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■あのひとの「はたらく」をきくインタビューシリーズ vol.2 金吉唯彦(かねよしただひこ)さん

ワークショップという場を何度かひらいているのだけど「お店」みたいなものだと思う。わざわざ待ち合わせずとも場をひらくひと、つまりぼくはそこにいるので約束せずともふらりと会いに来れたりする、ひらく側からすると予期せぬ再会があったりする、だからお店。今回お話を伺った金吉唯彦さんはぼくが会社員時代にお世話になった方で、おそらく4年ぐらいはご無沙汰だったかな、3月からはじめためぐろパーシモンホールでの「インタビューセッション」の場のことをSNSを介して知っていてくれて、「柿の木坂に行ってもいいですか?」と連絡をくれた。会ってみて何より驚いたのは彼が会社員を辞めて、映像化を念頭に置いた作家業に転身されていたこと。ひとの「はたらく」にただならぬ興味を持つぼくだからその転身の振り幅に驚き、後日改めて時間をとってもらい、話を聞かせてもらった。その対話をみんなと共有します。

<プロフィール>
金吉唯彦(かねよしただひこ)
映像プロデューサー
1964年 東京生まれ
1987年 NHK 衛星・ハイビジョン部   
1998年 ソニー・ミュージックエンタテインメント 
CS音楽専門チャンネル/SME海外マーケティング部/SMA企画戦略・事業開発
2024年 独立


マイナーでもいいから人と違うことをやりたい。

-久しぶりに会ったら突然作家になったと。ぼくには全く予測しなかった動きだっただけに、その間に金吉さんにどういう心境の変化があったのか、その辺のことから聞かせてもらってもいいですか。

金吉)
ここ10年くらい映像のプロデュース、映画やドラマの制作をやっていました。映画というものは、興行的な数字として日本の今の全体的な映画の状況とか、日本人の映画に求める作品像とかいうものが自ずと見えてきます。だから、何をすれば良いかとか、何が条件かとか、いくつかチェックポイントがあって、それを満たしていると興行でもおそらくそこそこの数字はいく、お金も集まる、みたいなことが非常に多く見られる。それってどちらかというと作品性というより、地上波ドラマとか、 大手出版社のコミックとか、すごくマーケティング的な要素が充実しているものが一定の作品の知名度、内容を含めて非常に重要な要素になっているんですよね。そこで興行収入が動員を含め上がっていくというのは、基本的にマーケティング的数字に裏打ちされたものであると。日本のメジャーの配給会社はそういった作品を中心に興行していくことが多いという状況にあります。

ぼくはどちらかというと長くサラリーマン生活をやっている中でも、自分の癖としてというか、好みとして、人と違うことをどうしてもやりたくなるというか、ひねくれたところがあるんですよね。だから、人と同じ轍を踏みたくないというか、人とちょっと違うことをやりたいっていうのは常にあって。それがすごくメジャーなものであればあるほど、自分はマイナーでもいいから違うことをやりたいっていうことを、常に志向するタイプの人間なんですよ。

だから自分の癖みたいなものの中で、いま言ったようなメジャー偏重な作品づくりでなく、かっこつけて言うと、映像文化をもうちょっと日本の中でも大きく広げていきたいと考えるようになりました。

人に任せてもうまくいかない。なら自分でやる。

金吉)
映画やドラマのプロデュースをやっていく中でわかったのは、お客様の足を映画館に運ばせるということは、それなりのきっかけやモチベーション、それぞれの環境みたいなものが必要だと思うんです。そういったものを作品のタイトルや内容、またはキャスティングから想起させるにはどうすべきなのかと色々考えるようになりました。その時に、知られてないものを多くの人に受け入れてもらうのは難しいというところがあるので、何らかの形で知られているもの、例えばそれは何かの事件であったり、何かの歴史的事実であったり、 歴史的な登場人物であったり。そういったものを作品の中に入れ込むことによって、 それを全く知らないという状況ではなくて、普段は意識もしてないんだけれども、その情報が入った時に、あれってそういえば…みたいな事を想起させるようなものを題材にして作品を作ることができないだろうかというところに考え至りました。

ノンフィクションとしての事実しかなかったとすれば、この事実を基にストーリーテリングをするという小説化なのか、 脚本化なのか、そうした作業が必要になってきました。それを誰がやるかと言ったら、人に任せるというのもなかなか難しいし、人に任せてもあまりうまくいかないことが多い。自分が思っているものを人に移植して、それをさらにその人のフィルターを通りながら 形にしてもらうっていうことはとても難しい作業なんです。だったら自分が書いた方が早いんじゃないかと思いまして。別に僕も文章を書くことが得意って思ってなかったし、必要に迫られて書くことに手をつけていき始めたというようなことはあって、やってみると自分の中でしっくりくるみたいな発見もあったりしました。

-必要に迫られて。そこに恐れとかなかったのですか?決断を後押しするものや、何か、その行動に移すためにされたことってあるんですか。

金吉)
本来の自分のやりたいことってなんだろうと本当に極限までいろんなものをそぎ落としていくとここに行き当たる、結果的に僕はそういうことだったんですよね。だから、自分の中にあるものをどう表現するかということを突き詰めて考えていきたい。自分の中だけで消化するのではなくて、自らが発信し、それを多くの人たちに見てもらいたいし、感じてもらいたいということが自分の一番やりたいことなんだというところに行き当たった。

-自らが発信していきたい。組織の中でトライもしたけど自らの手でやりたいというところに行きついたんですか?

金吉)
組織の中だとどうしても限界があるので、自分がこれをやりたいと言っても、組織は認めなかったり、ダメだったりするわけですよね。 ぼくが組織にいる時はそういうことに何度かぶつかったこともありました。 企画そのものがそこでストップさせられてしまったりとか。でも、会社側の理屈からしてみれば仕方がないことなのかなと思います。 そうした経験もあったので、僕としては自分を突き詰めてやってみたいと。

研ぎ澄ました自分が日常にいる。

-表現欲求みたいなものは、ずっと金吉さんのベースとしてあったんですか。

金吉)
自分が社会に対していろいろなことを伝えたいという初期衝動みたいなものはありました。キャリアの初め、NHKでの番組制作を通じて、それをやってみたいと思ったのが、僕の初期衝動です。結局考えてみれば、自分が最初に社会に出てやったことは、映像によって何かを人に伝えるということだったんです。やっぱりそこが自分の原点なんだろうと。だから結果的にいま自分がここに至ったというのは、途中経過いろんなことがあったけれども、最終的にやっぱり「お前が好きなんだよ」「お前をやっぱり愛してたよ 」(笑)っていうことなのかなっていうのはすごく思っています。 初期衝動から人それぞれ通る経路も、考え方も、色々違うと思うので、僕の場合はそうだったっていうことですかね。

それがテレビっていう、オワコンとか今言われていますけど、まあ、そういうこととはあまり関係なく、それぞれのメディアを選びながら、自分のやりたいことをぶつけていく。ただ、それは10戦10勝にはならないと思うし、10戦1勝になるかもわからない、自分の感性と自分の能力次第というか。だから、そこに研ぎ澄ました自分が日常にいるということを感じたりする時もあるわけですよね。

-研ぎ澄ました自分で他者と向き合うということですか?

金吉)
はい、映画でも小説でも、ものを書くとか、表現するということは、最終的に対象は人間なので。人間に対する興味とか、人間に対する思いとかはやっぱり捨てちゃいけないなと思います。だから積極的にいろんな人のことを知ろう、ということは自分の中で日々の意識としてはありますよね。逆に言うと、どんなことでもいいから、それらをネタに1行でも書ければいいなとか、打算的な部分として割り切っています(笑)

-なるほど。その初期衝動に忠実に表現したいという欲求。それは非常にシンプルな欲求で動いているのかなという風にぼくは聞いていたんですけど、そういうものですか。

金吉)
ひとつこれというシンプルなことでもないんですよね。日本の映像文化、コンテンツということになると、日本の中でやれてないことってたくさんあるなと。日本の中でももう少しマーケティングに乗ったものじゃない作品、いわゆるマイナーな作品でも、知っているとか、 昔あれ気になっていたんだ、みたいに潜在的な知的欲求のようなものを引き出すことによって、 ある層の人たちに対してリーチすることができる。それを自らやってみたいというのがすごく強くあって、そこに自分の初期衝動が乗っかり、キャリアの最初に思った事が乗っかってきた。そうしていくつか重なって、 やりたいことはこれなんじゃないかっていうところに行き着いているというのはあります。最初に言ったように、僕はそもそも人のやっていることをやりたがらない、非常にひねくれたところがあるので、今この世の中にない作品を作りたい、そこで成功させたい。成功させないと、クリエイターとしての評価も得られないし、また次バッターボックスに立てなくなるってこともある。だから中庸なものでは嫌だなっていうのはある。この年になってからの挑戦なので、残された時間もそんなにない、だからそこは研ぎ澄ましたものになっていくんだろうなと思います。

崖っぷちに立たないとわからないこと。

-いまご自分でもこの歳になってからの挑戦というお話しもありましたけど、この年齢であえて挑戦。すでに社会的地位があったり、これまでの実績もあったり、新たに打って出なくても良いんじゃないかと思ったりもします。いま改めて文章を書く、作品を残すということにモチベーションが高まっている。あまり金吉さんの年代では聞かないキャリアの動きなんじゃないかなと。ご自分ではそのあたりはどう感じていらっしゃいますか。

金吉)
放送とかエンタメの世界に入ってきた以上、社会的地位とかあまり関係がない。もちろんそう生きる人たちもいますけど(笑)そういうことよりも 一度しかない人生だから、自分のやりたいことをどこまでも突き詰めてみる。若干のリスクみたいなものは当然あるんだけど、ただ、やっぱり人間は崖っぷちまで追い込まれないとよくわからないじゃないですか。

-よくわからないとはどういうことですか?

金吉)
退路があればそこに頼るっていうのもあるし、ぬるま湯な環境にいればそこに浸っていたいと誰でも思うし。アーティストというか、物作りというか、そこに自分を表現しようとする人は、 いま言ったような環境の中で良い作品はできないと思っているんですよね。だから、いまはせっかくそういう状況になれた、自分がそういう決断ができる時が来たんだから、そこは全然間断なく、迷いもなくこの道に進みました。会社にこのまま残って、今やらなかったら終わるなというところもあったし。

-上がりっていうことにならなかったんだ。

金吉)
うん。そういう気持ちになかなかなれない。

-そこが一般的な同年代の方とちょっと違うんじゃないかなと思うんです。

金吉)
どうですかね。それはわからないですね。元々いた会社に聞くと大体がみんな会社に残っています。僕みたいなのはどちらかというと少数派です。結果的に言うと、どんな人間でも絶対に死ぬ、致死率100%です。そうすると、次の世代に何を残していくのか、これは会社経営をやっていてもそうだし、普通に社会生活を送っている中でも、自然に考えるんですよね。

人が好きだから、共感し、時代を描く。

-次世代に残していく。そうした社会的、公共的なというか、誰かのために、みんなのためにという視点も入ってきて、それらが駆動させている部分もあるということなんでしょうか。

金吉)
それはやっぱりあると思うんですよね。どうやっても人は未来にしか行けない、過去に戻ることはできないので。その未来を考える上で、過去を知らなきゃいけないっていうところは必然ではないですか。だから、大きな選択を間違わないために、過去をちゃんと理解をする、 知っておくということはすごく重要なことなんじゃないかなと、僕は思っています。ただ、じゃあ歴史を並べてこうだったということを表現しようと思っても、それは全く面白くならない。だから、僕がよく言う〝昭和がくしゃみをすれば令和が風邪をひく〟っていう、 この脈々と繋がるこの血脈みたいなものを表現していきたいなっていうことを考えています。時代を自分の企画の中で描いていくっていうか。時代っていうのはそこを生きている人たちの話なので。

-人ですね。

金吉)
人なんですよね。やっぱり人に共感するか、しないか、だと思うので。

-人が好き

金吉)
やっぱり人は好きですよね。 人間が歴史を作るわけだし。人間がいるから初めて歴史になる。そういったことを通じて人間を描いていく。

マイナーでも人と違うことをどうしてもやりたい、を繰り返す。

-メジャーに対する姿勢には一貫したものありますね。ずっと繰り返しているというか。

金吉)
そうそう、だから、それはね、僕も繰り返しているし、人間誰でも繰り返していると思いますよ。歴史もある種の螺旋階段っていうじゃないですか。上がっていくけど、場所としては同じところにまた必ず戻ってくるという。 歴史もそうだし、人間というのはやっぱりそうなんだろうなって。社会というのもきっとそうなんだろうなと。

-仕事の形が変わり、いまは何かタイムリミットなどを意識してらっしゃるんですか?

金吉)
僕は5年だと思って、ここで自分のやりたいことは全部やりきることにしてるんです。だから1日たりとて無駄にできないところがあるんです。僕の年齢から言うと、やっぱり残された時間ってそんなにない。

-さっきもおっしゃってた

金吉)
うん、そうだと思うんです。 だから、 仮に60だとして平均寿命ってあと20年ですよ。その前に70の壁というのは1つあるんじゃないかって思ったりして。この先は本当にいつ肩叩かれるかわからない。 ただ、そういう意味では、5年とかのスパンの中でやれることは全部エネルギーとして発出してく、悔いが残らないようにしておくってことは自分の中で必要かなと思っています。

自らピークを作り、その中にすべてを投じてゆく。

-先ほどの表現欲求と、残された時間と、それらが背中を押す

金吉)
それはあると思いますよ。仮に、65まで会社で何らかの仕事をしてサラリーをもらい、65から本当に自分のやりたいことができますか、と言っても多分できないと思うんですよね。だから、その自分のタイミングがここかどうかは自分が結論を出すことなので、65だからダメだったってこともないだろうけれども、僕としてはここを逃すと 厳しいんじゃないかと考えた。

それはまず人間関係ってすごく大事じゃないですか。人と出会うということはすごく大きなことで、特にこういうクリエイティブなところにいると、やっぱり誰と 繋がっているかとか、誰を知っているとか、誰とコンセンサスが取れているかとか。そういうことってすごく大事じゃないですか。これはさらに5年間サラリーマンをやって、自分のやりたいことを放置した時には周りに誰も残ってないんじゃないか。つまり、そこに環境がないというか。だから今でも僕が文章を書くと言った時に、応援するよと言ってくれる人が周りに少なからずいるわけですよ。何をしてくれるかはわからないけど応援してくれている。それは自分の中で精神的にすごく背中を押してくれている。僕の書いたものに対しても、これ本当にすごい作品だからと言ってくれる人がいる、ただそれを言ってくれるだけでも、自分としてはすごくメンタルの支えになるわけですよね。 そういう人たちに囲まれ、繋がっている今っていうのは すごく大事かな。

それともう1つ、自分の持っている時間という発想。これはどこまでもわからない。自らのクリエイティブ力を考えた時に、おそらくこの5年から先、あと10年はないだろう、 本当に自分がエネルギーをかけてやれるものっていうのは。そうすると、あと5年という風にやっぱり考える。それと同時に、今、たくさんの人たちがそういう方面で僕と繋がってくれているというある種のピークみたいなものをどう自分で作っていくかだと思うんです。

-ピークを自ら作り、 協力者、応援者が周りにいて、そして自分の残りの人生の体力的精神的にも、みたいなことも含めて考えると、いまがまさにその時と

金吉)
そうですね。変にスポイルされるものがない。 自分の興味とか、自分の掘り下げたいことに時間を割けるということはあるし。それは自分の中ではいい精神的なバランスになっています。すごく霧が晴れている。

-霧が晴れているんですね。

金吉)
自分がエネルギーや時間を割いて突き進んでいって、その時に、重ねて大事なのは時の応援なんですよね。最近は作品論で言うと、割とマーケティングに乗ったものじゃない作品も日本の中では少しずつ出てきているし、流れとしてはあるんですよ。だから、そこに乗じるというか、むしろ僕としてはそこで金字塔を立てたいっていう野望もあったりする。だから、よく周りから言われるのは、物書きに転身したタイミング的には悪くないよねと。昔だったらこうした作品は無理だけど、今だったらこういうこともできるんじゃない?というようなアイデアをもらったり。長くこの業界にいる人が応援してくれているんだよね。

-それがあるから挑戦できるわけですね

金吉)
やっぱり人との繋がりってことですよ。大きいですよ。最初は単なる偶然だと思うんですよね。その偶然が必然になっていくという関連性。やっぱり自分が何をしたいのか、自分は何者かというところがはっきりしてくることによって、それを応援してくれる人が出てきたりすると思う。人と出会うということは極めて大事だと思うんですよね。

-やりたいことが明確になった後に応援者現る、という感じ

金吉)
うん、そうかな。大きな会社にいて、その中でこういうことをやっている人です、というその後ろにある巨大な資本や看板で他者を評価する人ももちろんいると思います。でも、そうじゃなくて、今は自分が何をしたいのかはっきりと明確に相手に対して伝える。その方が、相手も付き合いやすいし、理解もしやすいし、応援もしやすいだろうなと。もちろん応援したくないって思う人もいると思うので、そこで選別されていく。会社の中でそれができている人は凄く恵まれているし、少数だと思います。

だから、人との出会いに関しても、自分が何者なのかということを決め込んだところに、本質的な繋がりというのは増えてくるんだと思いますね。

自分が好きなことは何か?と常に自身と向き合う。

-だんだんこのインタビューも終わりの方に近づいているんですけど、特に若い方たちで「はたらく」や「好きなこと」の選択肢が多すぎて何を選べばよいかわからないと思う人もいて。

金吉)
自分が本当に好きなことはなんなのだろうっていう自身への問いかけが必要なんじゃないでしょうか。それはいろんな時間だったり、環境だったり、立場だったり、都度見てる景色が変わっていくんですよね。 組織の中にいれば、年齢が上がっていくことによって、その環境も変わるし、景色も変わってくる。だけど、やっぱり僕は 常に自分って本当に何が好きなんだろう、もしそれにまだ出会ってなければ出会いたいと思う。自分の中に好きと思えるものを探す作業は、すごく重要だと思うんですよ。それに対して、いつ自分の中でそれに対するピークが来るのか。いろんなことの偶然が積み重なる。でも、その偶然は必然に変わっていくという瞬間は必ずあるので、 自分が好きなことは何かということを意識して、自分と常に向き合う、その視点は絶対に忘れない方がいいんじゃないかなと思うんですよね。

それが、組織の中、会社の中で、自分の好きなことや目標・目的がそこにあるなら、1つの大きな狩場として行けばいいわけだし。いや、そうじゃないとなった時には、 また別なことを考えればいいわけだし。好きなことで自分を打ち立てた時に、 この組織で自分は必要とされてないと感じたら場所を変えればいい。そこではあなたの好きなことを必要としている組織がある。だから、この場所でダメだからすべてダメということではなくて、自分の好きなことはなんだということを軸にいろんなことを発想していく。それは年齢がいくつであっても、どんな環境にいようとも、非常に有機的なことなんじゃないかと思っています。自分が必要とされる環境においては、何か自分の中で大きなものを勝ち取れる可能性が非常に大きい。やっぱり組織や社会のせいにしたりとか、環境のせいにしたりするっていうことが一番良くないと僕は思っています。 だからこそ、自分が好きなことはなにかということと常に向き合っていくことが大事。わからない時はしょうがないです、でも探し続けていくということが必要なんじゃないかな。

「好き」が見えたり、見えなくなったり。

-好きということの解像度というか。クリアに見えている時と、ぼんやり見えている時と、全然見えてない時が多分あって。だから、やっぱり好きなことっていうのはさっきおっしゃっていた初期衝動として根本的には多分あるんだろうけれど、それが見えなくなったり、混乱したりすることもあってもいいっていうか、その中でこうまた見えてくるという風に捉えていてもいいんですよね

金吉)
人生、多分そんな繰り返しだと思うんですよ。 見えなくなることばっかりだし、わからなくなることばっかりだし。だからこそ、自分を見つめるということはすごく必要だし、ポジティブになれる自分がどこにいるんだということを、常に自分の中 で意識させるということが必要だと思います。自分がポジティブになれるような外的刺激をいかに入れていくか。だからネガティブな環境をポジティブに変えていくということはすごく重要ですよ、本当に。上司によっても変わるし、組織や職場の人間関係によっても変わるだろうし。 でも、自分が見えたらそこで必要とされてなくても必ず自分を必要としてくれるというところが必ずあるので。結果的にそれは自分が何を好きなのかということなんだけども。 結論が出ない時には、いろんなことを試してみるっていうのもひとつの手だし。自分に新たなる刺激を与えてみるとか。自分に違った環境に身を投じるというのもあるし。

-環境を変えてみる行動とか、あるいは、それを導いてくれる人とか、なんか、そういうような要素の中で、こう、 もがいてみるっていう、若い時のそういう重要さがあるっていうことですか。

金吉)
うーん。人に出会えるかどうかというのは、わからないんですけどね。ただ、自分との向き合い方を常に考えておく、自分と出会うということなんです。 なんか、そんな感じですよ。でも、わかんないもんね、自分のことって(笑)自分で自分のことって一番わからなくない?わかんないな。

-わかんないです。

金吉)
でも、わからなくて、そんなの当たり前ですよ。いつかそこに出会う瞬間がきっと来るので。

インタビュー後記)お話を伺って想うこと

-新しい挑戦に身を投じる人の言葉は軽くない。この年齢で挑戦?と思った時の〝この年齢〟というのは勝手に自分が設けてしまっている年齢に対する認識なのであって、社会一般に新たな挑戦に対する年齢制限などなく、その先入観はいただけない。人は何歳からでも挑戦のステージに立って良いのだと改めて自らに刻んだし勇気が出た。やむにやまれぬ事情があっての挑戦ではなく、自ら率先して飛び込む力にはなんともいえない魅力や引力があって、その一語一語は強くて重みがある。今回お話しを伺いながら、その言葉の強さに惹かれていたし、何より嘘がなかった。嘘がない人の話っぷりというものはこちらの気持ちも清々しくさせるものがあって、こちらも誠心誠意向き合うほかないし飾りようもない。人生の中で妙に真面目に、それこそ誠心誠意で友と、仲間と、向き合える時間はどれほどあるのだろうか?と考えるが、多分あまりない。そんな貴重な対話の時間を過ごしていました。

今回の対話ではとりわけ自分の好きなことを見つける重要さやその向き合い方、また見つからない場合の処し方などが強く印象に残っていて。なかなか見つからず、同じところを繰り返すものまた人生。みな同じような境遇に程度の差こそあれ陥り難儀しているのかもしれないし、自分もそんなことの繰り返しだよなぁと思ったり。でも大事なことは自分以外の考え方やパターン、その類型を知っておく、ということであって、それらの良いところを切り貼り、ブリコラージュ(寄せ集め)して自分なりの生き方をつくってゆけばよいのだと思うし、それは自由だ。

人の生き方やはたらき方、そして挑戦の仕方にさえも答えはないのだと思う。その人の力が十全に出れば、出ていれば、自ずと誰かの、そして社会の役に立ってゆく、そういう人たちの話をこれからもきいていきたいと思う。今後そんなシリーズになると思います。