が、俺の顔を覗きこみ、自分の耳を指しながら「聴こえない?」と訊いてくるのが、口の動きで判る。俺は改めて「音が、聴こえません」と口頭で伝える。
彼らの間だけで何らかの会話が行われ、看護師が出ていく。続いて、バインダーに何かを書き終えた医者が出ていく。
10分くらい経ってから、看護師によって、会社の健康診断の時にも見た聴力検査用のヘッドホンが運ばれてきて、ベッドに寝かされたまま聴力検査を受けた。何をすればいいのかは知っている。音が鳴れば、手渡されたスイッチを押すのだ。
しかし、俺が それを押すことは ほとんど無かった。少しでも「聴こえたような気がしたら」ボタンを押したが……電子音声ではなく、耳鳴りかもしれない。
聴力検査が終わってからも、点滴が交換されたり、採血をされたりして、落ち着かない。(母は、戻ってこない。)
上も下も、不快な管はそのまま挿さっている。早く、外してもらいたい……。
(もう、意識があるのだから、自分で、排泄も嘔吐も出来るぞ……)
しかし、それを伝えるのが億劫だ。口頭での会話はほとんど出来ないし、尋常ではなく、身体が怠い。
一通りの処置が終わった後、看護師が何かの裏紙に走り書きをして説明してくれたのだが、俺は今「農薬を体外に排出するため、強制的に排尿・排便させる処置の最中」であり、それが完了するまで、尿道の管と大量の点滴は そのままで、更には毎日「腸洗浄による強制的な排便」が続けられるという。毎日、毒素を吸着させるための活性炭の粉末を溶いた 生理食塩水を胃に流し込み、それを、吸着した毒素や血液と共に、下から強制的に出すのだ。
また、消化管の詳しい検査を経て、飲食が許されるまで、鼻からのチューブもそのままだという。(農薬でボロボロになった食道が、飲食や、口からの嘔吐=胃液が食道を通ること によって再び損傷するのを、防ぐためらしい。)
そうだ。
俺が今、入院して、チューブだらけにされているのは……職場で、課長が見ている前で、除草剤を飲んだからだ。
課長が、的確な応急処置をした上で、救急車を呼んだのだ。
看護師が居なくなってから、俺は独断でベッドを起こした。
俺は今、いかにも入院費が高そうな個室に居る。窓の外に広がっているのは、全く知らない景色だ。どこか、遠い場所まで、搬送されてきたのだろう。
(死にはしなかったんだな……)
それでも、さすがに今回は実家に連絡が行ったようだ。
(俺は、クビになるだろうか……?)
それなら、むしろ本望だ。
座って、窓の外ばかり見ていたら、いつの間にか戻ってきていた母が、視界に姿を現した。
俺の耳が「聴こえていない」と知ったからだろう。母は、院内のコンビニで大学ノートと3色ボールペンを2本買ってきた。
まずは母がペンを取り「自分の名前、書ける?」などと、ふざけた事を書いてきた。
俺は迷わず「倉本 和真」と書くことが出来た。手が震えたりもしない。
母が、インクを黒から赤に換えて、俺が書いた名前の横に小さな花丸を描き、すぐ下に「よかった!」と書き足した。
子ども扱いされているようで、釈然としない。
その後、筆談での会話が始まった。
【どこか痛い? 苦しくない?】
【だるい】
【詳しい説明、あった?】
【あった。しばらく「このまま」】
母からの応えがある前に、俺が次を書いた。
【母さん、仕事は?】
【休みもらって、来たよ。会社から連絡があって】
母は食品加工会社のパート従業員である。有休があるとは思うが、あまりにも長く休んだら、解雇となるかもしれない。
【命が助かって、よかった】
それを書いた後、母は泣きながら俺の頭を撫でた。その後、俺を抱き寄せて、ずっと何かを言っている。耳には聴こえないが、母の胸に振動を感じる。「声」の気配がする。
しばらく俺の背中を撫でていた母が、やがて体から離れ、ノートに【ごめんね】と書いた。
何に対する謝罪かは分からないが、今それを言わなければならないのは、俺であるはずだ。
【あんな会社、二度と行かなくていいよ!】
【元気になったら、家に帰っておいで。】
母の優しさは ありがたかったが、俺は、また父と暮らすのかと思うと、恐ろしかった。
農薬を飲んだことを知られただけでも、まず、殴られるだろう。
あのまま……死んでおきたかった。
死骸保管庫への閉じ込めの時よりも、入院は長かった。2ヵ月以上は かかった。
放置していた虫歯から農薬が入り込んで脳に回ったとかで、一時は かなり危険な状態に陥っていたという。(どうやら、それが原因で聴力が失われたらしい。)
強制的な排泄は10日間に及び、飲食が許されるまでには1ヵ月かかった。(初めの8日間は完全に意識が無かったので、その間の記憶が無いことは、救いである。)
入院中、地元で働く父は、一度も会いに来なかった。
母の力を借りて、俺はついに会社を辞めた。
母は、ほとんど聴力を失った俺の代わりに何度でも会社側に電話をして、手続きに必要な書類を取り寄せてくれた。
入院中、母から手渡される書類に、俺は言われるがままサインをして、印鑑を押した。
俺は「過労によって精神的に追い詰められ、自殺未遂をした」ということになっていて、それに強い憤りを感じた母は、【退職】と【労災認定】に向けて、日々走り回ってくれた。
保険証の関係で、退院までは「在籍扱い」となったが、以後、俺があの農場や寮に赴くことも、会社の関係者に会うことも無かった。課長に、救急車のことについて礼を言う機会すら無かった。
都市部である地元に帰るなら「自動車は不要」ということで、愛車は売り払うことになり、保険も解約した。
しかし、母の活躍も虚しく、正式な退職後、俺に認められたのは、やはり『退職金のみ』であった。自殺未遂や、その後遺症に関する補償・賠償は、皆無だった。
あの会社独自の規定によれば、俺が敷地内で農薬を飲んだことは【労災】には当たらないのだ。その行為と、業務との「因果関係」を立証する物的証拠が無いからだ。(更に言えば、俺には『精神疾患による通院歴』が無い。)
唯一の目撃者である課長の証言は、上層部が揉み消したのだろう。
母は「あんな非道な会社には、二度と関わらない!」と憤慨し、訴訟等には踏み切らず、地元に帰ってからは、俺が『障害者』として福祉の恩恵を受けるための手続きに奔走してくれた。
詳しいことは よく解らないまま、俺は母と共に地元の病院をいくつも廻り、何度も聴力や頭の中を調べられ、心療内科でカウンセリングを受け続けた後、役所で『障害者手帳』というものを2種類 受け取り、社労士との面談を重ね、障害年金を受給できることになった。
聴力は徐々に回復していったが、「正常」の域には戻らなかった。
父は、両親には何の相談も無しに死のうとした俺を【親不孝者】として厳しく非難し、離職した後、到底 再就職が見込めない状態であることに憤慨していた。
また、若くして『年金』を受給することについても「恥」だとか「罰当たり」だとか、猛烈に批判した。
入院する必要が無くなったからといって、決して「治った」わけではなく、到底働ける状態ではなかった。
農薬によって爛れてしまった消化器は、一年かそこらでは治らなかった。
また、俺は あれ以来「味」が判らなくなっていた。何を口に入れても「苦い」もしくは「痛い」としか感じなくなってしまった。
食事を「楽しむ」ということが、出来なくなった。
父は執拗に「バイトでも良いから、働け!」と言うが……働くといっても、「軽作業だけ」なら出来なくもないが、用意された「普通の食事」を食べ続けることが、至難の業なのだ。かなりの高確率で、吐くか、下す。消化の良い物ばかりの弁当を持参すれば解決するというわけでもない。
もはや「栄養を摂る」よりも「汚物を作り出す」ために何かを食べているようで、虚しかった。次第に、生きていること自体が、厭になっていった。
それでも、父は執拗に俺を責め立て、「いつまで甘えているんだ!?」「働け!!」と言い続けた。「何のために、大学まで行かせたと思ってるんだ!?」が、父の口癖だった。「息子を大学に行かせれば、卒業後には【高給取り】になる」という、高卒の父の幻想は、まだ続いていた。
家族3人で食事をするたびに、普通の食事が摂れないことと、働かないことについて、父から執拗に責められた。気性の優しい母には、父を制止する力は無かった。
俺は「食事」そのものが、心底嫌いになりそうだった。
それでも、インターネット上で動物園が配信している動物の動画を観る時、彼らが餌を食べているシーンが、堪らなく好きだった。何というか……とにかく、彼らが「羨ましかった」。
健全な消化器で、いかにも美味そうに餌を食べて……たとえ「生産性」が無くとも、死ぬまで大切に飼われている……彼らが羨ましかった。寝床で、同じ動画を繰り返し再生しながら、涙を流すことも しばしばだった。
はっきりとした理由は分からないが、俺は特にサイが餌を喰う動画が好きだった。
いつしか、本物を見るために動物園に通い詰めるようになった。
サイを見た後に食う飯は格別だった。味が判らないので「美味い」とまでは言えないが、少なくとも、食欲が失せるほどの「苦味」を感じないのだ。そして、吐きも下しもしないのだ。
彼らに会えると「腹の底から安心できる」のだろうか……?
俺は、休園日を除いて、ほとんど毎日、朝からサイを見て、昼食を外で済ませて帰宅した。「食べても大丈夫なもの」が、だんだん判ってきた。
その昼食だけが、栄養となって、俺の生命を支えている気がした。
母が作るものに問題があるとは思わないが……あの家と、あの父が、俺の身体には【毒】だ。
寝込む頻度が高く、家賃を払う力が無い今は、あの家に住み続けるしかないのだが……。
いつしか、俺の頭の中は「サイが見たい」という欲求で いっぱいになった。
それだけが、唯一の【希望】だった。
次のエピソード
【6.「隠居生活」】
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