北の伏魔殿 ケースII-➀
○組織、学閥上げてのパワハラ
パワハラについては、ケースⅠのような事例が珍しいと思っていた私にとって、私の県では実は普遍的に行われているということを実感したのは、ケースⅡである。
ケースⅡの話の前をする前に、県のパワハラ体質の話をしてようと思う。これが、実はケースⅡとも関連してくるからだ。
経済交流の課から産業振興の課へ移動した私の前に、当時、県庁内でもパワハラの権化と謳われた人物が課長として現れた。
その課長は、過去に部下をパワハラにより2人も自死に追い込み、二桁にのぼる職員をメンタル不調から休職させた。今なら、相当重い懲戒処分が下されるところだが、そもそもハラスメントに甘い県の体質と相まって、幹部職員にまで上り詰め、相当数の被害者を生み出した。
課長から指示のあった事業の直し方針の原案を作成し、説明していると、
なかなか納得せずに、午後4時から始まった課長説明が夕食休憩もなしに午後9時頃まで、延々とダメ出しを続けられていた。私が「課長のおっしゃるとおりにします。」と言うと「死ねと言ったら死ぬのか」と聞き返した。
今年、厚労省「パワハラ相談員」でもある管理職も部下に同様のことをいい、言われた職員は鬱で退職し、その管理職は懲戒処分されたそうだが、「死ね」と言うのが職務命令であるはずもないだろうに。彼がそう言った背景には、自死した職員について、当時の幹部職員から「今度繰り返したら二度はない」と言われたことが頭にあったからだ。しかし、それでも懲りない。確かに高学歴で、仕事の能力はあるが、部下を使うことができないこの程度のレベルの職員を管理職にしている県庁の体質が大いに問題である。
この課長がそういうパワハラ職員だとは知らなかった私は、課長着任前に代表係が課長から最も遠い場所に席を配置したことを不審に思った。(通常代表係は課長とコニュケーションを取るため、隣席に配置するのが普通)
私は、ハラスメントを受け始めた頃から、周囲に話を聞いていると、課長が団体出向していた時に部下だった市派遣職員を退職させたり、冒頭説明したように大勢の職員をメンタル不調にさせたりしており、彼を知る友人でもある幹部職員からも「彼に部下を持たせたらだめなんだ」と言われる始末だった。
私は、そういった圧力には比較的耐久性があり、課長のダメだしを受けながらも事業の見直しを完成させ、予算編成方針に則って財政当局にも説明、納得を得て、事業の予算要求が課の方向性どおりにうまく収まった。
しかし、課長にとっては、部下とは、自分を恐れる存在でなければ面白くないらしく、わずか2年でその課から出先機関に異動させられた。
当初、異動は希望していないと抵抗したが、「出先で新たなプロジェクトがあり、君に担当して欲しい」と言われたため、承諾したが、真っ赤な嘘だった。今時、人事で嘘をつくようなことをしてるとは、ケースⅠでも、人事課にいた職員が同様のことをしていたが、県庁の体質であるようだ。
なお、この人事を担当した部の人事担当課長補佐も同様の人間で、出先の総務部長として、私と一緒に異動したが、この職員が私の人事の権限がある役職につくのは、5回あり、その都度、周囲に私のあることないことを吹聴して、私の人事に不利益となるよう工作していた。
実は、この職員と初めて、同僚となったのは、私が係長に昇格する前の課で彼は当時は、人事とは関係のない部署の主査だったが、担当者時代人事係にいたことがあった。
彼とは、当初、酒を飲むなど当初、関係は悪くはなかったが、私が採用から8年間、部局はもちろん係の異動もなかったことに不満をもらしたのが、面白くなかったらしく、それから自分が人事担当になった際、人事で報復するようになった。
私は、仕事を覚えるために、色々な仕事を担当したくて、そう言ったのだが、総務・庶務系の仕事しか自信のない彼にとっては、様々な職務や経験をしたいということが理解できず、それを出世の希望にしか結びつけられなかった。だから、彼は、事業系の仕事ができなかった。なお、彼がやていたことは番外編で詳しく書いていこうと思う。
画像:株式会社東洋電制製作所