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【美術】クリスチャン・マークレー/トランスレーティング[翻訳する]

Record Without a Cover

10代の終わり頃。下北沢にあったクラブ系からアヴァン、ポストロックまで扱っていたOnsaに度々通っていた。1999年から2000年の間くらいだったと思うのだけれど、丁度日本でも注目を集めていたシカゴのポストロックのレコードを買う目的で訪れていた。駅から歩いて数分の場所で、グラニフが角にある路地の奥にあったと記憶してる。そこは木目のラックを構えた綺麗な店で、カフェも併設していていた。お茶をするだけも良し、レコだけを掘るのも良しといった雰囲気で、友人と来た時はレコ掘りの後にたまにお茶をしていた。
レコード棚のアヴァン系だったかエクスペリメンタルだったかは記憶が定かでは無いのだけれど、いつもその手前の位置にロクス・ソルスからリイシューされたクリスチャン・マークレーの「Record Without a Cover」が置かれていたのをよく覚えている。このレコードについては何処で見知ったのかは覚えてないのだけれど、存在は知っていた。裸のままレコードが店頭に並び、そこでついた傷がレコードの音になる。流石に日本なのでOnsaではレコード袋に入っていたけれど、ピクチャーレーベルの円状の美しいフォントは何度も手に取った。けれど少ないお金の中で色々やりくりする状況だと購入までは至らなかった事と、レコード店の棚に並んでいたのを見ていた記憶が強く残っている。あの時買っておけば…というのはレコードを買っている人間ならよく分かる感情だと思う。他にも聴きたいものがあるしなと、後にした分だけ心残りがあるのは、同じ穴を通ってきた人には誰しも抱えている気持ちなんじゃないかなと。僕の中ではレコード店とこのレコードが強く結びついた記憶の中で、このレコードを見る度に反芻される。

20年余り経って、クリスチャン・マークレーのこのレコードに対面した時に、ふつふつとこの気持ちが沸き起こった。郷愁に耽るのはあまり良いこととは思えないのだけれど、あの時の記憶が呼び起こされた。と同時にクリスチャン・マークレーに対しての知識がここで止まっていたのを痛感させられた。アヴァン/エクスペリメンタルな作家だと思い込んでいたら、そうでは無い事に気付かされた。
本展のクリスチャン・マークレーの足跡は、活動初期の1980年前後から現在までに至る代表的な作品が網羅された企画展で、彼が音楽を主題にしながらも、1960年代のポップアートから連綿と繋がる作家である事が如実に分かる内容となっている。ある種のレコードへの偏愛(それは破壊であり、二束三文の駄盤と言われるものへの新たな価値観の想像)など音がテーマではあるけれど、言葉ではなく音を発する事へのプリミティブなまでの姿勢が綴られていた。

Surround Sound

アメリカンコミックの擬音だけを取り出した「マンガ・スクロール」や、本展のトレードマークとなっている「叫び」といったロイ・リキテンシュタインを彷彿とさせるコミカルな作品の中に含まれるビジュアルと、オノマトペの表現のポップさには圧倒された。

フェイス 叫び

特に無音の中でオノマトペに全身が包まれるビジュアルインスタレーションの「サラウンド・サウンド」の圧倒的なポップさは、ドラマツルギーとは切り離された言葉の擬音による情報の洪水の中に埋もれる感覚は、実際に経験してほしい。アメコミのDoom、Zzzz、Popなど擬音を切り取り、音にそった動きが四方から放たれると聴こえてこないはずの音が聴こえてくる。終いには上は下へと広がる映像に平衡感覚は失われ、体がふらふらと保てなくなる。下世話ではあるけれど、このひと作品だけでも、本展を観る理由にはなると思う。
聴こえない音を感じる事。聴こえる音の感じ方。最初の部屋にあった翻訳が生み出す誤差を楽しむ「ミクスト・レビューズ」が放つ読み手の想像の音もヴィヴィッドな感覚があった。
観に行けるひとは是非体感してほしい。

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