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【読書日記】2021年9月17日

台風の影響なのか、昨夜から頭痛があって、今日の私も使い物にならないかもしれないな・・なんて思っていたのに、薬を飲んだら割と元気で、薬って効く時と効かない時があるけれど、あれってどういう状態なんだろうな~なんてことをダラダラと考えていた。

ダラダラするよりも元気になったなら、やりたいことをやってみよう。ということで、朝から読みたいと思う本がいくつか見つかったので、本屋さんへ行くことにした。

前から読みたいと思っていた『つながらない練習』などを購入。

SNSとは距離を置こうよ、といった内容だということは事前に知っていて、そういう内容の本は『スマホ脳』でも読んだし、『デジタル・ミニマリスト』も読んでいるし、他にもいくつか手にしているので、目新しい情報は期待していなかった。

ただ『つながらない練習』で気になる部分があって、それは「つながらない」話ではなくて、「つながる」部分を知るということだった。SNSで必要以上に「つながらない」ことは、自分の精神を守るためにも必要なことだけど、それ以上に大事なのは自分と「つながる」ことだと知った。

SNSを眺めて、他者のキラキラした投稿を見て落ち込んでしまう時間があるなら、自分が好きだったものを思い出して、取り戻していく時間にすればいい。そんな話を読んで、自分を見失いがちな私は大いに納得しかけた。

しかし考えてみれば、見失った自分というのは一体何なのかと思ったりもして。そもそも私は自分というものを手にしていたことが、一度でもあったのだろうか、なんて面倒くさいことを考え始めてしまった。これはムダに長くなるやつ。

自分という人間を理解することは、一生かかるだろうと、誰かが言っていて私もその通りだと思っている。自分のことを理解したかもしれないと思った途端に、別の姿に変わっているなんてことはよくあることだし、本当に自分のことって分からないことが多すぎて途方に暮れる。

他人のことのほうがまだ理解できるなぁ、なんて思ったこともあるけれど、でもそれは思い上がりでもあって。他人のことは目に見える部分が多いから分かったつもりになるけれど、実際のところは当の本人にだって分からない部分も多いはず。

そう考えると、結局は誰のことも理解できないんじゃないかという気もして、こんなことをつらつらと考える自分が、なんて面倒なんだろうとも思うし、でもその面倒くさいところも自分なんだな、なんてことを考えていた。

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