変容

読んだことがない本を読む時、観たことのない映画を観る時、常に不安を抱えている。文字が、映像が、自分の世界に侵食してきて、自分が自分でないように感じる時がある。そんな時に書いてしまう文章は、何だかその世界から掴みとってきた、無駄に難解な文章だったり、酷く感傷的な文章だったりする。

僕にとって初めて世界の浸食を感じたのは妹尾河童さんの『少年H』だった。確か小学校高学年だったように思う。

もう内容はほとんど覚えていない。しかし、『少年H』の世界が自分の中に溶け込んで混じり合い、魂と感覚だけがその世界に取り残されてしまったような寂しい感覚がずっと引っかかった。観るもの、聞こえてくるもの、触れるもの、匂ってくるもの、味わうもの、自分の感覚すべてが『少年H』の世界を通して感知させられているような気がして、生きることが息苦しかった。

そんな経験があってから、自分が自分でなくなるような感覚と息苦しさに恐怖を感じて、本を読むことも映画を観ることも何となく避けるようになっていった。

大学生になると周囲の文化レベルの高さに萎縮しながら、それらしい本を読んだり、それらしい映画を観たりした。もし当時の自分に感覚の鋭敏さが残っていたとしたら、その鋭利な刃物をなまくらにすることで世界に飲み込まれないようにした。そうやって必死に自分の世界を守ろうとしていたのだと今なら理解できる。

最近、自分の中に何か決定的に捉え切れていない鈍い感覚があるような気がしている。その鈍い感覚は自分が何となく避けてきた「世界への浸食」なのかもしれないし、ただ、そう思い込みたいだけなのかもしれない。

自分の中にはまだ捉え切れていない感覚がたくさんあって、それと同時に、目の前の相手の捉え切れない感覚がたくさんあるのだと思う。それが寂しいことなのか喜ばしいことなのかはわからない。

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