「結局、人生は突然に変わったりしない」ことを何度も覗いてみた話
先日、投稿させて頂いた「初かっさ」という記事の裏ストーリープラスαについて述べてみたいと思います。
最近の私
その素敵なかっさのお店を「その店」と呼ばせて頂きます。
「その店」は、この地区だけでなくCMで使われるような素敵な場所を造る著名な建築家が建てたもので、とても優雅な佇まいをしていました。加えてそのお店の名前が、全ての女性が望むことをピタリと言い当てたような店名でして、「その店」の前を通る度に「いつか行ってみたい」と思っていた場所でした。8月最後の日曜日をどう使おうか考えていたところ、研修会のお誘いも頂きました。そこに参加するには交通費が往復で1万円ほどかかります。元同僚を誘ってみましたがちょうど旅行から戻ってくる日ということで、参加するならば1人で参加して、向こうで知り合いを作ったりしないといけない模様。そこにお金を使うよりもと思い、とうとう念願の「その店」に電話をかけてみることにしました。
とても丁寧な応対で、それは実際にお会いしても変わらない印象でした。施術以外にじっくりと話を聞いて下さったり、飲み物やフルーツを御用意して下さったりでとても気持ちがほぐれました。
どうして来店したのですか?という問いに対して、
「お店の名前」が私の望むことだったからということと、口コミに「人生が変わりました」とおっしゃっている人がいたので確かめにきました。ということを伝えました。
詳細はこちらのリンク記事に書かせて頂きました。
私の主観的な話になります。
自分にはこの施術が合ってなかったようでした。後で見たら、全身が痣だらけで翌日は首にストールを巻かないと出勤できないような感じでした。
でも、施術以外の時間は本当に素敵な時間を過ごすことができました。
他の方にとっては口コミの通りに「人生が変わった」かもしれません。
でも、私にとっては、例え施術を続けていったとしてもそうではなかったという話です。
そこに行ったら「人生が変わる」なんてあるわけないですよね?
でも、確かめてみたかったんです。
ですから、やはり、一朝一夕に肌が若返ったりすることも、ウエストがひきしまることなどはなく、自分に合った方法で「毎日お手入れや、エクササイズをすることが大切で、一日分の効果は見えないくらい微々たるものであっても、自分でできることを続けるしかない」ということに改めて気付かされました。「文章」も「音楽」も「仕事」も全てそうなのだと感じます。
弟の話
三十代に入って鬱になった弟が、奥さんのサポートや私たち家族のサポートで数年をかけて復活することができました(今は四十代後半です)。
鬱になったきっかけは、日勤と夜勤を繰り返す仕事であったこと、残業や休日出勤が多かったこと、職場の人間関係に悩んだことでした。
復活のきっかけは「体を鍛えてボディービルダーに挑戦」したこと。心と体は密接に関係しているので、体を動かして、自分の体が鍛えられて自信をもつことはとても弟の支えになったようです。大会で入賞したりしてました。
そうして幸せな家庭生活を送っているように見えたのですが・・・。恐らくは専業主婦だった奥さんが仕事を始めたことが引き金となって二人の間に少しずつ溝ができ、家庭内別居を十数年続けていました。子供が巣立つまで我慢しようという方針だったようです。
弟の話によると、外に干した洗濯物を雨が降ってきても弟の分は家の中にしまってもらえないような氷付いた状況だったそうです。大人になってからも弟から連絡や相談がありました。そして、或る日送られてきた写真は
弟の部屋のドアに赤い液体のついた紙がナイフで刺してある写真でした。
さすがの私も絶句しました。相談に乗りながらも、弟が無事でいられるか心配をしていたことを思い出します。
その弟を支えてくれる人ができたらしく・・・・・・。
こちらの記事に書かせて頂きました。
時間はかかりましたが離婚についての話し合いが進み、その後、無事に新しい伴侶と暮らすことが叶いました。弟の表情がとても変わりました🥰✨
元お嫁さんと、今の方とちょうど良い距離で関わらせて頂いています。
不育症だった頃の私の話
結婚してから3年ほどは仕事に集中したいと思っていたのですが、その後、子供が欲しいと思うようになりました。そして妊娠をするのですが8週、9週となる頃に流産を繰り返してしまうのです。
その度に、大きな哀しみを味わいました。
ネットで検索して、不育症のエキスパートを探しました。まだ当時は、世間に知られていない症状でした。
自分の県ではなく、他県の病院に治療に行くことにしました。妊娠が発覚したら即入院と言われていたので、妊娠が判明した際に即入院したのですが、再び流産をしてしまったのです。
専門性のある病院にお世話になっているにも関わらず、また流産してしまった。この繰り返しはいつまで続くのだろう?と思い悩みました。
そして占いに2箇所行ってみることにしたのです。
2つとも本を出版されているような大きな団体でした。片方はカレンダーに載っている的な雰囲気のところです。
1つ目の占い所でのアドバイスは
ということでした。
❶は誰でも分かる内容ですよね。❸はちょっとやば目な雰囲気が漂いますよね。
❶は日頃から心掛けていました。❸は電話で丁寧にお断りしました。
❷は夫と相談して、藁をもすがる気持ちで出掛けてみることにしました。
2つ目の占い所でのアドバイスは
ということでした。
❶はなるほど・・・。「逆運上等!」と思いました。(相手に言ってませんよ)
❷はなるほど・・・。「逆運」と言って不安を煽り、毎日御祈祷コースに乗せようとしている。
ということで、反骨精神だけ生まれました。
それで結局どうしたかというと
専門病院にかかるという人事を尽くした上で
「上記のことが、良い方向に向かわせてくれた」と感謝しています。箱根神社の九頭龍様にお参りに行ってから1年後に長女が誕生しました。結婚してから8年目、専門的治療開始より5年目のことでした。
それ以来、毎年春に箱根神社の九頭龍様にお礼参りを続けています。長女が18歳で、その1年前から参拝を続けているので九頭龍神社と19年のおつきあいになります。
ちなみに❷の読み漁った本の中に共通して出てくるキーワードが「感謝」という言葉だったのです。周囲に感謝をすることが、自分の人生を明るく照らしていくというようなことをどの方もおっしゃっておられました。
そういう訳で、私のアカウント名には「感謝」という言葉を入れています。
「御守り」のようなものでもあります。もう一つ、アカウント名は筆名なのですが、私の敬愛する松下幸之助翁より名字をお借りしています。この名字だと、姓名判断の結果がとても良いのです。感謝しています。
わかったこと
なぜ、こんな記事を書こうと思ったのかというと「初かっさ体験」です。
そろそろ、「確認しなくても分かるようになろうよ!」と神様に言われたような気持ちになり、振り返ってみました。