ネットプリント「メープルとホーニヒvol.3」評
ドイツ在住の土井みほ(歌人集団かばん会員)と、カナダ在住のさとうはな(未来短歌会・彗星集所属)によるネットプリントの第3弾(発行期間2022年5/2~9)。それぞれ10首の連作が収められている。
vol.1~3を読むと、連作中に「トラム」「マクルト」などドイツの風物を織り込み、異国での生活を意識しつづける土井に対し、さとうは、心象か実景かはわからないが、身の回りの自然に感情を託し丹念に歌っている。また、緩急をつけた展開が魅力の土井の連作に対し、さとうは言葉を律して一定のテンポで歌を連ね、最後の10首目で全てを解き放つように連作を総括する。そんな印象を受けた。
「あたらしい自分」土井みほ
1首目「スプリングコートの裾を引きずって菜の花畑はどこまでも黄色」菜の花はドイツの春の風物詩だそうであるが、その明るさを遮るように出だしから不穏な空気が漂う。2首目、3首目、4首目と食事や公園の光景が続いていくが、5首目「日が長くなればなるほど夕暮れと夢の境目はぼんやりひかる」で、いよいよ逃れられない暗がりに捕らわれていくようだ。8首目「大理石に香水びんを叩きつけもう泣かないって泣きながらきみは」連作のクライマックス。悪夢のような時間を経た主体の行動、10首目「あたらしい自分になるの 真夜中にざくざく切った前髪をはらう」は、悪夢を振り払おうとする意志を感じる。突然の春の嵐に巻き込まれたような一連の中で、私がもっとも好きだったのは4首目。
シュパーゲルをいっせいに食す春の午後ひだまりからもバターの匂い
シュパーゲルは白アスパラで、ドイツの春のごちそう。一連の中に明るい光景を歌ったこの一首を置くことで、前半の、日常に影の兆す感じや後半の怖さが引き立った。1首で見ても、上句のアスパラの白さと下句の陽だまりやバターの金色の取り合わせが美しい歌になっている。
「数々の窓」さとうはな
3首目「渡された炭酸水は弾けゆく園内マップにこまかな葉影」炭酸水の気泡とちらつく木の葉の影を重ねた繊細な視線を感じる。5首目「いっせいに天気雨ふる透明な春のくす玉ひらくみたいに」の陽光を反射する雨粒の明るさ、6首目では同じ天気雨の陽に照らされる濡れサンダル、と、光の様相を様々に描写していく。7首目で視線は水鳥へ、そして湖へと転じる8首目「淡水のしずけさだろう花びらは伏せた小舟の縁に集まる」。この穏やかな光景が一転するのが10首目「夢にさえうつくしかったこれまでにわたしが割った数々の窓」だ。これまで歌われた光や湖面は、すべて「わたしが割った数々の窓」を導く予兆だったことに読み手は衝撃を受ける。このラストを知ってから改めて一連に目を通したとき、もっとも惹かれたのは1首目。
早春は舟のようです遠くから見てもぼんやりそれと分かって
上句の喩の大胆さ。そして、かすかだけれどもそこここに一斉に兆す春の始まりを適切に伝えた下句が巧みに組み合わされた歌。連作中では、冒頭に配置されることで、プロローグとしての役割を十分に果たしている。