横山秀夫「半落ち」を読んでみた
最近、働くおじさんの小説が結構好きだ。働く女の人のは、眩し過ぎるかリアル過ぎて、ひたすら焦燥感に苛まれてしまう。私も、もっと若いうちにいろいろ勉強をして、恋愛して結婚したり、子育てをしたり、苦しい環境に直面しても突破できる力強さを持つべきだったのか?もっとがんばらないといけなかったのか?と。
しかし、もう時間は巻き戻せない。気付けばダラダラしながら40代の半ばまできてしまっている。体力や記憶力なんかは伸びしろはもうあまりなさそうだ。これから起きる出来事には、今の自分のキャパの中で片付けていかないといけない。
家庭を顧みず仕事をして、実はその職場でだって別に上手くいっているわけではなく、孤独になっているおじさんの姿が、今は結構、自分になじむ。
この小説の主題は、自首をしてきた49歳の現職警察官・梶聡一郎が起こした事件だ。それを取り巻く、警察官、検察官、弁護士など、6人の男性の視点で章立てされ、真相を探っていく。そういう構成も珍しくて面白かった。
梶が殺害したのは、52歳のアルツハイマーを患う妻。犯行は、一人息子の命日だった。梶の態度は素直で、自供から動機もはっきりしている。ほぼ落ちているのに、ただ、犯行後から自首をするまでの2日間の行動だけは絶対に話さない。その2日間に何があったかを、各章の主人公が追っていく。
6人の男性は、だいたい40代後半。仕事は忙しいが、彼らを悩ませてくるのは、仕事自体よりも組織。そして、たまに出てくる家族や過去の自分。
そう、私と同じだ。私はただのサラリーマンだけど、悩まされているのは仕事自体じゃなくて、職場の人間関係と家族、あと過去の自分がやってしまったこと、やらずに過ごしてしまったこと。
先が気になりすぎて、ご近所のカフェに長居して読み切った。本を閉じたら、若い人たちがたくさん、パソコンを持ち込んで仕事か勉強をしている。休日なのに偉いな。フリーランスの人なのかも。
今は時代の変わり目らしく、30代前半やもっと若い人たちが、今までと全然違う働き方で、軽やかに活躍している。組織や上下関係にとらわれず、きちんと自分の考えがある。私たちの世代は狭間に落ちて、人生の半分は、何となく上の人の顔色を見て流されて過ごした。後半は、若者にあっという間に追い越されそう。あ、これ、人生で輝く時期は来ないパターンだなと薄々気付き始めている。
しかし、輝くとは何だ?ということである。古臭く非効率的な組織は早晩なくなるだろう。だけど、とりあえず今はそこで、家族の生活と自分の良心に何とか折り合いをつけながら生きてる人が大半だ。そういう人も、人生でキラッと輝く、自慢できる瞬間がある。そういうのだって、全然悪くない。そういう気持ちになれた作品だった。