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ある日、呼吸の仕方を忘れた話。

17歳のある休日。ベッドから出て朝食を食べようとしたら、なぜか突然「死ぬかも」と思った。息の吸い方がわからない。今までどうやって自分が歩いていたかもわからない。混乱しながらも、這いつくばって母親のところにいき、「息がうまくできない。こわい」というのを必死に告げた。酸欠で目が回って、天井がはるか遠くに見えた。もう二度と息を取り込めないと思ったのに、母親に背中をさすられているうちに、呼吸は自然と楽になった。

翌日、近所の内科に行って相談した。
先生からは「パニック障害ですね。ストレスとかがあるとよく起こるんです」と告げられ、薬を処方された。この薬が、私の人生を180度変えてしまうなんて、そのときの私はまだ知らなかった。

パニック障害を簡単に言うと、ある日突然「死ぬのではないか」という恐怖心が訪れ、呼吸がうまくできなくなったり、倒れたりするパニック発作を起こすところからはじまる。(実際は脳が誤認しているだけなので死なない。でも発作の瞬間は本当に「死ぬ。無理」と思ってしまう。そのくらい苦しい)そしてその発作がいつ起こるのか?と怖くなり、結果として日常生活が送れなくなるものである。
ストレスが原因であることが多いものの、脳の誤作動や、脳内のセロトニン不足が引き起こすといった説もある。患者数は100人に1人と言われていて、パニック発作だけであれば5人に1人は起こしたことがあるのでは?というほどポピュラーなものだ。

先生から渡された薬を飲むと、平衡感覚が狂う。最初は副作用の吐き気も酷かったが、発作を起こさないために飲むよう言われ、先生の指示に従って薬を飲んだ。カウンセリングが必要とも言われたので先生に会いに何度か通ったが、家族のことを根ほり葉ほり聞かれたうえ「あなたはただ、親に甘えられなくてさみしかっただけだよ。だから病気になったんだ」と言われて腹が立ち、行かなくなった。

母が別の病院を探してくれたので、一緒に行った。新しい病院の薬は合わなくて、副作用が引き起こす幻覚とうつ症状に苦しめられた。(その病院には2回しか行かなかった。)幻覚とうつ症状を引き起こす薬は母がすべてゴミの日に処分して、薬を少しでも薄めるために私は母が言うままに大量の水を飲んだ。近所に内科と心療内科を兼ねているクリニックがあったので、そこで一番最初に飲んだものと同じ薬を処方してもらい、結局はその薬に落ち着いた。
でも、その頃には「いつ発作が起こるのだろう」という恐怖心で、一人で家から出ることすらやっとだった。でも「周囲に自分がメンタル疾患だと知られたくない」という思いが強すぎて、必死で病気を隠すことだけに躍起になった。
  


外ではありったけの気力で取り繕い、隠れて薬を飲み、自宅でひとり泣く。バイトや学校に行くため準備をしても、玄関からの一歩が踏み出せない日が何度もあった。恐怖心は目には見えないから、誰にも理解はされない。外面がよく、完璧主義だった私は、病気に苦しめられているみっともない自分を見せたくなくて、当時の友人たちの多くとは縁を切った。自ら疎遠にした友だちたちは、何を思っただろう。正直に状況を伝えれば、優しく見守ってくれる友人だっていたはずだ。でも私は、床を這いつくばって泣く自分なんて、誰にも見せたくなかった。「普通の生活がしたい」「当たり前のことができない自分に価値はない」だから、病気なんて認めたくないし、誰にも知られたくない。普通の生活すらできず、家以外の場所でも何度も倒れて他人に迷惑をかけた。でも、病気の自分のことを、誰よりも自分が許せなかった。やるべきことを当たり前にこなせない欠陥人間である自分が、誰より嫌いだった。

母はそんな私を、必死であちこちに連れまわした。私に発作がおきそうになっても、母はひるまない。「この発作では死なないから大丈夫」と、ひたすらあちこち引きずりまわした。
これは脳に「発作では死なない」という認知を植え付け、症状を改善させていくという認知行動療法の一つだったのだが、当時の私は何も知らず、ひたすらに泣いて、過呼吸になって、地獄のような連れまわしに耐えた。少しずつだけれど、外に出られる時間は長くなったし、やれることは増えていった。救急車にも何度か乗った。運ばれたさきで、看護師さんから「こんな症状で救急車を呼ぶな。迷惑だ」と心無い言葉をぶつけられたこともあったけれど、それも仕方のないことだと思った。欠陥人間である私がいけないのだから。


どうにか外に出られるようになり、一見みんなと変わらない生活をしていても、精神安定剤をのまないとどこにもいけない自分をずっと“不完全”だと思っていたし、本当は弱いのに平気な振りをして愛想笑いばかりしている自分が、とにかく大嫌いだった。

思い切って病気を打ち明けてみれば「目に見えないものだし、結局は自分の弱さの問題でしょ」と言われる。私が弱いから、こんな症状に苦しめられているし、薬がないと何もできない。何度も何度も自分を責めた。

病院に行けば、まともにしゃべることすらできない精神病のおばあさんが、娘らしき人に手を握られ「あー」とか「うー」とか言いながら、ぼんやりと宙を仰いでいる。見るからに落ち着きのない様子のおばさんが、生活用品の入ったビニール袋を両手いっぱいに抱えて廊下を往復している。貧乏ゆすりが止まらないおじさんは、しきりに受付のお姉さんに「おい、オレの順番はまだなのか」と呂律の回らない口調で騒ぎ立てている。その様子は、さながら珍獣たちが並ぶ動物園のようだった。言葉にすると最低だけれど、その動物園のなかに私もいるのだ。

まともな人間になりたい。
SNSで盛れた写真を上げまくったり、朝までオールで騒いだり、みんなでパーティーをしたり。そういう「リア充」みたいなことは望まないから。
せめて、薬を飲まないで、あたりまえに仕事に行って、家に帰って。休日は体調の心配をすることなく、友達と遊びにいったりしてみたい。こんな珍獣たちのなかで自分の名前が呼ばれるのを待つ日々はもう嫌だ。

「薬を飲んでいるからいけないんだ」と、私は勝手に薬を絶った。
朝晩2回、合計たった4錠の薬を抜いただけだったのに、心臓がばくばくとして息が苦しい。それに耐えれば、平衡感覚がなくなった。いるはずもない誰かが、私を呼ぶ声がする。たすけて、たすけて、たすけて。遠くから、私を追いかけてくる男が見えた。布団を被り、私は震える。夜が長くて、眠気はちっとも訪れない。こわいこわいこわい。やっとのことで意識が途切れ、眠りが訪れれば、首を絞められる悪夢で目が覚めた。ずっと耳の奥でキーンとした音が鳴り続けている。ちかちかとクリスマスのイルミネーションが目の奥に見えて、心臓は常に早鐘を打っている。

地獄があるなら、こんな感じかもしれないと思った。

泣きながら、薬を1錠だけ飲んだ。クリスマスのイルミネーションも、キーンと騒ぐ音も、30分後くらいには消えてなくなった。心臓の音も、いつもと同じペースに戻った。


そんな日々を過ごす私から、母は絶対に離れなかった。
パニックになって泣き叫ぶ私と一緒に泣いた日もあったけれど、母は私を絶対に見捨てなかった。そこにアンタがいてくれるだけでいいんだよ、完璧でいなくてもいいんだよ。示し続けてくれる母を見るたびに、私は申し訳なさでいっぱいになった。こんな娘でごめんね。ちゃんとした娘になれなくてごめんね。薬は朝晩一錠に減って、外では「ちょっと体が弱いけれど、穏やかで優しい私」を取り繕った。でも、私はどうしてこんなに、完璧な自分でいたいんだろう。必死で取り繕ってまで、ちゃんとした自分でいようと思うんだろう。そう考えたとき、ある出来事が頭に過った。

中学生のとき、母の知り合いだった塾の先生に「塾に行くお金もなくてかわいそうだから、うちの塾に通えばいい」といわれ、少しの間だけタダでその人の塾に通っていたことがある。母親は私が幼いころに離婚して、私とふたりで生きるために水商売の道を選んだ。先生はその境遇に同情して、自分の塾に私を引き入れたらしい。でも、特に勉強は苦手じゃなかったので、先生の出したテストで100点をとったら「境遇に負けずに頭がいいんだな。優秀だ」と特別扱いをした。先生の発言は差別的で、私はなんだか苦手だった。
先生と会うことが嫌になって、熟をやめようと決めたとき。それを母から伝えたら「水商売の母親に育てられた子なんてどうせロクなもんじゃない。授業の態度も俺を小ばかにしていた」とひと言。ただ座っていただけなのに。自分がせっかく通わせてやった塾を、やめるといったことでプライドを傷つけられたようだった。

そこで私は思ったのだ。
私がちゃんとしていないと、母のことを悪く言われてしまう。「水商売で育てた娘だからこんな風になったんだ」とだけは言われたくなかった。どこに出してもふさわしい娘でありたかった。

ちゃんとしなきゃ、きちんとしなきゃ。
正しい自分であらなきゃ。
何度も何度も、私はその言葉を自分に言い聞かせてきた。

じゃあ、正しい自分ってなんだろう。ちゃんとした自分って何だろう。
それを決めたのは誰なんだろう。
ああそうか、それを決めたのは全部、私だ。

私はただ、自分が作った「理想の自分」に自分を当てはめようとして、勝手に苦しくなっていただけ。母は私に理想を押し付けたりなんかしていない。
ただ勝手に私が「あんたが大事であんたが支えなの」と笑って抱きしめてくれた母の言葉に、理想の自分をつくることで応えようとしていただけ。
自分が勝手に自分を追い詰めているんだから、誰かのカウンセリングを受けたって意味がない。誰かにわかってほしかった訳でも、認めてほしかった訳でもない。ただ「自分がつくった理想の自分」にとらわれているだけ。それで勝手に苦しんで、息の仕方を忘れただけ。


もう一度、リセットしてやり直したい。
ちゃんとした自分になるためじゃなく、自分自身を追い詰めるためじゃなく、期待に応えるだけじゃなく、ちゃんと自分自身の人生を生きるために。
私は、二度目の断薬に挑戦することにした。

一度薬の量を減らしていたため、最初の断薬よりは比較的楽だった。
でも、幻聴と幻覚は1週間以上にわたって私のことを苦しめた。仕事に行って、帰宅して。日常生活は気力でどうにか過ごしていたけれど、家に帰ればまっくらな部屋で何も食べずにうずくまった。体内の薬を薄めればいいと思い、ただひたすらに水を飲んだ。

地獄のような真っ暗な日々。
ある朝、気絶するような眠りから目覚めると、窓の外から鳥の声が聞こえた。窓を開けて、息を吸い込む。世界が眩しくて、きれいだと思った。

私はあの瞬間、生まれ直したんだと思う。
クリアになった視界に、涙がでた。
生きていてよかったと、心から思った。


そう簡単に自分の思考は変わらないけれど、それから私は「正しい」に固執することをやめた。「まあいいか」「これでいいんだよ」と自分に言い聞かせる癖をつけた。早起きができなくても、まあ仕方ない。着る服が決まらなくても仕方ない。ちゃんと家を出ただけで今日は満点。そうやって、小さなことでいい、自分自身を褒めて認める癖をつけた。そんな小さな積み重ねで、私は息の仕方を思い出した。突然胸が苦しくなることもなくなった。

母は「おいしそうにごはんを食べるもかを見ると安心する」と今でも言う。

地獄のような日々を抜けて、待っていたのは新たな自分だった。
ご飯はおいしい。今日も風は心地いい。音楽はたのしい。
今日も、私が生きる世界は美しい。

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