結局やっぱり漠然としか理解できなかったけど、何にも知らないよりは良かったユダヤ人のこと

山本七平(イザヤ・ベンダサン)「日本人とユダヤ人」は山本七平がユダヤ人の目線で書いた日本人像。山本七平といえば、落合さんの本でもチラッと出てきた「空気の研究」。やはり日本人そのものの研究に長けていた方なんだと思う。日本に否定的なだけではないと思うけれど、ただ純粋に日本論者という位置づけでいいと思っている。

ユダヤ人研究で一番わかりやすいと紹介されているのが、内田樹さんとヴィクトールフランクル

日本人にはきっと理解できないんだろうな、と漠然と思っていたユダヤ人迫害がなぜ起こるのか。という問題。ナチスドイツの時にフューチャーされることが多いけれど、ヨーロッパとその周辺、ほぼほぼ世界的に迫害されている。少なからず嫌われていると感じるユダヤ人。何がそんなに気に入らないんだろうと思うけれど、学校ではあまりそこを突っ込むと先生が困惑するので黙っておこうと思った記憶がある。

これらの本を読んでいくと、おそらく「ユダヤ人」という人種でも、国民でも、教徒でもない人たち。これの位置付けが、一言では言い表せないけれど、とにかく「ただの人」であることがわかってくると思う。ただ、人は差別の対象、平たくいえば、いじめの対象が必要なんだろうなと思うとそれは本当に悲しい事実。

震災後に日本でもよく読まれたという名著というべき本。生きる意味を考えたい時には読むべきなんでしょうね。きっと今世界的に辛くて悲しい思いをしている人が大勢いるから。ナチス収容所内での生きる希望を失わなかった人を参考にする、、、ちょっと重すぎるような。けれど人間、夕日を見て美しいと感じたり、音楽を通じてウキウキしたり、そんな少しの希望が生きる勇気になる。そんな感じでフランクルがユダヤ人であることを一切抜きにして人間の「生きる」について教えてくれる。

ユダヤ人は死者まで含めて共同体。墓地の扱いも他とはまるで違う。「墓を建てたら絶対に壊してはいけない」。死者までもがユダヤ人だから。縛られてるな。嫌だな、自分ならそんn
しかし実は、共同体の中で共同体のために生きているように表向きには見えるかもしれないけれど、実は個人をしっかり生きている。当たり前なんだけど、当たり前のことが世間的にはそうは見えない。フランクルはそこをしっかり伝えてくれている。

真の個人主義がそこから始まる。

日本は「世俗的」だそうで。世界一世俗的なんだと。世俗的(Secularity)とは、国家と宗教が分離されてい流ということ。宗教に縛りもないし、封建的な家制度にも縛られていない。

見た目からして日本は

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