真新しいノート。 (せつこ。)
私は、本を読むことが好き。
私は、文章を書くことが好き。
本を読むことが楽しくて、作文を書くことが苦手ではなかった幼少期の私。そんな私が今に至るまでずっと思っている「好き」という気持ち。
そう自分に言い聞かせているだけなのでは?
そんなことを思うときがある。
「最近、本読んでないし」
「良いアイディアが出てこない」
「本当に好きでやってる?」
というようなことを思ったとき、だいたい疲れている。
私の人生で、一番本を読んでいたのは中高生のときだ。学校や地元の図書館をフルに活用して、親の迎えを待つ時間や電車で通学するときに読んでいた。当時の私にとって本は買うより、借りてくるものだった。気になった本に手を伸ばし、司書の方のおすすめを素直に聞く。読む本の自由度も高かったように思う。(大人になった今は好きな作家、好きなジャンルばかり読んでいる。)
学生時代を終えて、本を買う機会は増えても、本を読む元気がないことに気づく。読もうと思えば、読む時間は作れる。分かっていても、スマホばかり見てしまって、本はどんどん積まれていく。
あれ、私って、本を読まなくても大丈夫な人間だったのか?
そんなことに気づかされる。
なんとかせねば……と思ったのが、ここ数年のことだ。
長年住んでいた福島を離れ、初めての県外住まいを宮城県仙台市で始めたのが2022年。慣れてきたころに、仙台は文学的なイベントや講座が多くあることを知る。せっかくならば!と、芥川賞作家の講演会や文章講座、トークショーなど色々参加した。
2024年の2月から、読書会に参加して、本を読むことを生活に溶け込ませている方々に出会う。なんと、素敵なんだろう。「私も生活の中に本を!」そう思いなおし、生活の中に少しずつ読書時間を取り入れていくことにした。
そんな私が最近やりたいと思っていること。それは「ジャーナリング」と「読書ノート」で、それぞれノートに文字を書くことだ。 ジャーナリングは、一定の時間内で自分の頭に浮かんだことをありのままノートに書き出すことで、書く瞑想とも言われる。読書ノートは、手書きで作る読書記録のこと。
さて、どのノートを使おうか。ノートの選択肢だけはたくさんある。
私はノートが好き。特に「真新しいノート」を愛している。文房具コーナーや雑貨屋で衝動買いすることも多々ある。手に取って、パラパラとめくる。紙の質感。紙の触り心地に安心する。ノートは私のトキメキなのだ。
そんなこんなで、手元には使われていないノートが数々ある。使っていないノートのコレクションを見るたびに私は少しだけ罪の意識を感じるのだ。使われないノートたちが不憫に思える。やはり、使われることこそ、ノートの本望だろう。
愛しのノートたちを使うため、本を読みたい、文章を書きたい、そんな私の思いが重なる。
2024年7月13日から読書ノートを始めた。
あらすじ、印象に残った文、感想をノートに書くことにした。
書き続けられることを、三日坊主常習犯の私にやんわり期待している。