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【短編】 クジラと八重ヤマブキ

4月も中旬になると日中は初夏の風情だ。

ケイは二級河川の土手に群生するヤマブキの美しさに目を奪われていた。

たまたま歩いたこの土手沿いの遊歩道。
こんな情景はケイの故郷には無かった。あの頃の事はよく覚えている。

陽の光が届かない紺碧の世界。
仲間達と見た、水平線に沈む夕陽。

ケイはかつて、クジラだった。海洋生物としての生を全うし、今はニンゲンとして現世を生きている。

「お兄さん、花好きなんだね。良い趣味だ」
通りがかりの年配の男性が、この花が「ヤマブキ」という植物で、「八重咲き」であることも教えてくれた。

地球の29%しかないという陸地は、大海原でクジラとして生きていたケイにとって変化に富んだ大変刺激的な世界だった。

ニンゲンが作った「暦」というものも興味深かった。クジラだった頃は「潮の流れが変わったな」とか「エサのプランクトンが減ったな」程度でしか
季節の変化を知ることが無かったからだ。

何より、生物の多様性に驚いた。
海とは比較にならない種類の多さだ。クジラが「哺乳類」であり、かつては陸の生物であったこともニンゲンになってから知った。

ケイがひときわ関心を寄せたのが植物だ。
このような、ニンゲンや他の生き物に生きていく糧を与えてくれるものは
海に存在しただろうか。
食料を生み出し、癒しの空間を作り、そして生態系を支えている。

ヤマブキとの出会いも、ケイのそんな意識が引き寄せた必然といえるのかも知れない。

5月の声を聞く頃、ヤマブキはケイにそっと語りかける。

「いつも私を見に来てくれてありがとう。今年もそろそろ花の時期を終えるの。寂しいけど、また来年頑張って花を咲かせるから、必ず会いに来てね」

ケイは驚いたが、「こちらこそ、素敵な花をありがとう。来年また見に来ます。」と返した。
前世がクジラだったケイは、どうやらニンゲン以外の生物の「メッセージ」を受けとる力が備わっているようだった。

以降、毎年4月になるとケイはこの自然が多く残る土手沿いの遊歩道に通い、群生の中からあの八重ヤマブキの株を見つけ出して交流を深めていった。

大海原で暮らしていた頃は、クジラ以外との交流なんてほとんど無かった。他の種族と関わる時は、大抵外敵と戦う場面ばかりだったような気がする。

いつしか通りがかりの年配の男性とも顔見知りとなり、ヤマブキについてだけでなく色々な植物、植生の話をするようになっていった。

ヤマブキは古い枝が寿命を終えて新しい枝が出てくるサイクルが早い。
「あら、ケイ。そんなことも学んでくれたのね。うれしいわ」

八重ヤマブキのそんな言葉が聞きたくて、ケイの足は頻繁に土手へと向けられた。


その年の春の天候不順は、植物の成長を著しく妨げた。
ヤマブキにとっても、長雨と日照不足は辛いものだった。

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