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本音は口にしてはならず

「字ィに書いたら、人の気持ちはウソケになりまんねん。本音は口にしてはならず、手紙は書いてはならず」
「むつかしいんですね」
「なに。簡単どす、口では本音いうたらあかんけど、することは本音のしたいこと、したらよろしねん」

田辺聖子「お手紙ください」(『薔薇の雨』)

この小説の主人公多珠子はシナリオライターである。テレビで売れている若手の大学教授とつきあっていたが、彼の妻が自殺未遂を起こしたことでマスコミに追われる身となった。京都の友人の世話で「雑貨屋のおっさんの持ち家」にこもって鬱々としていると、家主の越田が、気分転換にとドライブに誘ってくれた。越田は軽妙なしゃべりで多珠子を笑わせ、打ち解けた二人は貴船まで足を伸ばす。

「そうどす。少女みたいなトコのない女は、女とはいえへんのどすな、そういうのは女と違いまんにゃ」
「女じゃなくて、なんですの」
「股裂け男」
多珠子は聞こえないふりをするのに失敗して大笑いしてしまった。

(同書)

すっかりくつろいだ彼女は気力がよみがえり、東京へ帰ると言い出した。そして、今厄介になっている家にまた来てもいいかと問う。

「いつでも空いておす」「京都に住んでみたいーなぜって、ね・・・」「あ、本音いうたら、あきまへん。本音いわへんよってに、京都の町は千年から、つづいてるのどす」「じゃ手紙に書きます。越田さんもお手紙下さい」

(同書)

ここで越田が「魅力的な笑い」を浮かべて「字ィに書いたら、人の気持ちはウソケになりまんねん」と答えるのである。ウソケ、というのはいわゆる嘘ではなくニセモノに近い。嘘っぽくなる、似て非なるものになる、というところであろうか。

本音は無防備に口にすべきものではないが、時として、口にしたい衝動に駆られる。衝動であるからこらえるのは難しい。しかし越田に言わせると、言葉にしてはいけないが隠す必要はないらしい。平たく言えば、「言葉にさえしなければ」何をしてもいいのである。言いさえしなければいい、と思えば気が楽だ。

「ウチの近くに、小さい宗教団体がおしてなあ、これがおかしい。教祖のセンセのいわはるのに、『不幸な人に近づくな』と。こら、真理や思いました。ホンネいうたはる」(中略)
「そやからその教団、いつまでたっても大きィなれへん。あんまりホンネいうたらあきまへんなあ、すべて」

(同書)

(2018.9→2024改)



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