骸骨自体は全然怖くもなんともないけど、絵になると怖い。
メメントモリ memento mori(ラテン語)死生観
クトナー・ホラ 聖バルバラ教会(セドレツ納骨堂)プラハ
かつてはもの凄い栄華を誇る大都市であったことが偲ばれます。わあ、素敵!すごい、すごーい。と私はただもうそうれだけですけれど、養老先生にかかれば、この手の物が多く残っている欧州は良くも悪くも歴史の重みを感じさせ、鬱陶しい。何しろ説明が長くなる。と。
少し残っているくらいにしとけば、余白の楽しみがあるのに、ということだそうです。すっかり納得してしまいます。ここクトナーホラ、銀山で栄えたものの、三〇年戦争が終わっても回復できずに終わった都市です。同じく銀山で栄えた石見の銀山はそれこそ寺が何十もあったけれど、今ではほとんどなくなって、このクトナーホラの周辺に比べたら正直、見劣りします。でも、それでいいのです。観光の仕方は、それを踏まえていけばいい。
この正面のチェロかなんかの綺麗な装飾。正直私はこれに騙されました。養老先生も隠居生活で美しいゴシック建築に目覚めたのねー。と。そしたら、よく見たら、全て骸骨。本の帯に隠れててすっかり騙されました。結果、こうして一生懸命勉強することになったからいいんですけれどね。
こちらの山積みされた髑髏の文様、実は、シュヴァルツェンベルク家の紋章だそうです。教会の後見役です。
草木で装飾するかのように、骸骨でしかも建物の中も外も装飾してしまう感性がすごいです。他もイタリア ローマにちょっとした有名な骸骨寺があるようですし、ヨーロッパの国々のあらゆるところにあるようです。
骨がいつまでも残る土地、土葬だし、何しろペストの流行と三十年戦争、それでもの凄い数の人がなくなって、骨ならたくさんあるよ。という状態に。だから使ったんだな〜ということにはならない、だって、一般的な思考で考えたら、恐ろしいもの、骸骨。よく見ればそれほど怖いものでもないんだろうけれど、何しろ現物はみたことがないし、絵で表現なんてされていたら、ほんと怖い。
日本においては中世にこの手のものが多い。その後江戸時代に無くなっていく。鎌倉、室町時代は骸骨の絵も多いし、それが文化だったのかもしれない。
こんな感じで一休さんと美女が描かれていて、一休さん、なんと髑髏の上で楽しげです。因みに美女は地獄大夫という相当な美女の花魁さんです。中世が知りたかったら芥川龍之介を読めばいい。そういえばそうか、と思う。「鼻」「羅生門」などの有名どころしか読んだことないけれど、多分アレだな。と思っている。近代イデオロギー、その意識は江戸時代からの続きだと養老先生は言っている。平安の時代が終わったことを「身体の時代」でもって表現した運慶。その後、またココロの時代がやってくるのが江戸時代。戦国が終われば「心の時代」が来るのであれば、いいような、悪いような。何がいいのか、悪いのかよく分からなくなってくるので、もう一度羅生門でも読むかな。
結局理解できそうにないけど。