
【読書日記】2021年9月18日
週末になって子供たちの相手をする時間が増え、読書が進まないけれども相変わらず昨日買った『つながらない練習』を少しずつ読んでいる。要所要所でイラストや写真があるので、小休止しながらでも読み進めることが出来るのはありがたい。文字だらけの本も好きだけど、イラストや写真がある本も好き。結局、本だったら何でも好きってことかも。
『つながらない練習』を読んでいて、ハッとする部分に出会う。
当たり前だが、他人は自分ではない。
けれども、相手に対して思いが大きいほど、その人との境界線はどんどん曖昧になっていき、「こう(自分のために)振る舞って欲しい」という期待は膨らんでいく。
『つながらない練習』より引用
期待が失望へと変わるたび、「こうするべき」「こうあるべき」という暗黙のルールも増える。
そして、二度と傷つかないために、二度とないがしろにされないために、ルールをつくって相手を裁き始める。
相手を裁く立場でいるうちは、人は自分にパワーを感じられるからだ。
『つながらない練習』より引用
相手に対する期待が大きければ大きいほど、相手を裁くことが増えるということでもあり、そうなると互いに不満がつのっていくだけでもあって、笑顔の関係でいられる時間は相当短くなる。というよりもゼロになる可能性もある。
この期待から出発した思いは、失望を経由して、不満や怒りに到着しているようなのだけど、『つながらない練習』の中に
でも、こうした不満や怒りは本当の感情ではない。
恋人や仕事相手を責めたいのではなく、ただ私は心の深いところで、もっと自分のことを大切に扱って欲しいと望んでいただけだったのだ。
『つながらない練習』より引用
このように書かれていて、ハッとした。
自分のことを大切に扱って欲しい。これは誰しもが持っている思いではないだろうか。そして同時に「大切に扱って欲しい」と望みながら、人はどれだけ「自分を大切に扱っている」のだろうかとも思う。
私の場合で言えば、自分に対する期待値は高く、でも思うようには出来ないので自分に失望を繰り返し、不満や怒りがムクムクと湧き上がることが多い。
そうやって自分に対する不満や怒りが溢れていれば、他者に対しても優しくなどなれるわけもなく、ただただ厳しい人になってしまう。これはよろしくないだろうと、理屈では分かったような気になるけれど、自分を粗末に扱ってきた習慣はそう簡単にはくずせない。
少しずつだよな、と思う。じわりじわりと変わっていくしか方法はないわけで。スパッと変わったつもりになっても、スパッと元に戻ってしまえば意味はないのだから、ゆっくりゆっくり変わっていくしかない。
まずは自分から。自分を大切に扱うことを心がけようと思う。