AI生成画像時代の創作について 考えてみた
個人的には、AIでこんなもの出来ました、こんな事も出来ましたみたいな事には興味が無くなって、もうどんどん使っていってる。
仕事場に利用者の注意を求める会社の張り紙が貼ってあるけど、事務的なテキストだけで、注意を促すポスターなのに、誰にも注目されてないポスターがあった。端から引っ剥がして、僕が制作したAI画像の入ったポスターに取り替えていった。ポスターと言ってもスマホのアルバムに入っている画像をプリントアウトしてコンビニのコピー機で拡大したもの。制作費は100円。
効果はあった、以前よりもみんな気を付けてくれるようになった。やっぱり映像があるというのは強い。
僕が趣味でやってる創作にも、どんどん使っている。
AI画像を創作に使う場合、どうしても障害になるのが不統一性だ。登場人物が生成する事に変わってしまう。
これがAI生成画像で創作する時の難しさだ。noteの記事にもこれに関するものが多い。工夫すれば、ある程度は何とかなるらしいけど、大変な手間がかかる。これなら自分で描いたほうが早い。
マンガを甘く見てはいけない。ある程度出来るでは駄目なんだ。要求されるのは天才的閃きなのだから。今のAIの仕組みだと、難しい感じがする。
でもせっかくのAIだから、なんか創作に使いたいなと考えていた。
Xには、AIが考えたナンタラカンタラというポストがある。出来は酷いのだけど、たまには面白いものもある。
それを見ている時に気がついた!ちょっとした発見であり、発想の転換ですよ。
別にAI画像に統一性が無くても構わない。
ストーリーを展開していって、ここで映像が欲しいなという時にAI画像を使う。
でも、その映像はその前に使った映像とは登場人物の顔が違っていたりする。
困ったなと思うでしょう。
そこを、《 AIが考えたこのシーン 》と考えるんです。別に前のシーンとの連続性が無くても納得出来る。場面ごとにAIが解釈した生成画像を貼付しているんだとすれば、それで納得。むしろ面白い。場面ごとに、ストーリーを離れて自由に解釈された人工想像力の世界を見られると思えば良いのだから。
全編これだと、何がなんだか解らなくなるけど、テキストの合間に使ってゆくなら、それはそれで統一感を感じさせる世界になると思う。
今、ポストに連載している物語にこの手法を使ってみている。
小さなおじさんに導かれて異世界に来てしまった平凡なOLが、赤鬼の尻相撲大会に参加して優勝を目指す、優勝者は赤鬼に願い事を1つ叶えて貰えるのだ。だが、そこに小さなおじさんの宿敵である鬼婆族が絡んでくる
テキストだけだと、あまりにもバカバカしい。そこをリアルティなAI画像でサポートしていってる。
逆に考えると、リアルティなAI画像があるからこそ出来るおバカストーリーだ。
今まで、バカバカし過ぎてやる気にはなれないようなストーリーも精巧なAI画像を伴う事で説得力を出せる。とても面白く有望な可能性だと思う。
僕の場合、ここにトントン相撲の実写やGIF画像まで絡んでくる。
今、Xに連投ポストしているけど、前篇が終わったところでちょっと休憩しているのですが、暇だったら見てみてください。
グーグルで、ノギワラ モキ で検索すると出てくるから、そこからの方が見やすいかも、
後編はさらなるカオス化が。でもラストは感動的!になる予定です。
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