マイクロフォンズ・イン・2020 Microphones in 2020/The Microphones 自伝的歌詞から音を紐解く
一曲44分という大作が指し示すもの
44分という長さもさることながら、まるで短編小説や映画を一本観ているような感覚を味わうことができる作品である。40代になったフィル・エルヴラムの現在の姿から10代、20代それぞれを振り返り、いち音楽ファンから、宅録少年を経てバンドで世界をツアーを周り、バンドを終わらせるまでの自伝的な回顧録となっていて、音楽だけ聴くよりも歌詞と合わせて聴くことで、なぜ所々にアンサンブルが入ってくるのかが見えてくる。とにかく長尺なので、歌詞を読みながら聴くだけでもかなり大変なのだけれど、それぞれ場面ごとに出てくる内容を簡単にまとめてみたいと思う。
10代、20代への回想と自然が意味するところ
まず歌詞を通して自分を取り巻く自然についての表現が登場する。
特に多く登場するのが水に纏わる表現で、滝や雨、海、湖、川といったワードが出てくる。特に滝と湖は心の内側へ潜る内容へとつながる部分になっている(この部分については後述する)。ふたつの10代の場面で降る雨は無垢さを纏う姿のようにも見える。
冒頭とラストに登場する太陽は、1日の始まりを告げながら、過去にあった出来事を現在から遠ざける存在として、無情に過ぎ行く時の象徴として扱われている。それとは反対に月の存在はどちらかといえば安らぎや、気持ちが前進するような場面に登場する。
手書きの歌詞カードに年代が記されているように、現在と過去を振り返る内容になっている。7分半に及ぶ長い2コード の循環の後、物語が始まる。
場面が展開するときは必ずC#m7のコードが登場する。
2019年 7分37秒
20歳の頃を振り返ろうとしつつ、あからさまな表現は無いものの、おそらく2016年に癌によって亡くなった妻でコミック作家のジュヌヴィエーヴ・カストレイへの喪失感から紡ぎ出される虚無感が含まれているように感じられる。「I keep on not dying」という部分に現れているようにも思う。
「When I was...」と年齢と共に歌われる瞬間ベースと歪んだギターの音がかぶさってくる。過去の記憶を呼び起こすとき、必ずノイズが高らかに鳴らされる。
2001年 12分10秒
マイクロフォンズのサードアルバム「The Glow Pt.2」がレコーディングされる前で、日々の生活と昼夜こもっていたスタジオでの生活テープが記されている。週に一度チェックしていたというホットメールのアドレスは、現在は取得できないためこの時代を象徴するものでもある。
「There's no end」はThe Mansion、「I won't look for you in my room」I’ll not contain youの歌詞となる。
ここからマイクロフォンズの物語になるため、ドラムを交えたバンドアンサンブルへと変化する。
この時に心を動かされた出来事として登場するのが、アバディーンの劇場で観た中国映画「グリーンデスティニー」(英題Crouching Tiger, Hidden Dragon)についての事柄が出てくる。
エンドロールが終わった後、誰もいない雨のショッピングモールの駐車場で走り回りながら、歌詞を強調するようにベースドラムの鼓動と共に、映画からインスパイアされた音楽を作ろうと誓っている。「martial arts fantasy」という部分は映画の中で印象的なワイアーアクションについての事と思われる。
15分50秒辺りで「Buried underneath distortion bass」というフレーズと共に歪んだベースが鳴り響く。
1995年 18分14秒
17歳の時と告げるタイミングで歪んだ12弦ギターのフレーズが挿入される。録音したテープに名付けた「Microphones」という名前がバンド名の由来だった事が告げられる。レコーディングが好きで機材が生き物のように感じられたという事からその名前が付けられていると。「mid-90’s」というフレーズは現在公開されているジョナ・ヒル監督の「ミッド90’s」とかけているのかもしれない。
当時聴いていた音楽として幾人かの名前が上がる。エリックズ・トリップは後に共演するジュリー・ドワロンがいたバンド。トーリ・エイモス、クランベリーズ、シンニード・オコナー、レッド・ハウス・ぺインターズ、ソニック・ユース、ディス・モータル・コイルなど、SSWからオルタナティブロックと90年代に活躍したミュージシャンが並ぶ。最後にカート・コバーンはすでに亡くなっていたと言うところに、1995年という時代がパッケージされている。
ここでも雨が降っている。
ライブで観たステレオラブの「Lo boob oscillator」のアウトロのオルガンの音に永遠を感じとるシーンで、オルガンのノイズが被さってくる。
1990年 24分10秒
場面は12,3歳の頃の家族旅行に切り替わり、雨の中を海で遊んでいた弟の服は濡れていて、流木で焚き火をするシーンが挟まれる。海の潮の匂いと焚き火の煙の匂いの記憶が刻まれている。
インターネットはまだなく、7インチのジャケットを眺めて、ジンの端から端まで読み込み、欲といえば食欲だけだった時代。いち音楽ファンだった頃の姿が記されている。
25分56秒辺りでそれまでとは違うコードが奏でられ、赤ん坊の頃に戻るように心の湖に潜っていく。胎内回帰を思わせる描写から26分56秒〜29分00秒の間にエレクトロニカ/フォークトロニカのようなサウンドに包まれる。アタックを少し遅らせたベースの音がさらに優しく包み込む。この長い曲のなかで白眉な場面が繰り広げられる。
2001年 29分0秒
「When I got back to Olympia from the ocean」と帰還を告げながら(この辺りの接続が小説や映画の様である)、サードアルバム「The Glow Pt.2」のレコーディングが終えられて、ツアーが始まろうとしている。マイクロフォンズの場面ではドラムが入ったアンサンブルが入る。
友人と湖に出かけて、奥底の冷たくなる所まで潜り泳いでいく。この部分は先の心の湖を潜っていくシーンと繋がっている。
屋根の上から眺めた月や雷鳴の音に自然のスケール感と自らを比べる事で、自分の存在感を確認する。17歳の頃からの悩みを超えて、やるべき事を見つけた瞬間が綴られる。
イタリアツアーの最中、同じ頃にツアーを回っていたボニー・プリンス・ビリーのバンドの衣装の滑稽さを感じて、一体それはなんなんだろうと自問する。「I was on tour playing drums〜」でドラムのフレーズが入っている。
2002年 37分0秒
ノルウェーの北部にいた時、マイクロフォンズという名前を捨てようと決める。この時に「マウントイアリ(不気味な山)」というアイディアが浮かんできたと綴られる。
何年も後にノルウェーのブラック・メタル・バンドのメイヘムの「Fleezing Moon」を聴き「Someone Else lives in the house I used to live in And soon it will be torn down to burn(かつて住んでいた家に誰かが住んでいる、けれどすぐに壊されるか燃やされるだろう」と心の中で返答している。(ブラック・メタルはアンチクライストで教会を燃やす事で有名)。ここでも月が出てくる。
2019年 40分23秒
41歳になっても同じ場所にいて、20代の頃に試みた事は変わる事なく同じような状態のままでいる。若さのまま突き進んだ頃と変わらない部分と、恥ずかしさがないまぜになっている。
「Every Song I’ve ever sung is about the same thing(今まで歌ってきた曲はどれも同じことを歌っている)」と語る事で、自分の本質が変わっていない事を綴っている。
「The True State of all things(すべての事柄の真実のかたち)」と言いながらも「Nothing is true(何事も真実ではない)」と締めくっている。
あるのは「Now only」(マウント・イアリ名義で亡き妻へ捧げたアルバム)そして「There’s no end」とあっさりと終わりを告げる。
2019年の6月から2020年の2月にかけて録音された長大な曲は「Microphones in 2020」と名付けられ、1995年のテープから連なる物語は終焉を迎える。
音だけを聴いていると、一見アヴァンギャルドな印象があるものの、歌詞から紐解いていくと呼応した内容になっている。マイクロフォンズを振り返る場面は必ずバンドになっていたり、ステレオラブのライブを観たシーンではオルガンのノイズが奏でられる。歌詞の情景とぴったりと重なっているので、両方を感じながら聴くと奥行きが増すアルバムだと思う。
音楽的にはガスター・デル・ソルの「Upgrade & Afterlife」やジム・オルークの「Bad Timing」と「Eureka」に近いのかもしれない。けれどジム・オルークがカントリーブルースのフォーマットでノイズを表現していたのとは異なり、マイクロフォンズの本作は歌詞によりそった内容だったという所が大きな違いとなっている。とはいえこの辺りが好きな人は気にいる作品だと思うし、マイクロフォンズの本作を気に入った方はガスター・デル・ソルやジム・オルークの諸作も気にいるはず。
岡村詞野さんによるインタビューも必読なのでこちらも。
最後に、僕が買ったのはUS盤2枚組LPで当然和訳が無いため、DeepL翻訳に歌詞を突っ込み、英詩と比べながら大まかな内容をつかんだ感じでした。歌詞はセンテンスが長いものも多いので、自動翻訳も微妙なところも多かった。日本盤CDを買って和訳を読んだ方が良いと思います...。和訳だけ欲しい...。
書き記した秒数などは若干アバウトな所があるので、あくまでも参考程度で考えていただければと思います。なにぶん長い曲なので、場面場面で綴られている歌詞を汲み取りながら聴く参考になればと思います。
あとアレックスGの「House of sugar」も合わせて聴くと今共振しているアメリカーナの一端が垣間見れると思います。
あとひたすら音に埋没していくという点ではテリー・ライリーの「In C」も近いものがあるかなと。
あーやっと終わった。
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