名前と自分が重なるとき
私は普段、書家・本田蒼風として仕事をしている。
初対面の人に名刺交換をすると「…あっ、この名前って源氏名ですか?」ときかれることがあるけれど、正確には「雅号(がごう)」というやつで、書家としての名前ですよ。源氏名って…何か夜の香りがしますね。うふふ。
我が家は父も祖母も書道をやっていて(書が生業ではないけれど)、その時の父の雅号が「無蒼」、祖母の雅号が「和風」だから、自分のルーツを与えてくれている人たちということで、一文字ずつ無断でいただいて「蒼風(そうふう)」と自分で命名した。
はい…ご本人たちには事後報告でした。(笑)
正直、雅号は付けても付けなくてもいい。
付けずに本名でやっている書家さんも沢山いる。
書の世界は「御家流」みたいな雰囲気が強い側面もあって「○○先生に師事」みたいなところが後ろ盾になっていると「ほほ~なるほど、あの先生の一派ね」みたいなところがある。
私も北海道(地元)にいたころは、書の団体に所属していたのだけど、東京へ引っ越したと同時に脱会して、完全にフリー状態に。
私の大学の時の先生はそれを許してくれる寛大な先生だったので出来ましたが、結構ガッチリ囲われちゃう場合もあるようなので、助かった。
(私個人的な性格上、一定の団体に所属し続けるということが無理だっただろうから。なんせ寅さんなので、一定のところに留まることができないと思う)
特定の先生に師事していると、「先生から雅号頂きました!」風な流れがあるのだろうけど、私は書の団体からもフリーな状態になってから書家活動はスタートしたので、誰かに付けてもらうことはなく、自分でつけた。
きっと当時は軽い気持ちで、
一種の「変身願望」みたいな感じだったように思う。新しいスタートをきる勢いの一つみたいな。
それと「自分に書を与えてくれたルーツに向き合う」みたいな感覚も少しあったのかもしれない。
父と祖母がいなかったら、そもそも「書」自体をやっていなかっただろうと思うので。
そんなこんなで、「本田蒼風」という名前が存在して現在で14年目。
生まれた時「本田MOTOKO」
書家としてスタート「本田蒼風」
今プライベート「M・MOTOKO」
もはや、私は誰なの?っていう状態。
毎度、宅急便が面倒なんです。
仕事関係の宅急便は、全部「本田蒼風宛」になるけど、仕事の名前での「公的書類(戸籍みたいな感じのイメージの)は無いわけで、時々仕事関係のものをアトリエではなく自宅で受け取ろうとすると
「えっと…本田蒼風宛のお荷物なんですが、Mさんとはどういったご関係で?」って毎度再配達の時、混乱を招くんです。
「M・MOTOKOと本田蒼風は同一人物です。ええ、そうなんです。紛らわしくてすみませんね、本当に(;´Д`)」と宅急便を届けてくれる方に説明。
でもそう説明しながらどっか心の隅の方で「本当にM・MOTOKOと本田蒼風は同一人物なんだろうか?」と思うことが度々ある。
何でこんなことを書いているかというと、
年末に俳優の瑛太さんが「永山瑛太」という本名で今後はやっていく…という発表をしたという記事を読んで、何だか気になっていた。
記事はこちら→瑛太、2020年から永山瑛太
まずこの記事をみた瞬間
「いいな~。仕事もプライベートも同じ名前になったら、宅配便のときの苦労が無くなるな。楽そうだな…(たぶん瑛太さんご本人は、そんなことで悩んだことはないだろうけど(笑))」
そして記事に「改名については以前から考えてきました…令和という節目に…」みたいな内容を読んだとき、「何かわかるような気がするな…」と妙にその一文に見入ってしまった。
きっとどこかでずっと自分なりのタイミングを探し続けていたんだろうな…と。
私が書家として活動した直後、
たまたま原宿のある喫茶店で隣に座ったことが縁で知り合った方がいて、
その方とは、その後しばらく定期的に私がフリーで活動していくにあたって、近況報告も兼ねて食事をご一緒させてもらったりした。
その方は自分一代で大きな会社をいくつも抱えるほど成長させた実業家さんで、出逢ったころには、60歳手前くらいだっただろうか…。本当に品が良く紳士で、私にとっての「憧れの大人」…という感じだった。
「本田君、これから君は一人で仕事をやっていこうとしている…」
一通り私の話を聞いた後、そんなフレーズから始まって、ご自身が経験されてきたことを惜しみなく教えてくださった。
でも手取り足取りではなくて、いつでも短いフレーズをポン、ポンと会話の中に置いていく感じで、私はそのフレーズの意味を、その場では完全に理解できないけれど、持ち帰って色々と試行錯誤を繰り返しながら経験しているなかで「あっ!Kさんが言っていたのはこのことか!」と気が付く・・という感じの不思議なサイクルだった。
当時食事をしながら、いつものようにドギマギしながらも活動してみての葛藤や迷いなどの相談も含めて話をしていたら、
その方が私にこう質問をした。
「本田君、君は何故、蒼風という名前を付けたんだい?」
「蒼風」という名前を付けた「経緯」の話かと思って「祖母と父がいまして・・」みたいな上記の話をした私に
「そうかい。」と少し間をおいてからその方は続けた。
「…いつか君の中で、本名と蒼風とが重なるようになるといいね。」
と。
その時の雰囲気を今でも凄く鮮明に覚えている。
その時は本当に活動しはじめで、蒼風の名刺を初めて作った時だったから「えっ?どういうこと?雅号を別につけない方が良かったのかな?」とかグルんグルんしたまま帰宅した記憶がある。
そしてこの「本名と蒼風が重なるタイミング」に関しては、私の中で事あるごとに気になることの一つになっている。
「名前」の「名」の文字の字源を調べてみたら
大きく分けて二つの説があった。
一方は「夕は祭壇に備える肉を表し、口は祝詞を入れる箱。つまりこれは出生を報告する儀式を描いたことが始まりで、その儀式でまずな幼名をつけて、成長するごとにその儀式は続き成長した時に新たに「実名」となる名前を授かる。」
もう一方では「夕の記号素は、暗くてはっきり実態が見えない状態を表すもので、口は言葉を表す。存在がはっきりとわからないものに言葉を与えることで輪郭を与える」
とあった。
どちらの説が正しいのかは分からないけれど、どちらにも含まれる感覚は
「名」は、本来実態なきもの(変化し続けるものに)、文字をつけることで、取り合えず一定の輪郭を与えているようなもの。
というような感覚。
雅号でなくとも、
現在の日本だと、結婚を機に苗字を夫側の苗字に変える人が多い。
私もプライベートでは変えた。
苗字が変わったことでの様々な手続きの面倒くささは、
もう絶対に経験したくないことの一つだ。
結婚で苗字が変わるという経験は、その事実以上に色々な感覚を与えた。
レイヤーが増えたというか、一枚の紙の一部分をびりっと破いて、他の紙をつぎはぎしたような…というか…。
そして正直にいうと、いまだにプライベートでの苗字はしっくり馴染んでいない。嫌なんじゃなくて、ただ単純になじむ感覚がないものという話。
本田蒼風が14年、M・MOTOKOが7年とちょっとだから時間の長さも関係しているだろうか。
名前を呼ばれる回数でいうと「本田蒼風」(本田さん、蒼風さん、蒼風…などなど)の方が圧倒的に多いことも要因の一つかもしれない。
いつか、私の中での別々の輪郭を与えられているものたちは、
完全に重なることがあるんだろうか?
そもそも今ある輪郭をぼんやりさせ続けられたら、
どんな感覚だろう。
本田蒼風もM・MOTOKOも入れ物は同じなんだから
中身に入っている私の何者かが、
名前による意識変化スイッチが無くても日々生きていけるようにすればいいだけの問題…といえばそうなのだけど…。
正直、「本田蒼風」と「本田蒼風ではないときの自分(それが今のM・MOTOKOと同一なのかは…わからない)」は、
未だにすっかりは重なっていなくて、
でも年々その重なり部分は多くなってきている…ような気がする。
このNoteという場所を作ってみたら、
私の中の意識スイッチは、
本田蒼風でもあり、M・MOTOKOでもあり…またどちらにも合致しないようでもあり…という変な感じで、
それが凄く心地のいい場所だと感じている。
この「名前輪郭問題」に関しては、
まだしばらく私の中でグルグルしながら存在しそうだ。
TOPの写真
大学時代に師事していた先生がプレゼントしてくれた落款
蒼風とMOTOKOがどちらも入っている。一生の宝物。
P.S
この記事を書いてから、自分の名前問題に一旦決着がつきまして、
蒼風の名前を再度育てあげる気持ちで、色々な表現にも挑戦していこうと決めました。noteで記事を書くと気持ちが整理されて、いいね★
2020年12月29日
#名前の由来