探していると見つかるようにできている❶
たとえば「読書」をしたり「絵画」を見たり「音楽」を聴いたり、または「数学」や「英語」や「歴史」等、芸術や学問に親しむことは、単に知識や理解を深めるだけでなく、自分の内側にある「何か」を育てているという実感を感じたことはありませんか?
でも一体「何を育てているのでしょう?」
感受性でしょうか? それとも知性でしょうか? それだけではないような気がします。
先日読んだ「超訳 ニーチェの言葉」の中にしっくりする言葉がありました。
精神が高まるほど繊細なものを喜べる
ニーチェの言葉をもとに考える
「芸術」や「学問」を楽しむことは
例えば「芸術」分野であれば、細やかな音の違い、色合いの違いや美しさを味わったり、「学問」の分野であれば、その「学問」の秩序性や美しさに気付いて探求したり、それらを楽しむことができるような「繊細で微細な違いを喜ぶことのできるやわらかな精神」を育んでいるだといえるのではないでしょうか。
つまり、「芸術」からは「享楽的」な楽しさを受け取るだけではなく、「学問」からはすぐに役立つ「知識的」なものを受け取るだけではなく、目には見えない「繊細で敏感」なセンサーのようなものが育まれ、そのセンサーが受け取ったものを「喜び」として関知してくれるようになり、より豊かな「精神」が育まれていると言えます。
このように、心のどこかに「疑問の種」を抱えていると、ふとした拍子にその答えを見つけることができる「セレンディピティ」に出会うことができます。「セレンディピティ」は、「探している」ことが前提になりますから、日頃から「なぜ?」という「問い」を大切に過ごしたいと思います。