人のふりみて
あの子塾辞めるんだってさ
気難しく、口を開けば不満ばかり、そんな風でも、うちの塾には楽しく通ってくれていた女の子がいるのだけれど、今月いっぱいで辞めるのだそうです。
楽しく通えていても、成績があがらないので、宿題の提出や自宅学習までがっつりサポートしてくれる他の塾にいくのだそうです。
確かに、うちの塾はそんなことしませんし、成績至上主義というわけでもありませんから、正しい選択だと思います。
世の中には、様々な価値観があります。
そして、全て、間違っていません。
どんな選択をしても、良いと思います。
塾をやっていると、こんなことはよくあることなのですが、私は、毎度それなりに腹が立つし、哀しい気持ちになります。
というのも、こういう選択をする方(親)には共通点があり、いつも子どもの気持ちはそっちのけ、だからです。
そもそも、気難しくてなじめる塾がない、というお悩みだったはずが、塾になじめて楽しく通えるようになったのに、そこを認めて喜ぶといったこともなく、今度は成績が上がらないと悩みはじめる。
がっつりサポートしてくれる塾に行くということは、がっつり管理コントロールされる塾に行くということで、私としては、そのあたりは大丈夫なのだろうかと思ってしまうのですが、そんなことは、もはやどうでも良さそうです。
不満なことを探すのが、好きなのだろうか。
悩むことが、好きなのだろうか。
いつになったら、目の前にあるものを喜び、心満たされるのだろうか。
他人は自分を映す鏡だから
しかし、私がそういうものを見て、腹を立てたり哀しむのは、自分の中にもそういうものがあるからなのだろうと思います。
自分自身が、自分の心の声を無視して、思考優先で押し通すことがあるから、人のふり見て我がふり直せ、と言われているのだろうと思います。
いやー、つらいね。
腹が立つし、哀しくて、泣けてくるよ。
無視されている自分の心は、いつも、きっとこんな気持ちでいるんだろうなあ。
ほんと、申し訳ない。
自分の身を振り返ってみれば、塾を辞めさせられる子どもの気持ちも、塾を辞めさせる親の気持ちも、よくわかります。
この世の学習システムは、嫌になるほど、よくできている。
終わりがないし、飽きっぽい私でも、飽きません。
おかげで、自分の心に、より正直に生きようと思いました。
自分の心に無理をさせる(無理を強いる人や価値観との共存)のは、ちょっともうしんどいなあ、と思っていたところだったので、そんなのがただ現れただけなのかもしれません。
自分の心が変わると、周辺に自動であれこれ変化が起こってくるので、この世の仕組みって本当にすごいなあ、と思います。
諸行無常。
だから、この世は面白い。