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土門拳写真集「筑豊のこどもたち」のインパクト

一昨年の7月、富山駅の構内で開催していた古本市で購入した、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」をゆっくりと目を通しました。実は、買った後、さらりと目を通して、そのまま本棚にしまっていました。夜な夜な買った写真集を整理していた時に、この写真集が出てきて、これはちゃんと見なければならないと反省し、しっかりと目を通しました。そして、今になってショックを受けました。

まず印象的なのは、この写真集は新聞や雑誌で使われるザラ紙で作られています。これは土門拳が定価100円にこだわり、裏表紙の筆者のことばで「写真集にも、いろんな形式があっていいはずだ。ぼくは、この写真集だけは美しいグラビア用紙でではなく、ザラ紙で作りたかった。丸めて手にもてる、そんな親しみを、見る人々に伝えたかった」と書かれています。60年を超えたザラ紙は劣化が進んでいますが、それも相まって当時の筑豊の厳しい状況をルポルタージュとしてリアルに強烈に訴えかけてきました。この価格設定のおかげもあり、10万部を超すベストセラーになったそうです。
森山大道の写真集「Daido Silk」のシルクスクリーンによるザラっとした質感にも通じ、この「Daido Silk」は「筑豊のこどもたち」の現代都市バージョンと感じました。

エディトリアルデザイン(写真集にはレイアウトとクレジット)は、デザイン界の巨匠、亀倉雄策が担当しています。どうやら短期間のプロジェクトだったようで、年末の忙しい中、装幀とレイアウトを請け負ってくれたことに、土門拳はあとがきで感謝を述べています。

この写真集が発売された1960年といえば、東京では安保闘争真っ只中です。現在のようにSNSで瞬時に世界中に情報を拡散できない時代、北九州筑豊という東京から遠く離れた場所で起きている社会問題を、モノクローム写真とザラ紙で鋭くえぐっているこの写真集は、どのようなインパクトがあったのでしょうか。私が生まれる前ですが、当時の写真家が背をっていた社会的使命の大きさを妄想し、ただただ圧倒されました。

各章の扉に記載されている、土門拳の直筆と思われるメモが、さらに心をえぐります。単なる写真集というよりも、ドキュメンタリーです。
72ページのキャプションに、学校にお弁当を持っていけない超貧困の子供は、みんなが弁当を食べている時は目のやり場に困るので絵本を読んでいると書かれています。自分の娘が同じ立場だったらと思うと涙が出てきます。

興味深いのは、写真機材を細かく説明しているところです。筑豊での取材活動は、LEICA M3にズミクロン50mm F2だけで撮影しています。おそらく、この活動は1959年だと思います。M3が1954年から66年まで発売されていたので、当時の最強カメラ機材です。今で言えば、M11とアポズミクロン50mmを使うイメージでしょうか。LEICA M2が1957年に発売されたので、土門拳であれば、LEICA M2にズミクロン 35mm F2の組み合わせを加えた2台体制も可能だったと思います。それにも関わらず、50mm1本だけで様々な情景を撮っていることがとても勉強になります。

フィルムはネオパンSSSとのことで、調べると感度はISO(ASA)200なので、暗い学校の教室での撮影は増感していたのでしょうか。カメラの性能、印刷技術、様々な面で現代は優れてますが、リアリティを映すのは、ズミクロン50mm F2付きLEICA M3にモノクロームフィルムだけで十分だよ、と巨匠の声が天から聞こえてきました。

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