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D or A第1回「テーマ出し」

『デッドorアライブ〜2023年本公演に向けて〜』
という企画をやってます。どうも、演劇企画もじゃもじゃです。
企画の詳細と団体についてはホームページをご覧ください。

4月19日(火)に第1回「テーマ出し」にてそれぞれのテーマを文章化して団体へ提出。26日(火)にブラッシュアップしたものを再提出しました。
今回の企画は、戯曲が完成してからの大幅改変ができないというルールが設けられているため、今のうちに外部からの意見をいただきたいということで、以下にもじゃメンバーである安藤と中山の個人テーマを掲載します。もう一人のメンバー高槻にジャッジしていただいた結果、今回はドローということで、企画の目玉と言っても過言でない地獄の罰ゲームは実行されませんでした。残念。

●安藤のテーマ
「慮る(おもんぱかる)」

 自分の尺度で他人の痛みを想像するということ。

 ジェンダーというものは誰にでも存在する。そしてその有様は結局は個人の個性というものに他ならない。私たちは他人の個性をわかりやすく、理解しやすいものにするためにカテゴライズし、隔たりをつくり、区別する。どうして言語で説明が尽くせないものに安易な言葉を与えるのか。どうして、LGBTQは「えるじーびーてぃーきゅー」という名前がつけられなくてはならなかったのか。

 社会で生きる上で、日本人の多くは争いを避けようとする傾向にあると思う。相手を傷つけなければ、自分が傷つくリスクも少ない。昨今増えたジェンダーという誰しもに存在して、そしてデリケートだとされる問題についても、今多くの人が相手のことを「慮り」、「想像」し、「名言」を避ける。その際に必要となるのが相手をどれぐらい理解しようとしているかという許容の広さだ(と思っている)。カテゴライズは許容量を増やし、知らない世界を安易な名称によって知った気になれる。「あの人はFTM(生物性は女性、性自認は男)なんだ!」と分かれば「彼女」というのを避けてみたり。「彼氏いるの?」ではなく「付き合っている人いる?」とぼやかしておけば安全だ。

 しかし、私たちは名称では知っていても、FTMの人がみんな同じように扱ってほしいとは思ってない…というところまではなかなか想像できない。わたしたちの浅い知識による身勝手な「慮り」は、間違えることだってある。正解は、その人の中にしかない。

 私はこれをもちろん日本人の優しさだとも思う。だが、同時に、他人同士の希薄な理解を生む可能性だってあると思う。本当は「女らしい」と言われることが好きだし、自分のなかでの最大級の女性に対する褒め言葉なのに、昨今の情勢から使うのを控えたりする。

それってなんだかおかしくないか?ジェンダーは腫れ物ではない。当たり前に存在するものだ。表明せよ、自分の性を。理解ができなくてもいい。理解できない他人を許せ。納得と共存は常にセットでなくてはならないなんてことはない。

 「脅かす」ことにならなければ、この偏った「慮り」はいらない。それよりももっと個人を知ることだ。本物の世界に出会うことだ。


戯曲上でのテーマの扱いについて

 「慮った」会話というコミニュケーションを主軸に、それ故に生まれる誤解やすれ違いを描く。しかし、ここでの「慮る」ということは登場人物が思慮深いという訳ではないだろう。行動のエビデンスが浅い知識にあることの危険性や、他人に踏み込まない(踏み込ませない)人間同士が空間をともにすることでしていく変化を考えたい。

  簡潔に言えば「知った気になるな!」とみんなが思っている。または「知っているのに!」とも思っているかもしれない。

 筋道のたった物語の形をとるかはこの後決定していく題材にもよるが、作品の始まりから終わりに至るまでに、なるべくさまざまな関係性を描きたい。おそらくこれを書く私が一番「知った気」になっていることが浮き彫りになると思う。


●中山のテーマ
『同性婚とBL漫画とそれを取り巻く腐女子について』

 最近BL漫画を読み漁っている。以前から読んではいたのだが、基本的に二次創作ばかり読んでいて、ストーリーも登場人物もオリジナルである商業BLはあまり読んでいなかった。きっかけとなったのは「BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす」(溝口彰子著・太田出版)という本を読んだこと。商業BLの歴史、社会を動かしてきたと言っても過言ではないと思える業績が載っていた。また、「同級生」(中村明日美子・茜新社)というアニメ映画化もされた人気シリーズBL漫画の最新刊「blanc」を読み、そこに描かれる主人公カップルの周囲の人々に感動した。どんな人たちがどんな社会を作っていけば良いのか、押し付けでもなく綺麗事でもない描き方を目の当たりにした時に、「BL進化論」に書かれていた、快楽マシーンとしての機能しかなかったBLが進化して、社会のより良いあり方を描く作家が出てきたということと完全に一致していた。

 これは、演劇作品を上演する意義と共通すると思う。全ての作品が社会に対して何か持っていなければならないとは思わないが、「苦しんでいる人が少しでも楽になってくれたらいいなぁ」という甘ちゃんな考えが根底にある私は、演劇で世界に変化を与える何かを生み出したいがために創作を続けている。BL漫画の広がりが同性愛者への差別や偏見を少なくしたという確実なデータは見ていないが、きっと何かしらの影響はあったはずだ。

 さて、今回のテーマのもう一つ「同性婚」について。
 どうすれば同性婚は法律で認められるのか。ネットで簡単に出てくる記事を読む限りでは、政治家が家父長制を保ちたいが故だとか、少子化が進むだとかいうわかりやすい問題が浮上する。友人とこの話題について話すと「マイノリティは後回しにされるよね」と言っていた。ちなみに同性婚が認められている世界の国で少子化が進んだと言うデータはないらしい。

 前述の「blanc」では主人公カップルが結婚について悩む。元々二十歳になったら結婚するという約束をしていたのだが、男女カップルの結婚のようにはいかない。籍を入れることも考えていたが、この先情勢がどうなるのかわからないので先送りにすることにした。そんな先行き不透明な未来に、お互い愛し合っているにも関わらず衝突してしまう二人。最終的には結婚式を挙げてハッピーエンドとなるのだが、元々同性婚が認められていたら二人は苦しまなかったのではないか?という、物語の展開としては破綻してしまうような考えが出てきた。

 愛し合っている二人の人間が同性であり、男女のように結婚できないことが原因で幸せになれないとしたら、そんなのは納得できないというのが私の単純で純粋な意見。それはもちろん漫画の中だけでなく、現実でも同じだ。

 以上がテーマの二つ『同性婚』と『BL漫画』に対する私の考え。ここからは『それを取り巻く腐女子』について。

 コミックマーケットにおいて売買される二次創作BL作品はものすごい数になり、商業BL作品も各書店に数えきれないほど存在するということは、二次元での男性同士の恋愛を好む腐女子という生き物の人口が多いことは間違いないだろう。この人たち全員が声を上げて実際に動いたとしたら、確実に同性婚が法律で認められるのではないか。また、この腐女子というオタクに、人間の欲望の根源が隠されているのではないか。その欲望は、人を動かすことに繋がるはずだ。

 上記のことから、本企画の私の作品テーマを『同性婚とBL漫画とそれを取り巻く腐女子について』とする。

 6月に予定しているリーディング作品は、あくまで探求で終わるかもしれない。最終目標として同性婚可決のきっかけ作りとしたいのだが、そこに行く前にまずは腐女子の欲望の矛先がどこに向かうのかについて考えることが必要だ。それはジェンダーについての根本を考えることにも繋がる。

 企画が進めばもう少し具体的なものになっていくだろう。初回の「テーマ出し」ということで、この辺で勘弁していただく。


以上が本企画の個人テーマです。
ご意見ご感想、お待ちしております。

次回はいよいよ題材決定。どんな題材が飛び出るのでしょうか。
お楽しみに〜!


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