自己否定も美しさも一緒
矛盾することばが自分を作っているなぁと思うこと、ありませんか。
他人には「世界で唯一のあなたはそのままで素敵だ」と本気で言い、一方で「どうして周りの人と私はこんなに違うのだろう」とため息をつく。
たった一人でも行動することで少しずつ世界は変わるんだ!と思う一方で、私一人がやったところで誰にも気付かれないし、雨の街中で踏みつけられているちらしのようにそこに在ることがむしろ邪魔になるんじゃないか、と疑う気持ち。
アメリカ人ってほんと、際限なく大きく太っていっておかしいんじゃないの?と思う一方で「あのおばさん、あの大きさでの笑顔だから人を励ます威力も20倍くらいありそう」「あの姿形での生き方だからカッコ良い」とか。
日本を「政治が腐ってる」「みんな右倣えだ」と思う一方で、あんなにお互いを思い遣りひとつひとつの仕事が丁寧で 目の前にいない「お客さん」にまで心を配れる国ってすごい、って愛おしく思ったり。
自分の若さ、という時期の視野のせまさ、身勝手さを嫌悪するのに
失敗も自信過剰になりがちな態度も浅い経験もエンドレスな苦悩も美しくていいなぁと思うあたり。
あんな文章を書きたい、こんな訴求性が無ければダメだと自己卑下する一方で、 このひとのそのままでてくるモノを読みたいと思う「そのままが素晴らしい」論者になる自分。
矛盾は多分 もう一歩高みを目指したい、と思う気持ちの1つの現れだと思いたい、というか、そう思えば矛盾が同時に存在する理由がわかる。
どうせこの矛盾を抱えているなら そこに心を捕らわれるのは無駄だよな、とふと開き直った 夏日の朝。
サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。