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的を得た努力とは

心のどこかで「私の心の不調は思春期のこじらせであり、本来の自分は普通のことができる」と思っていたようで、あまり的を得た努力をしないままここまで来た。
人生の軌道を戻すために努力してはいた。でも、結果的には努力の方向がズレていた。数学を習いに塾に通ったり、医療系大学に行こうとしたりと「普通」にこだわりすぎて無理をしていた。無理をして苦痛を味わえば味わうほど「私は頑張っているんだ」と実感できるので、無意識に精神を消耗させてしまうという歪みもあった。どうしてもやってみないと分からない事はある。だから無駄だったとは言わないけど、その頑張りは幸福には直結していない。今のところ。

なんせ私は我慢をする訓練をして生きてきたので、気づけば自分にとって自然な生き方が何か、分からなくなってしまっていた。

その違和感から一気に心身を崩し、時々負の感情が「強烈に不快、今すぐに逃げたい」という衝動にすり変わるようになった。今まで機能してしなかった心の防衛機能が、一気にパァン!!!と戻ってくるのだ。今までとは真逆に心の声に過敏になりすぎて、嫌だと思ったら全く我慢ができなくなった。自分の利益になりそうなことですら、突然、本気で辞めたいという衝動に駆られる。

「今すぐに逃げたい」という感情が一生戻ってこなかったとしたら今頃死んでいたと思う。
でも、全く我慢できないというのも自由な人生を送る上で大問題だ。
絵を1枚描くという小さなことから学校を卒業するという大きなことまで、それがやりたくないことではなかったとしても、どこかの過程で面倒なこと、我慢しなければならないことにぶち当たる。その度にやめてしまったら成果が出ずに終わってしまう。だからこれからの私には、やり遂げればきちんと自分の人生が充実しそうな物事だけは、どれだけ時間がかかってもいいから、逃げ出したい衝動に負けず頑張ってほしい。これが多分、今年一番の学びだと思う。

なんで私は両極端を経験しないとほどよい具合が分からないのだろう。
50m走を10秒で走れる(←遅い)からといって、そのペースで40キロ走ろうとしたら倒れるということが倒れるまで理解できない。頭が弱いので。

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